Go to content Go to navigation Go to search Change language

ホーム>作品と宮殿>ルーヴルの歴史

ルーヴルの歴史 城塞から美術館へ

12世紀末に誕生して以来、ルーヴルは常にパリの中心的存在であった。当初町の西端に位置していたルーヴルは、町が広がるにつれて、次第にその中心へと呑み込まれていく。それと同時に、うす暗い城塞は、フランソワ1世の近代的な邸宅へ、さらには太陽王の豪奢な宮殿へと変貌を遂げるのである。これからみなさんにご紹介するのは、1793年に美術館となったこの建物の歴史である。

中世のルーヴル 

フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)はその43年にわたる治世(1180‐1223年)の中で、王国内外における君主制の著しい強化を成し遂げた。ヨーロッパ大陸第一の都市となったパリの町は、そのいっぽうでノルマン系英国人の脅威を感じていた。そこで、町の城門の防御を固め、西側の城壁を強化しようと、国王フィリップ2世は1190年新しく強力な城壁の建築に着手する。ルーヴル城の誕生である。

1190-1202年

フィリップ2世の時代 : ドンジョン(主塔)と要塞の建築

Le Louvre au temps de Philippe Auguste

Le Louvre au temps de Philippe Auguste

© Musée du Louvre / P. Philibert

1190年フィリップ2世は、78×72メートルの方形の地所に城を建設させた。この城は王の居所としてではなく、武器庫として使用された。四方に堀がめぐらされ、円筒状の塔が四隅と北側、西側の中央部を防御し、南側と東側にはそれぞれ防御塔を備えたゲートが作られた。土地の中央部では直径15メートル、高さ30メートルの「グロス・トゥール」と呼ばれる主塔が街を見下ろしていた。西側と南側では、城壁に隣接して建物が作られた。

1230-1240年代

サン・ルイの間の天井

Louvre médiéval - crypte Sully

Louvre médiéval - crypte Sully

© Musée du Louvre / A. Dequier

中世のル-ヴル城の遺構は今も一部が保存されているが、建物内部で唯一現存するのは「サン・ルイの間」である。しかしこの部屋が当時何に使われていたのかはわかっていない。かつては、石造りの部屋の中央に立てられた2本の円柱と壁面が、アーチ型の天井を支えていた。現在私たちが目にすることの出来る天井、円柱、持ち送りは、1230年から40年にかけて新たに作られたものである。

1358-1365年

エティエンヌ・マルセルの防壁とシャルル5世の城壁

Enceinte de Charles V, XIVe siècle

Enceinte de Charles V, XIVe siècle

© Musée du Louvre / D. R.

14世紀中頃、パリはフィリップ2世時代の城壁の外へ大きく広がっていく。英仏百年戦争の勃発により、王国の首都は再び守られなければならなくなった。パリ市長エティエンヌ・マルセルが建造を始めた土の防壁(1356-1358年)は、シャルル5世によって引き継がれ拡大されていき、この新しい城壁は右岸の地区を囲むまでに至った。こうして町の中に取り込まれたルーヴルは、要塞としての役割を失ったのである。

1364-1369年

レイモン・デュ・タンプルによる改築工事

1364年以降、シャルル5世の命のもと、建築家レイモン・デュ・タンプルの手により、城塞は贅を尽くした国王の邸宅へと変貌を遂げた。その見事な装飾屋根は細密画や絵画に描かれている。中庭を囲む本館には彫刻を施した大きな窓が多数取り付けられ、増築された建物に壮麗な螺旋状の大階段がつくられた。そして館内は彫刻、タピスリー、木工細工などで飾られた。また建物の北側には庭園が設けられた。

1527-1528年

主塔の取り壊し

中世のルーヴルフィリップ・オーギュストとシャルル5世のルーヴルの堀跡(12-14世紀)

中世のルーヴルフィリップ・オーギュストとシャルル5世のルーヴルの堀跡(12-14世紀)

© Musée du Louvre / A. Dequier

シャルル6世の死後、眠りについたルーヴルであったが、1527年、フランソワ1世がパリに居を落ち着けることを決めると、1世紀にわたるこの深い眠りからやっと目覚める。国王を迎え入れることとなった城に光を入れ、風通しを良くするため、主塔の取り壊しが決められた。こうして中世のルーヴルはルネサンスのルーヴルへと姿を変えていく。

ルーヴルからチュイルリーへ

主塔の取り壊しを合図に、ルイ14世の時代まで続くことになるルーヴルの改築が始まった。フランソワ1世のもとに生まれ変わったルネサンスのルーヴル城は、アンリ2世とその息子たちによって少しずつ手が加えられていく。しかしやがて、500メートル離れたところにチュイルリー宮殿が建設され、ルーヴルに大きな変化がもたらされる。国王たちはこの二つの宮殿を回廊でつなぎたいと願い、それはある壮大な計画によって実現する。「グランド・ギャラリー」の建設である。

