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《フランソワ・ド・ギーズの肖像》

© 1992 RMN / Daniel Arnaudet

工芸品
ルネサンス

執筆:
Sophie Baratte

アンリ2世(1519-1559年)宮廷の重要人物を描いた、この署名・制作年入りの肖像画は、フランソワ1世(1515-1547年)の治世以来、諸王に召し抱えられたリモージュの琺瑯細工師の作品である。カトリーヌ・ド・メディシスは、この作品と同じ寸法の、琺瑯肖像画の一連の作品を所有していた。青い眼と長い鼻を持つ顔には、戦争で負った傷の跡が認められるが、その描写の繊細さ、そして衣服の表現には琺瑯画の技法の熟達を見て取ることができる。

フランソワ・ド・ギーズ

二代目ギーズ公(1520-1563年)であり武人であったフランソワ1世、通称「金瘡(きんそう)公」は、1545年のブローニュ=スュル=メールの戦いで傷を負い、アンブロワーズ・パレの治療を受けた。フランソワはメスの町を攻め落とし、カール5世の攻略からこれを守る。次いで1558年には、イギリス人により占拠されていたカレーの町を奪還した。宗教戦争においてはカトリック派の大物であり、1563年のオルレアン包囲の際に、プロテスタント貴族であったポルトロ・ド・メレにより殺される。
フランソワは、クロード・ド・ギーズ(1496-1550年)とアントワネット・ド・ブルボン(1493-1583年)の間に生まれた息子であり、この二人の長方形の琺瑯肖像画はエクアンに保管されている。フランソワの息子、アンリ・ド・ギーズ(1550-1588年)は、1575年のドルマンの戦いにおいて負傷し、同じく「金瘡公」の名で呼ばれるが、旧教同盟の首領であったアンリは、1588年、アンリ3世の命によってブロワで暗殺される。その弟シャルルを描いた楕円形の大肖像画はレオナール・リモザンの作品であり、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に保管されている。ギーズ家は数多くの芸術作品が生まれるきっかけとなった家系である。例えば、それは琺瑯細工(ニューヨークのフリック・コレクションにある《「聖体の秘蹟」のプレート》)であったり、建築(オート=マルヌ県ジョワンヴィル城)であったり、彫刻(ルーヴル美術館彫刻部門に保管されている墓石部品等を参照)であったりもした。

肖像画

1557年作とされるこの大型プレートは、1810年以来、すなわちそれがヴェルサイユ城にあった頃から知られているが、それが王室コレクションやカトリーヌ・ド・メディシス・コレクションの残存物であるのか、それとも革命時の接収品なのかは分かっていなかった。大型の楕円形肖像画の寸法は、王妃カトリーヌの所蔵品目録に示されているそれに近いものである。これらのプレートは、王侯が、寵愛する美術品に囲まれながら内輪で過ごす小部屋の化粧板装飾のためのものであったと見られる。《モンモランシー大元帥の肖像》には、さまざまな装飾部分からなる旧来の額がそのまま付いている。青色の地は、レオナール・リモザン作の肖像画のほとんどに見られるものだ。細い切込み明きのついた白のプルポワンの上にギーズ公が下げている首飾りは、ルイ11世が、ガーター勲章や金羊毛騎士団に対抗するために創設した聖ミカエル王立騎士団のものである。フランソワは黒の縁なし帽を、同じく黒の羽根で飾ったものをかぶっており、肩の上には、毛皮の裏地をつけた、同じ色のケープを羽織っている。プレート裏面の裏引琺瑯は、無色のエナメルガラスであり、用いられている融剤が、緑・白・ピンク色の大理石模様を作り出している。

作品データ

  • レオナール・リモザン(1505-1577年)

    《フランソワ・ド・ギーズの肖像》

    1557年

    リモージュ

  • 銅板に描いた琺瑯

    縦46.4 cm、横36.2 cm

  • 1810年、ヴェルサイユ

    N 1255

  • 工芸品

    リシュリュー翼
    2階
    レオナール・リモザン
    展示室21

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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