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《ピエタ》

© 2005 RMN / Gérard Blot

絵画
フランドル絵画

執筆:
Kazerouni Guillaume

ラファエッロを模写したエネ・ヴィーコの版画作品(1548年制作)からインスピレーションを得た作品で、1590年代後半の制作とみなされている。若かりし頃のルーベンスによって描かれたアントウェルペンにおける師フェーンからの直接の影響が見受けられる1597年頃の作品ともしばしば考えられたが(ルーベンスは1598年に師の下から独立している)、やはりフェーン自身による作品、もしくはルーベンスとの共同制作によるものと思われる。

過渡期の画家

オットー・フェーンはイタリアに滞在したことのある北方画家の一人で、その作品は16-17世紀という二つの時代の変わり目に位置している。レイデンに生まれた作家はアントウェルペンに滞在し、その後しばらくしてリエージュに移り、1575年にイタリアに向けて出発するまでそこに身を落ち着けている。ローマではフェデリコ・ズッカリと出会い、イタリア芸術はその後画家の様式に深い影響をもたらすことになる。1583年にフランドルへ戻り、2年後に画家はブリュッセルでアレッサンドロ・ファルネーゼ付き画家としての地位を得る。庇護者の死後はアントウェルペンで過ごし、1594-1600年にかけてルーベンスが弟子、そして共同制作者として加わり、ルーベンスはフェーンから多大な影響を受けている。1612年に再びブリュッセルへ戻り、亡くなるまでの年月をそこで過ごしている。

北と南の中間のピエタ

ルーヴルが所蔵する《ピエタ》は、フェーンの絵画を代表する作品としてだけでなく、17世紀初頭に北と南の様々な影響が混ざり合った変換期の様式を著明に表している作品でもある。構図はラファエッロの作品を想起せずにはいられない壮大で厳格な構成によって際立てられている。画家はマニエリスムから自らを解放しようと努め、ゆったりとした描写の均衡によって、「ロマニスト」と呼ぶ当時ローマで活動していた異なる国籍を持つ画家たちの研究に加わろうとしている。これらの画家たちの中では、ムツィアーノやジュゼッペ・チェーザリの名がイタリア人画家として挙げられる。全ての画家たちがトレント公会議の強い影響を受け、より節度のある作風へと再び戻っていった。したがって人物像はよりゆったりと、光景はより明確に描かれている。

ローマのフラマン人

16世紀後半のローマにおけるフラマン人の存在は非常に顕著である。彼らは研究の機会はもとより、教皇庁の政策による高い奨励を得ることで芸術に対する熱狂的な関心が高まっていたこの街での庇護者との出会いという大きな希望に意欲を抱いてやって来た。このような画家たちにとって、当時のイタリア芸術の衝撃は絶大であった。その結果スプランゲルやホルツィウス、さらにはフェーンによってイタリア芸術の途へと駆り立てられたルーベンスといった高名な画家がローマを訪れた。彫刻家のジャン・ブローニュといった数人のアーティストはイタリアに滞在し、フェーンなどその他の作家はローマでの経験を携えて故郷に戻っていったのである。

作品データ

  • オットー・ファン・フェーン(レイデン、1556 年‐ブリュッセル、1629年)もしくは、ピーテル・パウル・ルーベンス(ヴェストファーレン州ジーゲン、1577年‐アントウェルペン、1640年)

    《ピエタ》

    ビルヌーブ・シュル・ヨンヌ教会

  • 油彩 板

    縦1.54m、横1.95m

  • フランス革命時に接収。

    INV. 1997 bis

  • 絵画

    リシュリュー翼
    3階
    フランドル 16世紀末 風景画と歴史画 ルーベンスの初期作品
    展示室15

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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