1546-1560年

レスコ翼・国王のパヴィリオン・南翼の工事

Gravure de la tribune des Caryatides, par Androuet du Cerceau

Gravure de la tribune des Caryatides, par Androuet du Cerceau

© BNF

シャルル5世の時代に城塞から国王の邸宅へと変貌を遂げたルーヴルではあったが、それでも不足を感じたフランソワ1世は、1546年新しい建物の建設を決めた。中世期の西翼が取り壊され、そこにはピエール・レスコ設計、ジャン・グージョン装飾によるルネサンス様式の建物が建てられた。フランソワ1世が死ぬと、息子のアンリ2世がその事業を引き継ぎ、1階にカリアティード(女像柱)の広間をつくった。次いで中世時代の南翼の解体と新翼の建設が行われ、レスコ翼とつながる角には、2階に王の居室を備えた「国王のパヴィリオン」が置かれた。これらの建物の端正なファサードは、パリで見られるルネサンス様式の代表である。なお、装飾は後にアンリ4世の時代になって完成する。

1564-1572年

チュイルリーの建設

Vue cavalière du quartier du Louvre et des Tuileries, dite Plan de Mérian, 1615

Vue cavalière du quartier du Louvre et des Tuileries, dite Plan de Mérian, 1615

© Musée du Louvre, Section Histoire du Louvre, fonds gravures / P. Philibert

16世紀後半のルーヴルには、新たに作られた部分、建設中の部分、2世紀以上も昔につくられ半ば崩壊した部分などが併存していた。居心地が悪いうえに町は喧騒と悪臭に溢れ、耐え切れなくなったアンリ2世の未亡人カトリーヌ・ド・メディシスは、ルーヴルの西にチュイルリー宮殿を建設することを決めた。 1564年にフィリベール・ドロルムが設計したこの宮殿の建設はしかし、数年後中断されてしまう。

1566年

小ギャラリーの建設

Vue perspective et générale du Louvre, côté Seine

Vue perspective et générale du Louvre, côté Seine

© Musée du Louvre / P. Philibert

1566年、シャルル9世は、ルーヴルからセーヌへ向けて「小ギャラリー」の1階部分の建設を始めた。そしてこの小翼から、セーヌ沿いにルーヴルとチュイルリーを結ぶ長い回廊がつくられることになる(後のグランド・ギャラリー)。壮大な計画が実現される日が来たのだ。

1595-1610年

グランド・ギャラリーの建設

La Grande Galerie du bord de l'eau sous Henri IV - I. Silvestre, vers 1650

La Grande Galerie du bord de l'eau sous Henri IV - I. Silvestre, vers 1650

© Paris, Musée Carnavalet

アンリ4世時代の1595年から1610年にかけて、「川沿いのギャラリー」建造という大工事が行われた。ルーヴル宮殿の国王の住居とチュイルリー宮殿を直接つなぎ、西端のフローラのパヴィリオンまで続くこの回廊は、長さ450mにも及ぶため、単調にならぬよう、建設は二人の建築家の手にゆだねられた。東側を担当したルイ・メトゾーと西側担当のジャック2世・アンドルエ・デュ・セルソーである。同じ頃、小ギャラリーの上に、国王の「絵画の間」が建て増しされた。

1610年

アンリ4世の暗殺

Chapelle ardente du roi Henri IV - I. Briot, d'après Quesnel

Chapelle ardente du roi Henri IV - I. Briot, d'après Quesnel

© BNF

1610年5月14日アンリ4世が暗殺され、工事は未完のまま中断されてしまう。ギャラリーの躯体は完成していたものの、内部の装飾はまったくない状態であった。幼いルイ13世はルーヴルに関心を示さず、工事が再開されたのは約15年も後になってのことであった。そしてルイ14世もまたルーヴルの改修をつづけていくので ある。

古典主義時代のルーヴル

ルーヴルとチュイルリーの歴史において、ルイ13世と14世は大きな存在であった。クール・カレ(方形の中庭)西翼の増築にはじまるルイ13世の野心的な計画はルイ14世によって引き継がれ、さらにルイ15世によって手が加えられ、現在私たちが目にするルーヴルの姿が徐々に出来上がってくる。しかし、ヴェルサイユ宮殿が建設されると、ルイ14世はルーヴルに対する興味を失い、ルーヴル宮殿は新たな眠りの時代に入る。
 

1624年

ルイ13世による工事の再開

Chantier du vieux Louvre vers 1650 - I. Silvestre

Chantier du vieux Louvre vers 1650 - I. Silvestre

© BNF estampes

1625年、アンリ4世の壮大な計画を実現しようと、ルイ13世は10年以上も中断されていた工事の再開を決定した。中世ルーヴルの北翼の一部が解体され、装飾の細部にいたるまで完全なシンメトリーでレスコ翼が北に向かって延長された。

1639年

時計のパヴィリオンとルメルシエ翼の建設

建築家ジャック・ルメルシエは、レスコ翼とその延長された翼棟の間に「時計のパヴィリオン」を建てた。現在シュリー・パヴィリオンとして知られる大建造物である。高い屋根組みが取り付けられた最上階は力強いカリアティード(女像柱)で装飾され、ルーヴル全体を見下ろしている。この建物は、のちに宮殿の他のパヴィリオンのモデルとなった。

1655-1659年

アンヌ・ドートリッシュの夏の住居の装飾

Appartements d'Anne d'Autriche, Antiquités romaines - Denon, rez-de-chaussée, salle 27

Appartements d'Anne d'Autriche, Antiquités romaines - Denon, rez-de-chaussée, salle 27

