Go to content Go to navigation Go to search Change language

ホーム>作品と宮殿>コレクションと学芸部門>《エリピュレの死》

Les Erinyes auprès du corps d'Eriphyle

素描・版画
19世紀

執筆:
Maget Antoinette

フュースリが1810年に制作したこの素描は、1821年の絵画のための準備作品である。フュースリの創作において、素描は重要な役割を演じており、この素描も例外ではない。フュースリ自身、色彩に対する線の優位を語っていた。この素描が完成作とはいくつかの点で異なる(例えば、何人かの人物は絵画のみに登場する)とはいえ、大ざっぱな空間の配置はすでに定められている。

家族の暴力

この素描でフュースリは、テーバイの神話のエピソードを描いている。エリピュレは、息子のアルクマイオンに殺害されたところである。こうして母親殺しを実行することによって、アルクマイオンは、エリピュレがアルゴス同盟の首長である父アムピアラオスの隠れ場を明かしたら、その仇を討つという父に対する約束を守ったのである。エリピュレは、横たわった状態で描かれ、手足は弱り、頭をのけぞらせている。血まみれのナイフがなければ、挑発的なポーズにも見えるエリピュレの体は、死の痙攣を表わしている。2つの面を水平に区切るドレープの背後には、復讐の女神エリニュスがいる。ここではアルクマイオンが実際に描かれていないとはいえ、各々のエリニュスがアルクマイオンを表わしている。

神話のレパートリー

フュースリがこの素描の源泉を明確にしていないとしても、フュースリは明らかにこの主題に惹かれており、何枚もの異なったヴァージョンを描いた。フュースリにとって、神話は、暴力的で悲劇的な寓意と図像の無限のレパートリーを表わしており、その想像力のための無尽蔵の源泉だったのである。フュースリの創作意欲は、伝説と夢想の交錯によって刺激を受け、この悲劇的な過去に、フュースリの思うままに変えられる人物像を見出した。それは、一方では人物の内面の情熱を描き出すためであり、他方では、こうした人物に社会的諷刺のいくつかの特徴を担わせるためである。フュースリにとって、クリュタイムメストラとエリピュレの運命は似ているように見えた。おそらくこうした理由によって、エリピュレの姿は、オレステスの石棺に刻まれたクリュタイムメストラの姿を思い起こさせ、フュースリは、この素描の上部にアイスキュロスの『供養する女たち』というギリシア語の引用を書き写したのである。テーバイの伝説のフュースリのこうした解釈は、古代の諸源泉を独自に綜合したもののように見える。

犯罪の劇場化

「Q. E. Augt 10」という書き込みのおかげで1810年代の作と推定できるこの作品は、絵画《悪夢》(1701年、デトロイト美術研究所)とその前景が似ているが、ここでのあらゆる曖昧さと挑発は、血まみれのナイフの存在によって雲散霧消する。こうして、官能性に満ちた、女主人公の女性らしさの象徴である豊かに広がる髪にもかかわらず、エリピュレのポーズは、もはやくつろいだものではなく、アルクマイオンの凶器の断片の存在によって、死のポーズとなる。ドレープで飾られた欄干によって、フュースリにはよく見られる、現実感を消し去る原理が導入されている。感覚を失わせ、弱める柔らかい構造によって、布の巧みな仕掛けは、場面を入れ子状に反復する。入念に襞が寄せられた幕は、エリピュレの屍に対する重々しい脅迫感を増している。それぞれの襞は、菱形をしており、前景に置かれた剣を不吉に思い起こさせる。この構図は、エリピュレが横たわっている人間の世界と、エリニュスが支配する目に見えない世界、すなわち神の世界との間の境界を明らかに強調している。エリニュスは、アルクマイオンにつきまとう。エリニュスの務めは、社会秩序を回復するために、人殺しを懲らしめることである。エリニュスは、急いた復讐の念の象徴である蛇の代わりに翼を付け、髪を振り乱して行進する。

出典

- D'Outre-manche : l'art britannique dans les collections publiques françaises, cat. exp. Paris, musée du Louvre, 1994, Éditions de la Réunion des musées nationaux, 1994, n 161, p. 246.

- BUTTLER J. de, "Johann Heinrich Füssli", in Revue du Louvre, 1975, n 2, pp. 143-146.

- MICHEL Régis, "Füssli : histoires d'oeil ", in La Peinture comme crime ou "la part maudite" de la modernité, cat. exp. Paris, musée du Louvre, 2002, Éditions de la Réunion des musées nationaux, 2001, pp. 88-109, 356-358 (notice de RONZONI Emmanuela).

- STARCKY Emmanuel, "J. H. Füssli. Les Érinyes auprès du corps d'Ériphyle (1810)", in Revue du Louvre, 1988, n 4, pp. 332-333.

En savoir plus :

- Füssli, cat. exp. Stockholm, Nationalmuseum, 1990, repr. p. 9.

- Henry Fuseli, 1741-1825, cat. exp. Londres, Tate Gallery, 1975, n 74, p. 82.

- Johann Heinrich Füssli, 1741-1825, cat. exp. Hambourg, Hamburger Kunsthalle, München, Prestel, 1974-1975, n 175.

- Johann Heinrich Füssli : 1741-1825, cat. exp. Paris, musée du Petit Palais, Association française d'action artistique, 1975, n 42.

- SCHIFF Gert, Johann Heinrich Füssli : 1741-1825, Zürich, Verlag Berichthaus, 1973 (rééd. 1980), n 1807, repr. p. 587.

- SCHIFF Gert (dir. VIOTTO Paola), L'Opera completa di Füssli, Milano, Rizzoli, 1977.

作品データ

  • ヨーハン・ハインリヒ・フュースリ(チューリヒ、1741年-ロンドン、1825年)

    《エリピュレの死》

    1810年

  • 黒チョークの描線にペンと灰色の淡彩、水彩によるハイライト

    縦20cm、横24.3 cm

  • バーゼル、ユルク・シュトゥッカー画廊、チューリヒ、クルト・マイスナー・コレクション、1988年にルーヴル友の会の寄贈

  • 素描・版画

    保存上の理由により、当部門の作品は常設展示室では展示されていません。

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

チケットを購入する