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作品 《狩り場の昼食》

絵画部門 : フランス絵画

《狩り場の昼食》

© 2005 RMN / Hervé Lewandowski

絵画
フランス絵画

執筆:
Vincent Pomarède

対作品《牡鹿の死》(消失)と同様、上流社会における生きる喜びを描いているこの作品は、フォンテーヌブロー宮の王の小さな居室の食堂を飾るために制作され、カルル・ヴァンローの《狩の休息》やシャルル・パロセルの《王館での兵の休息》(ルーヴル美術館)と共に掛けられていた。

狩猟を口実にした感覚の悦楽

《狩り場の昼食》は、1737年に、フォンテーヌブロー宮にあるルイ15世の居室の大食堂のために描かれれた。歴史画家が取り上げた軽快な主題であり、摂政時代以降、居室の装飾に関する好みが変わったことを示している。田園画、もしくは狩人の生活から選ばれた主題が、神話のイメージに取って代わるようになったのである。
王室の狩猟の場面を描いた作品は以前から存在していたが(ベルナールト・ファン・オルレイによる《マクシミリアンの狩猟》など)、それらは狩猟の場面を描いたものであった。一方でこの作品には、狩と次の狩との間を口実にした屋外での昼食の場面が描かれており、そこでは食の楽しみや思わせぶりな会話、情事といった悦楽が、狩という本来の活動に勝っている。

あらゆるジャンルをこなす画家

肖像画家フランソワ・ド・トロワの息子であるジャン=フランソワには、同世代の画家の中でも際立った巨匠になりたいという野心があった。トロワは、新古典主義の反動の犠牲になったにもかかわらず、それでもなお18世紀の偉大な歴史画家の一人であり、若きジョゼフ=マリー・ヴィアンへ多大な影響を及ぼした。
1679年にパリで生まれたジャン=フランソワ・ド・トロワは、父の許で修行を積んだ後、1699年から1706年にかけてイタリアに滞在する。彼は、そこでヴェロネーゼやティツィアーノの作品から影響を受け、パリに戻った後、1708年に歴史画家として王立絵画彫刻アカデミーに入会する。
ルーヴル美術館に所蔵されている《ピラトの前のキリスト》といった宗教画の大作を制作する一方で、画家はあらゆるジャンルを進んで手がけており、それは雅宴画、当時の流行を描いた風俗画、神話画、肖像画に及び、その図像表現はしばしば女性の裸体を描く口実であった。さらにフォンテーヌブロー宮の居室のために制作されたこの《狩り場の昼食》が示しているように、トロワは、王家の居室のための装飾事業にも加わっている。重要な注文を得られないことに失望した画家は、ゴブラン製作所のために7枚のタピスリーのカルトン(下絵)を制作した。この「エステルの物語」連作は大変な評判を呼び、18世紀の間中、何度も繰り返し織られている。

ローマでの晩年

ローマのフランス・アカデミーの学長に任命されたトロワは、1738年からローマに移り、そこでタピスリーのカルトンの新しい連作の構想した。しかし、1748年のサロンに出品された「イアソンとメデイアの物語」連作は不評に終わる。不興を買った画家は、1751年にシャルル=ジョゼフ・ナトワールによってその地位を追われ、ローマで1752年に亡くなっている。

作品データ

  • ジャン=フランソワ・ド・トロワ(パリ、1679年-ローマ、1752年)

    《狩り場の昼食》

    1737年

  • 油彩、カンヴァス

    縦2.40m、横1.69m

  • 1990年、譲渡所得税の代物弁済による取得

    R.F. 1990-18

  • 絵画

    シュリー翼
    3階
    ルイ15世の画家たち
    展示室38

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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