© Musée du Louvre / A. Dequier

幼いルイ14世の摂政を務めていたアンヌ・ドートリッシュ(アンヌ王妃)は小ギャラリー1階を夏の住居と定め、そのための工事が1655年から1658年にかけて行われた。王妃の間、王妃の控えの間、エントランス、グラン・キャビネ(大付属室)、寝室、セーヌ川に面したプティ・キャビネ(小付属室)から成る夏の住居は、当時の主流に従い、6つの部屋がドアでつながれた一続きになっていた。天井のフレスコ画はイタリア人のロマネッリが描き、化粧漆喰の像がアンギエによって制作された。

1660-1664年

ル・ヴォーの計画

Arrière de la cour Carrée, côté place du Louvre, donnant sur les cuisines - Musée du Louvre

Arrière de la cour Carrée, côté place du Louvre, donnant sur les cuisines - Musée du Louvre

© Musée du Louvre, Section Histoire du Louvre - Fonds gravures / P. Philibert

1660年、建築家ルイ・ル・ヴォーがルーヴルの改造を手がけるようになり、小ギャラリーの拡張と、クール・カレ(方形の中庭)の北翼を完成させる計画が立てられた。そして1661年から1663年には、南の翼棟の増築に伴い、その中央にパヴィリオンが造られた。またそれを挟んでルネサンス様式の国王のパヴィリオンとシンメトリーになるように、東端にもパヴィリオンが置かれた。1668年以降、ル・ヴォーは宮殿の広さを倍にして、セーヌ川に面したファサードを新たにつくった。これにより、中世期ルーヴル城の名残の最後の部分が解体されたのである。

1662-1664年

アポロンのギャラリー

Vue de la galerie d'Apollon

Vue de la galerie d'Apollon

© Musée du Louvre / A. Dequier

1661年2月6日、小ギャラリーに火災が起き、上階部分が焼けた。ルイ・ル・ヴォーが修復作業を指揮する一方で、太陽王ルイ14世の命を受けたシャルル・ル・ブランは、1663年、太陽神アポロンをモチーフに時間と空間における太陽の運行を表現した装飾の制作を開始する。この装飾は完成しなかったが、アーチ型の天井には、今でもル・ブランの絵画3点と化粧漆喰の大きな彫像を見ることができる。

1665年

ベルニーニの設計案

L'un des projets du Bernin pour la construction du Louvre

L'un des projets du Bernin pour la construction du Louvre

© Musée du Louvre / D. R.

1665年、ルイ14世はクール・カレ(方形の中庭)の東翼の設計をイタリアの大建築家ベルニーニに一任した。国王の住居の表玄関は国王の野心にふさわしいものでなくてはならない。ベルニーニは続けて2つの設計案を出したものの、そのどちらも日の目を見ることはなかった。王が建設を中止させたのだ。

1667-1672年

コロナード

La colonnade du Louvre - S. Leclerc

La colonnade du Louvre - S. Leclerc

© Musée du Louvre / P. Philibert

解剖学者でもあったクロード・ペローをはじめとする委員会は、1667年コロナード翼の建設を決定した。コロナードは町に面した巨大なファサードで、上階全体が、2本1組の円柱が並んだ柱廊の形をとっている。1672年に躯体は完成するものの、ルイ14世の関心は徐々にヴェルサイユのほうに向けられるようになり、工事は未完のまま中断してしまった。
 

1678年

ルイ14世 パリを去る

1678年ルイ14世はパリを去り、着々と工事の進むヴェルサイユ宮殿に移った。そこで財務総監コルベールは、パリの住居の工事中止を命令する。クール・カレ(方形の中庭)の建物は屋根のない吹きさらしの状態で、1世紀近くの間放置された。

1692年

アカデミーのルーヴル入居

1692年、ルイ14世は古代彫刻品をカリアティード(女像柱)の広間に設置することを命じた。宮廷に見捨てられたルーヴルは、同年、新しい住人としてアカデミー・フランセーズを受け入れた。ついで碑文・文芸アカデミー、王立絵画・彫刻アカデミーが入り、後者は1792年までルーヴルで活動を続けた。 1699年、絵画・彫刻アカデミーは、その後長く続くことになる美術展の第1回をルーヴルで開催し、多くの来場者を迎えることになる。

1699年

ルーヴルにおける第1回絵画・彫刻アカデミーの展覧会

Le Salon de 1699 dans la Grande Galerie - Gravure illustrant l'almanach publié en 1700 chez N. Langlois

Le Salon de 1699 dans la Grande Galerie - Gravure illustrant l'almanach publié en 1700 chez N. Langlois

© BNF

1699年、王立絵画・彫刻アカデミー(1648年設立)の芸術家たちは、ルーヴルのグランド・ギャラリーではじめての展覧会を開いた。この展覧会は、 1725年以降はアカデミーが入っていた部屋の近くにあるサロン・カレ(方形のサロン)で行われるようになり、そこから「サロン」と呼ばれるようになった。

1756年

コロナード前の障害物の除去とクール・カレ(方形の中庭)の整備

Pierre-Antoine DE MACHY - Paris, 1723 - Paris, 1807 - Vue de la colonnade. Inv. 6414, Peintures

Pierre-Antoine DE MACHY - Paris, 1723 - Paris, 1807 - Vue de la colonnade. Inv. 6414, Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier - M. Bard

