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作品 《ベンタ・ヌエバの喧嘩》

工芸品部門 : 18世紀:新古典主義

«ベンタ・ヌエバの喧嘩»

© 2002 RMN / Jean-Gilles Berizzi

工芸品
18世紀:新古典主義

執筆:
Muriel Barbier

1775年、フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746-1828年)はスペイン宮廷にやって来た。彼はその後5年マドリッドに滞在し、王室のために多くのタピスリーの下絵を制作した。タピスリーはサンタ・バルバラ製作所で織られた。ゴヤが選ぶ主題は、ルーヴルの«ベンタ・ヌエバの喧嘩»が示しているように大衆的なものが多い。風刺の精神と少し陰のある皮肉は、このタピスリーをゴヤの特徴的な作品としている。

トランプ遊びをする人々の喧嘩

ゴヤは、1775年に最初の下絵数点を、1720年にフェリペ5世が創立した、王立サンタ・バルバラ製作所に届けている。ゴヤが制作したタピスリーの下絵のほとんどは、現在プラド美術館とエスコリアル宮殿に保蔵されている。作者には制作に際して、ある程度の権限があたえられていた。選ばれた主題は、民衆生活の典型的な情景を演出している。«ベンタ・ヌエバの喧嘩»では、一軒の宿屋の前で場面が展開するが、これは異なる種類の人物が出会うのに最適な環境である。ここに見られるのはマホ(粋な若者)と半ズボンをはいたムルシア(スペイン南東部の地域)の男たち、そしてその他の人物たち(おそらく御者とラバ引き)である。登場人物たちは、ひと休みした後にトランプ遊びを始めた。そのうちに喧嘩が始まり、宿屋の主人はゲームのテーブルに残されたお金を集めている。

パルド宮殿のために注文されたタピスリー

ゴヤのタピスリーは、マドリッドから12kmほどはなれた所にある、スペイン王家の冬の居城、パルド宮殿のためのものであった。ゴヤは合計63枚の、民衆を主題にした下絵を描いた。それらの下絵を基に制作された10枚のタピスリーは、カルロス王子とマリア=ルイサ王太子妃の食堂に飾られた。このタピスリーや他の下絵は、ゴヤにカルロス王子とマリア=ルイサ王太子妃に紹介されるという機会をあたえ、彼らはゴヤの擁護者になる。«ベンタ・ヌエバの喧嘩»の他には、«ピクニック»、«舞踏会»、«マハと顔を隠した男たち»、«トランプ遊びをする人々»、«凧»、そして4枚の扉の上部装飾が見られる。これらの比較的軽い、大衆的な場面は、王家の居城ではおどろかれるようなものだったかもしれない。しかしながらパルド宮殿は田舎の居城であり、そこでの儀礼は首都でよりも、ずっと堅苦しくないものであった。

ゴヤが描く演劇的効果の場面

人物群は左右対称に帯状の構図の中に散らばっている。ゴヤはこの場面を「サイネテ(宗教劇の幕間に演じられた茶番劇・道化芝居)」のようにみなしていた。宿屋は奥行きを拝して描かれており、まるで舞台装置のように置かれている。ゴヤがこの作品を制作するに当たって、スペインの演劇から着想を得ているとは十分考えられる。さまざまな作品がゴヤの発想源となりえたが、とりわけ「サイネテ」という、とても単純な筋書きで、一般大衆の振る舞いや日常を描いた、風俗を風刺する一幕仕立ての軽喜劇からは、多くの着想を得ている。また、注文主が大衆劇を好んでいたという可能性も十分ある。この風刺的で皮肉的な社会の見方は、まさにゴヤ特有のものであり、ここではさらに道徳的な文句に彩られている: 「お金が喧嘩のもと」。

出典

- TOMLINSON J., Goya, London, 1995, pp. 25-37.

作品データ

  • フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(原画)

    《ベンタ・ヌエバの喧嘩》

    1778-1779年

    スペイン、パルド宮殿

    スペイン、王立サンタ・バルバラ製作所

  • 羊毛と絹のタピスリー

    高さ2.85m、幅4.79m

  • 1941年、スペイン政府よりフランス政府へ寄贈

    OA 11930

  • 工芸品

    リシュリュー翼
    2階
    ジャコブ=デマルテル
    展示室72

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
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開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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