1756年、ルイ15世はルーヴル宮殿の工事の再開を命じ、ルイ14世時代に建てられ未完であった翼棟が一部完成する。ようやく北、東、南の翼棟に屋根がのせられたのである。またこのとき、コロナード前に住んでいたパリ市民を立ち退かせ、その住居を解体した。目の前が開けてみると、コロナードの壮大さが改めて実感された。さらに、王の不在中にクール・カレ(方形の中庭)に勝手に建てられていた違法な建物も、解体撤去された。

1791年

ルーヴルは「学問と芸術のあらゆる記念碑的な作品を集めた場所」とする宣言

Vue de la galerie d'Apollon

Vue de la galerie d'Apollon

© Musée du Louvre / A. Dequier

1791年、国民議会の宣言により、ルーヴル宮殿は「学問と芸術のあらゆる記念碑的な作品を集めた場所」となった。

1793年

中央芸術博物館の開館

Jean-Jacques LAGRENÉE le Jeune - Paris, 1739 - Paris, 1821 - Allégorie relative à l'établissement du Muséum dans la Grande Galerie du Louvre. 1783. RF 1998-6, Peintures

Jean-Jacques LAGRENÉE le Jeune - Paris, 1739 - Paris, 1821 - Allégorie relative à l'établissement du Muséum dans la Grande Galerie du Louvre. 1783. RF 1998-6, Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier - M. Bard

1793年8月10日、中央芸術博物館が開館した。この博物館は、内務大臣の管轄となり、ユベール・ロベール、フラゴナール、ヴァンサンなどの画家たちや彫刻家パジュ、建築家ド・ヴァイイなどが管理した。入場は無料で、芸術家たちを優先し、週末には民衆にも開かれた。作品の大部分は王家のコレクションや亡命貴族たちから押収したもので、サロン・カレ(方形のサロン)とグランド・ギャラリーに展示された。

宮殿から美術館へ

フランス革命が起こると、ルーヴルも大きな変革期を迎える。ヴェルサイユからチュイルリーに連れ戻されたルイ16世は、ここで処刑されるまでの約3年間を過ごし、一時は国民公会と宮殿内で同居する形となった。ルーヴルでは1793年、グランド・ギャラリーとサロン・カレ(方形のサロン)で中央芸術博物館が一般に公開された。その後、美術館は年々拡大していく。アンヌ王妃の夏の住居は古代彫刻品の間となり、そのほかにもシャルル10世美術館など多くの展示室が誕生した。そして、徐々にルーヴルには溢れんばかりの美術品が集められていくのである。

1798年

イタリアの絵画と古代美術品がルーヴルへ ナポレオン美術館の開館

SWEBACH Jacques François Joseph - Arrivée au Louvre des trésors d'art de la Grande Armée. RF 6061, Arts graphiques

SWEBACH Jacques François Joseph - Arrivée au Louvre des trésors d'art de la Grande Armée. RF 6061, Arts graphiques

© R.M.N.

フランス史にナポレオンが登場するようになると、ルーヴルはナポレオンの戦利品でどんどん豊かになっていく。その手始めはローマ教皇とヴェネチアのコレクションで、トレンティーノ条約、カンポ・フォルミオ条約によって入手した絵画や古代美術品の傑作の数々が華々しくルーヴルに運ばれてきた。1802年ドゥノンが館長に就任したナポレオン美術館の入り口には、翌1803年、バルトリーニ作の巨大な皇帝の胸像が置かれた。しかし1815年に帝政が崩壊すると、各国がそれぞれのコレクションを回収し、美術館は閉館に追い込まれる。

1800年

アンヌ王妃の夏の住居が古代美術展示室に

ZIX Benjamin - Visite aux flambeaux faite par l'Empereur et l'Impératrice. Inv. 33406, Arts graphiques

ZIX Benjamin - Visite aux flambeaux faite par l'Empereur et l'Impératrice. Inv. 33406, Arts graphiques

© R.M.N.

1800年11月9日、ブリュメール18日のクーデターを記念して、ナポレオン・ボナパルトと妻のジョゼフィーヌは、古代美術展示室を公開した。この展示室は、かつての「アンヌ王妃の夏の住居」を改装し、大理石像の重みに耐えられるよう1階につくられた。ここではバチカン宮殿やローマのカピトリーノ博物館、またフィレンツェなどから運ばれた古代美術品の数々や王室コレクション、亡命貴族たちからの押収品などが堪能できた。

1804-1811年

フ ォンテーヌによるルーヴルの改装

ZIX Benjamin - Mariage de Napoléon et de Marie-Louise, le 2 avril 1810. Inv. 33402, Arts graphiques

ZIX Benjamin - Mariage de Napoléon et de Marie-Louise, le 2 avril 1810. Inv. 33402, Arts graphiques

© R.M.N.

ナポレオンは、建築家フォンテーヌに美術館の拡張と宮殿の装飾を命じた。フォンテーヌはサロン・カレ(方形のサロン)とグランド・ギャラリーに通じる巨大な階段をつくり、グランド・ギャラリーの天井に窓を取り付けて、自然光を室内に採り入れた。いっぽうクール・カレ(方形の中庭)では、翼棟のファサード(正面)に統一感を出し装飾を施すための工事が行われ、コロナード翼の両端に大きな階段が、また中央のパヴィリオンにティンパヌムとブロンズの門が取り付けられた。宮殿北側でもテュイルリー宮殿とルーヴル宮殿をつなぐために、リヴォリ通りに沿ってチュイルリーから翼棟が延びていった。

1806-1807年

カルーゼル凱旋門の建設

Arc de triomphe du Carrousel et Nouveau Louvre

Arc de triomphe du Carrousel et Nouveau Louvre

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1806年、フォンテーヌともう一人の建築家ペルシエは、時計のパヴィリオンとチュイルリー宮殿の中央のパヴィリオンとの間に小さな凱旋門をつくった。 1808年に披露されたこの凱旋門には、ドゥノンの手で、ナポレオン軍の輝かしい勝利を記念する浮き彫りと像による装飾が施された。また凱旋門の上には、ヴェネチアのサン・マルコ大聖堂にあった古代の馬のブロンズ像が据えられたが、この像は1815年に返還された。

1824年

近代彫刻のギ ャラリー

Musée Royal des antiques, Galerie d'Angoulême, salle G. Pilon. Album Clarac

Musée Royal des antiques, Galerie d'Angoulême, salle G. Pilon. Album Clarac

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

クール・カレ(方形の中庭)の西翼の1階、時計のパヴィリオンとボーヴェ・パヴィリオンの間の「ギャラリー・アングレーム」と呼ばれていた部分に、 1824年、近代彫刻展示室がつくられた。フランス記念物博物館やヴェルサイユ宮殿から集められた彫刻が、フォンテーヌにより装飾を施された5つの部屋に展示された。

1826年

シャンポリオンが 古代エジプト美術部門の責任者に

Portrait de J.F. Champollion par Léon COGNIET, 1831. Peintures

Portrait de J.F. Champollion par Léon COGNIET, 1831. Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier

古代エジプト学の父、ジャン=フランソワ・シャンポリオン(1790-1832年)は1822年象形文字の解読に成功し、2年後の1824年「提要」の中で発表した。また同年トリノのエジプト美術館を設立すると、1826年5月15日には自身が企画したルーヴルの新しいセクション、古代エジプト美術部門の責任者に任命された。

1827年

シャルル10世美術館と海洋博物館の開館

Joseph AUGUSTE - La Salle des Bijoux (XIXe siècle) - RF 3630, Peintures

Joseph AUGUSTE - La Salle des Bijoux (XIXe siècle) - RF 3630, Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier - M. Bard

1827年、シャルル10世美術館がクール・カレ(方形の中庭)の南翼の2階につくられた。各展示室には天井画が描かれ、古代エジプト美術品、古代ブロンズ像、エトルリアの壺や中世とルネサンスの工芸品が展示された。同年、クール・カレ北翼の2階に海洋博物館が開設されたが、その後3階に移り、1943年にはシャイヨ宮に移転した。

1837-1848年

ルイ・フィリップのスペインギャラリー

シャルル10世のあとを継いで国王になったルイ・フィリップは、1838年スペインギャラリーを開設した。革命前のフランスではほとんど展示されることのなかったスペイン美術が公開され、2月革命の1848年まで、400点以上の絵画が訪れる人たちの目を楽しませただけでなく、コローやマネなど画家たちに大きな影響を与えた。これらの絵画は、ルイ・フィリップの死後、1853年にロンドンで売却され、散逸した。

1847年

アッシリア美術展示室の開設

Une salle du musée assyrien, 1848

Une salle du musée assyrien, 1848

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1847年5月1日、ヨーロッパで最初のアッシリア美術展示室が開かれた。この展示室は、モスル(当時オスマン・トルコ領)のフランス領事ポール=エミール・ボッタ(1802-1870年)が発掘した美術品を展示したもので、クール・カレ(方形の中庭)の北翼の二部屋が充てられた。

1850年

メキシコ美術、アルジェリア美術、民族学展示室の開設

Le musée ethnographique du Louvre, 1863

Le musée ethnographique du Louvre, 1863

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

遠い異国への憧れと、芸術作品を科学的に研究しようとするブームが起こり、1850年、クール・カレ(方形の中庭)1階にメキシコ美術展示室が開設された。また、アルジェリア美術展示室、民族学展示室がボーヴェ・パヴィリオンの3階に開かれた。

1848-1851年

アポロンのギャラリーの改修  サロン・カレ(方形のサロン)と七暖炉の間の装飾

Eugène DELACROIX - Charenton-Saint-Maurice (Val-de-Marne), 1798 - Paris, 1863 - Apollon vainqueur du serpent Python. Inv. 3818, Peintures

Eugène DELACROIX - Charenton-Saint-Maurice (Val-de-Marne), 1798 - Paris, 1863 - Apollon vainqueur du serpent Python. Inv. 3818, Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier

第2共和政期になると、大統領ルイ=ナポレオン・ボナパルトによって、多くの改装工事が行われた。まず1848年、アポロンのギャラリーの大改修を命じられたフェリックス・デュバンは、天井中央部にドラクロワの作品を置き、1851年に内装を仕上げた。また、デュバンは同時期、サロン・カレ(方形のサロン)と七暖炉の間の天井に重厚な装飾を施して改装し、見事に3つの空間を美しくよみがえらせた。

1852-1857年

新しい ルーヴル

Victor CHAVET - Pourcieux, 1822 - Le Creusot, 1906 - Le Louvre de Napoléon III. Inv. 20048, Peintures

Victor CHAVET - Pourcieux, 1822 - Le Creusot, 1906 - Le Louvre de Napoléon III. Inv. 20048, Peintures

© R.M.N. / J. L'Hoir, J. Popovitch

ナポレオン3世は、ルーヴルとチュイルリーをつなぐ北側の翼棟を完成させる工事をヴィスコンティに命じた。1854年にヴィスコンティが死ぬと、ルフュエルがあとを継いだ。リヴォリ通りに沿って、ナポレオン1世とルイ18世の時代に途中まで建設が進められていた建物が延長され、さらに中庭を備えた二つの翼棟が建てられた。1857年にはルーヴルの中心につくられたナポレオンの中庭が完成した。内装が終わったのは1861年のことである。

1852-1870年

君主たちの美術館

Visite au musée des Souverains par la reine de Hollande

Visite au musée des Souverains par la reine de Hollande

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1852年2月15日、ルイ=ナポレオン・ボナパルトの提案で、コロナード翼の上階に君主たちの美術館がつくられ、シルデリクからナポレオンまで、王朝にまつわる品々が展示された。この美術館の開館により、美術工芸品のコレクションは劇的に増えていった。

1861-1869年

工事の再開(フローラのパヴィリオン ・ 国事のパヴィリオン ・ カルーゼルの大門)

1861年ナポレオン3世は、老朽化して崩壊の危機に瀕したグランド・ギャラリーの西側部分とフローラのパヴィリオンの再建をルフュエルに命じた。アンリ 4世時代に建てられた部分がいくつか解体され、そのあとに、かつてルイ・メトゾーが建造した東側の建物と同じものがつくられた。そのため、グランド・ギャラリーには統一感が与えられたものの、これまでに建築家達が求めたような多様性は失われた。ルフュエルは、セーヌに面した新しいファサードの中央に、ナポレオン3世の騎馬像をあしらった大門をこしらえた。
 

1863年

ナポレオン3世美術館

Charles GIRAUD - Musée Napoléon III, salle des terres cuites au Louvre. Peintures

Charles GIRAUD - Musée Napoléon III, salle des terres cuites au Louvre. Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier

第2帝政下、美術館のコレクションはますます充実していった。なかでも1861年所蔵となったカンパーナ侯のコレクションは絵画、古代美術品など 11,385点に及ぶ豊かさを誇り、1863年ナポレオン3世美術館誕生の源となった。以来、古代美術品の大半はクール・カレ(方形の中庭)の展示室に展示されているが、ルーヴルのギリシア陶芸、古代エトルリアの美術品、初期イタリア絵画のコレクションの大半は侯の所蔵品である。この展示室は後に「ギャラリー・カンパーナ」と呼ばれるようになる。

1871年

チュイルリー宮殿の火災

Incendie du pavillon de Flore, 2 octobre, vue prise depuis les bains de la Frégate

Incendie du pavillon de Flore, 2 octobre, vue prise depuis les bains de la Frégate

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1871年5月、パリコミューンの最後の日々、パリの町は正規政府軍による奪回寸前にあった。パリコミューンの兵士たちは市庁舎、会計検査院、君主制のシンボルであるチュイルリー宮殿などを破壊しようと町を奔走していた。
チュイルリーに火がつけられた。火は建物内部を焼き尽くし、隣接するルーヴルも危険にさらされた。チュイルリー宮殿の焼け跡は長年にわたる論争の末1883年に完全に撤去された。

美術館の頂点へ

1883年、チュイルリー宮殿の残骸が撤去されるとともに、近代ルーヴルが誕生する。ルーヴルは政治権力の場ではなくなり、何よりもまず文化に貢献することができるようになったのである。パリコミューンの後にリシュリュー翼に置かれた大蔵省だけがただ、ルーヴルの中で異質な存在であった。この時期から、ルーヴル美術館はゆっくりとしかし確実に、巨大な複合体となっていく。

1875-1878年

フローラのパヴィリオンとマルサン・パヴィリオンの再建

Le nouveau pavillon de Marsan - M. Toussaint

Le nouveau pavillon de Marsan - M. Toussaint

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

チュイルリーとルーヴルを南北でそれぞれ結び付けていたフローラのパヴィリオンとマルサン・パヴィリオンが、1874年以降修復再建された。ル・ヴォーにより建てられたマルサン・パヴィリオンは壊され、フローラのパヴィリオンをモデルに新しく作りかえられた。このとき、リヴォリ通りに沿った北翼も、2倍の幅に拡張された。

1888年

スサ美術展示室の開設

Les nouvelles salles du musée Dieulafoy au Louvre, 1888 - Dessin : M. Cox

Les nouvelles salles du musée Dieulafoy au Louvre, 1888 - Dessin : M. Cox

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

イランのスサからデュラフォア使節団が古代美術品を持ち帰り、ルーヴルの近東美術コレクションは飛躍的な発展を遂げた。そこで1888年、スサ美術展示室が創設された。展示法にも様々な工夫が凝らされ、美術館としてのあらたなステップが踏み出された。

1905年

装飾美術館の開館

1905年5月29日、ロアンの大門とマルサン・パヴィリオンとの間のリヴォリ通り沿いの翼棟に、装飾美術館が開かれた。この美術館は19世紀のパリ万博に引き続いてつくられ、はじめは産業宮殿やフローラのパヴィリオンに置かれていた。所蔵品は装飾美術中央連盟(U.C.A.D.)が管理・展示している。

1922年

初のイスラム美術展示室の開設

Musée islamique au Louvre, salle Delort de Gléon, 2e étage, 1922

Musée islamique au Louvre, salle Delort de Gléon, 2e étage, 1922

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

イスラム美術品のコレクションは、それまで工芸品の展示室に分散して展示されていたが、1912年ドロール・ド・グレオン男爵夫人の遺贈を受け、コレクションはかなり充実したものになった。そこで、これらの作品をひとつに集めたものが、1922年時計のパヴィリオンのドームに東洋イスラム美術展示室として披露された。

1930-1938年

再開発計画の実行

La cour du Sphinx en 1934

La cour du Sphinx en 1934

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1926年、国立美術館連合の館長アンリ・ヴェルヌは、宮殿内部で美術館を拡大するという野心的な計画を進めていた。工事は1930年に開始され、戦中戦後も続けられた。スフィンクスの中庭に、古代彫刻品を展示できるようガラス屋根がつけられ、フローラ翼にヨーロッパ彫刻の展示室が、クール・カレ(方形の中庭)に工芸品と絵画の展示室が開かれた。また古代エジプト美術と古代オリエント美術の展示室の改装が終了した。

1939-1945年

戦時中のコレクションの疎開

Emballage de la Vénus de Milo, 1939

Emballage de la Vénus de Milo, 1939

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、所蔵品を守るための努力が払われた。重量のある作品は土嚢で囲ってルーヴル内に保護され、その他の作品はまずシャンボール城に運ばれた。その後安全を期して、各城館をはじめとするさまざまな場所に搬送された。ほとんど空っぽで展示品も複製品しかない状態ではあったが、ドイツ占領下の1940年9月、ルーヴルはその扉を再び開いた。

1943年

海洋博物館のコレクションの移送

Musée de la marine au Louvre, salle des Galères, avant 1943

Musée de la marine au Louvre, salle des Galères, avant 1943

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

ヴェルヌの計画により、ルーヴルのコレクションはますます増えていき、より広い展示スペースを確保する必要が出てきた。そこで、1919年に海軍省歴史課の管轄となった海洋博物館のコレクションが、1943年ルーヴルに別れを告げ、改装されたシャイヨ宮内に移った。

1945年

アジア美術品がギメ美術館へ

Vitrine du musée asiatique Grandidier au Louvre

Vitrine du musée asiatique Grandidier au Louvre

© Musée du Louvre, Section Histoire du Louvre / Pierre Philibert

イザアック・ドゥ・カモンド、レモン・コクラン、グランディディエの寄贈やマルトーの遺贈などにより収集されたアジア美術は、それまでルーヴルに保管されていたが、国立コレクション再編成に関する新案により、1945年、パリのイエナ広場にあるギメ美術館に移送された。

1947年

ジュ・ドゥ・ポーム美術館の創設

Le musée du Jeu de Paume, musée des Impressionistes de 1947 à 1986

Le musée du Jeu de Paume, musée des Impressionistes de 1947 à 1986

© Editions du Jeu de Paume

1861年にチュイルリー公園の北西に作られたかつての室内球戯場は様々な展覧会を開催した後、1947年、ルーヴル付属の印象派美術館となった。その後スペースが足りなくなった印象派美術館は1986年8月18日閉館し、所蔵品はすべてオルセー美術館に移された。

1953年

ブラックの天井画

Georges BRAQUE - Argenteuil (Val-d'Oise), 1882 - Paris, 1963 - Les Oiseaux. Inv. 20378, inv. 20379, inv. 20380, Peintures

Georges BRAQUE - Argenteuil (Val-d'Oise), 1882 - Paris, 1963 - Les Oiseaux. Inv. 20378, inv. 20379, inv. 20380, Peintures

© Musée du Louvre / A. Dequier

かつての国王の控えの間には、1557年に指物師シベック・ドゥ・カルピにより彫刻がふんだんに施された天井が現在も保存されている。この部屋の3つの天井画はキュビズムの画家ジョルジュ・ブラック(1882-1963年)が依頼を受けて描いたもので、《鳥》というその作品は、1953年に公開された。

1961-1968年

フローラのパヴィリオンが展示室に

L'exposition Europe gothique au pavillon de Flore, 1968

L'exposition Europe gothique au pavillon de Flore, 1968

© Musée du Louvre, Section Histoire du Louvre / P. Philibert

1961年、大蔵省がフローラのパヴィリオンを手放した。そこで、彫刻部門が1階と地下に入り、グランド・ギャラリーの絵画部門が2階にも拡張され、素描部門が3階に移動した。その上階には研究所が置かれた。実際にフローラのパヴィリオンが美術館の手に戻ったのは1968年のことで、これを記念して、同年、ヨーロッパゴシック美術展が開催された。

1964年

コロナード前の堀の掘削

La colonnade du Louvre, dégagement du mur et de l'avant-corps central, 1964

La colonnade du Louvre, dégagement du mur et de l'avant-corps central, 1964

© Musée du Louvre, Section Histoire du Louvre / P. Philibert

1964年文化大臣アンドレ・マルローは、ペローがつくったコロナードの前に堀を掘った。土に埋もれていた基礎部分を明確にするためである。これは古典主義時代のフランス建築のモデルから着想を得てはいるが、これまでにこのような計画がもちあがったことはない。このような改修計画は、ルイ14世の時代などには決して企画されることもなかったであろう。

1981年

フランソワ・ミッテランの「大ルーヴル計画」

Eclaté du projet Grand Louvre, 1980

Eclaté du projet Grand Louvre, 1980

© E.P.G.L / Louvre

1981年9月26日、ミッテラン大統領は、今後ルーヴル宮殿を全面的に美術館として利用する、と発表した。そこで美術館内部の設備の改善と作品の展示方法の見直しが必要になってきた。リシュリュー翼に入っていた大蔵省が新しい庁舎に移され、美術館の徹底的な改造を行う「大ルーヴル計画」が始まった。

1983年

計画担当建築家にペイを任命-発掘の開始とEPGLの設立

Fouilles archéologiques dans la Cour Napoléon, 1983-1998

Fouilles archéologiques dans la Cour Napoléon, 1983-1998

© EPGL-Louvre / P. Thomas - P. Charniot

1983年11月2日、大ルーヴル計画公団(EPGL)が設立され、計画の実行にあたった。ルーヴルの拡張と近代化を成功させるために、中国系アメリカ人 建築家のイオ・ミン・ペイに白羽の矢が立てられた。ペイは、ワシントンのナショナル・ギャラリーの新翼建設をはじめとする数々の作品で知られている。ナポ レオンの中庭の発掘調査が行われた後、ピラミッドが建設され、その地下にはさまざまな施設がつくられた。

 

1986年

オルセー美術館の開館

Façade Seine du musée d'Orsay, Paris

Façade Seine du musée d'Orsay, Paris

© Musée d'Orsay / S. Boegly

1986年12月9日、オルセー美術館がオープンした。1900年建築家ラルーが設計したかつてのオルセー駅の中につくられたこの美術館には、ジュ・ドゥ・ポーム美術館(旧印象派美術館)からの全作品が収められた。また、ルーヴル以降近代美術館以前、すなわち1848年からキュビズム誕生に至る間の19世紀後半のさまざまな作品(1820年から1870年の間に生まれたアーティストの作品)が展示されている。

1989年

ピラミッドのオープン

Ouverture du Hall Napoléon, 1989

Ouverture du Hall Napoléon, 1989

© Musée du Louvre

1989年3月30日、イオ・ミン・ペイ設計のガラス張りのピラミッドが落成式が行われた。ナポレオンの中庭の中心に作られたこのピラミッドは、広々とした地下の受付ロビーへと通じるエントランスでもあり、館内の往来の中心点ともなっている。来館者はここから特別展示室、宮殿と美術館の歴史をたどる展示室、シャルル5世の堀、オーディトリアム、さまざまなサービス(クローク、書店、カフェテリア、レストラン)へとアクセスできる。

1993年

ルーヴル美術館の公共施設化

Cour Marly - aile Richelieu, Entresol

Cour Marly - aile Richelieu, Entresol

© Musée du Louvre / Pierre Philibert

リシュリュー翼とカルーゼル・デュ・ルーヴルのオープン
1993年1月1日、ルーヴルは文化省所属の公共施設となり、より独立性が認められた。そして大蔵省が出た後のリシュリュー翼はルーヴル最大の展示スペースとなり、同年一般公開されるに至った。これだけ多くの展示室が一挙に公開されたのは、ルーヴル美術館開設以来2世紀の歴史の中で初めてのことであった。 3つの中庭は屋根で覆われ、大きな作品を展示することができるような広大なスペースがつくられた。絵画部門と工芸品部門の展示面積も広がり、イスラム美術は常設展示室を持つに至った。数年後、美術館の入り口に大ショッピングセンター、カルーゼル・デュ・ルーヴルがオープンする。また来館者のための駐車場も作られた。

1997年

美術館の再編成 第2期

La salle du Temple - Antiquités égyptiennes, Sully, rez-de-chaussée, salle 12

La salle du Temple - Antiquités égyptiennes, Sully, rez-de-chaussée, salle 12

© Musée du Louvre / A. Dequier

1997年、クール・カレ(方形の中庭)周辺の大規模な工事が新たに行われた。サックレール翼の展示室がオープンし、古代オリエント美術部門の一部が入った。そして古代エジプト美術部門が2フロアを全面改装、展示室の総面積を2倍に拡張して公開された。国家の間の改修や、ヴィスコンティの中庭に通称『三古代』(古代ギリシャ・エトルリア・ローマ)の展示室を新たにつくるなどの改修計画が打ち出された。

1999年

国事のパヴィリオンのオープン

Une salle de l'antenne des Arts premiers - Pavillon des Sessions, musée du Louvre

Une salle de l'antenne des Arts premiers - Pavillon des Sessions, musée du Louvre

© Musée du quai Branly

ジャック・シラク大統領は、1996年、諸文明の芸術のための美術館の設立と、それらの傑作を一堂に集めてルーヴルに展示することを決定した。かつての国事のパヴィリオンの1階がJ.M.ウィルモットによって整備され、2000年4月、アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカから運ばれた作品が展示、公開された。これらの作品は、2006年6月に開館したケ・ブランリー博物館の所蔵である。

2005年

イスラム美術部門

ルーヴル8つ目の部門の新しい展示室の建築プロジェクトに関して、2005年7月26日火曜日、リュディ・リチオッティとマリオ・ベリーニ2名の建築家による作品が選ばれました。フランス大統領によるこの発表を受け、イスラム美術部門の改装は重要な段階に入りました。
イスラム美術のコレクションは、2009年にヴィスコンティの中庭の新しいスペースへと移されます。

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

チケットを購入する