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作品 《7月28日-民衆を導く自由の女神》

絵画部門 : フランス絵画

《7月28日-民衆を導く自由の女神》

© 2009 Musée du Louvre / Erich Lessing

絵画
フランス絵画

執筆:
Malika Bouabdellah Dorbani

第二王政復古の政府による憲法違反に反対した自由主義的な共和主義者が、1830年7月27日、28日、29日、すなわち「栄光の3日間」と呼ばれる期間にパリで引き起こした人民の蜂起は、フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、その代わりにオルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。この歴史的な出来事の証人であるドラクロワは、そこに現代的な主題を見出し、それを体系的に、しかしギリシア独立戦争を描いた時と同様のロマン主義的情熱をもって、絵画化している。

愛国的行動

自然の中であれ、ゴシック様式のオジーヴ交差穹窿であれ、猫科の動物、旅、人間の情熱、あるいは歴史の流れを変え、芸術の力の関係を反転させてしまうような出来事であれ、これら全てがドラクロワの想像力を高め、深い感動に浸った画家は、直ちにその感動を、個人的でその度に刷新される様式をもって絵画に描き出すのだ。ドラクロワが、パリで勃発したばかりの通りの怒りに与えた重要性も、大部分は画家のこの気性によるものと言ってよいだろう。
立憲君主制の維持と共和国の復興の間でなお迷っていたアドルフ・ティエールといった紛争の中心人物との友情は、この出来事に対するドラクロワの関心をかき立てずにはいなかった。ドラクロワが公的な機関や王室関係の注文に依拠しており、画家自身が曖昧であったことから、アレクサンドル・デュマが言ったように、ドラクロワは単なる傍観者としての役割に留まっていたと思われる。しかし、ドラクロワは、市民芸術家として、ルーヴルのコレクションを市街戦から守ることに貢献しており、反乱者がノートル=ダム寺院の頂に打ち立てた三色旗が翻っているのを見て、ナポレオンの帝政期を懐かしむドラクロワは感動を覚えるのである。
今まさに、祖国に対して彼の義務を果たす時が訪れたのである。画家は、甥のシャルル・ヴェルニナックに次のような手紙を書いている。「砲弾と銃声の中で3日間が過ぎた。というのも、戦闘は至る所で繰り広げられているからだ。私のような単なる傍観者は、箒の柄に取り付けた鉄片を手に、敵に向かって進むその場の英雄たちと同じような確率で、銃弾を受けたはずである。」
ドラクロワは、パリで起こった一連の壮大な出来事を、9月に寓意的なやり方で辿り始め、10月から12月にかけてそれを絵画に制作し、1831年5月のサロンで作品を展示した。
ドラクロワは、いつものように、各々のモティーフについて各段階であらかじめ制作された習作や、画家が初期から日々作り上げてきたモティーフのレパートリーを用いて、絵の構想を練りつつ、3ヶ月で作品を完成にこぎつけた。ドラクロワは、バリケードを乗り越え、敵の陣営で最後の攻撃を仕掛けようとする群集を描くことによって、この絵の本質である、造形的かつ叙事詩にふさわしい壮大な表現力を際立たせている。
勝利によって絶頂に達する高揚感は、ピラミッド型の構図で表わされ、死体が累々と横たわる土台は、その上に勝者の姿がそびえ立つ台座のように描かれている。この厳格な構図に基づいた手法は、ジェリコーの《メデューズ号の筏》や、ドラクロワ自身の《ミソロンギの廃墟に立つギリシア》にも使われており、高揚したタッチと場面の激しいリズムを抑え、バランスを取っている。

パリの革命

フリジア帽を被り、髪の房がうなじに揺れ、生き生きとした、激昂して反逆的な、勝ち誇った人民の娘として具現化された「自由」の擬人像は、1789年のフランス大革命、サン=キュロットと人民主権を想起させる。「自由」の右腕に巻きついている、戦いの象徴である青、白、赤の三色旗が、最も暗い部分から最も明るい部分へと、背景に向かって炎のごとく波打ちながらはためいている。女神が纏う黄色の衣裳は、二重のベルトで締められ、その先が脇に漂っており、古代のドレープを連想させる。乳房の下に衣裳が滑り落ちて、豊かな腋毛が露になっており、女神の肌は滑らかでなければならないとする古典主義者から、むしろ下品であると見なされた。官能的で写実的に描写された裸体は、実際には有翼の勝利の女神像に結び付けられる。女神のギリシア風の横顔、まっすぐな鼻筋、ふっくらとした口元、優美な顎と、燃えるような眼差しは、室内で《アルジェの女たち》のためにポーズしたモデルを思わせる。男たちの中で一人だけ女性であり、決然として気高く、体のシルエットがくっきりと浮かび上がり、右側から照らされて、頭を男たちの方に向けた女神は、最終的な勝利に向けて彼らを鼓舞しているのである。暗めの色で描かれた女神の右脇腹は、もくもくと立ち上る煙を背景にくっきりと浮かび上がっている。衣裳からはみ出た裸足の左足に体重をかけ、炎のように戦う姿が女神を変貌させている。この擬人像は現実の戦いに挑んでいるのだ。左手に持つ1816年モデルの歩兵隊の銃剣が、女神を本物らしい現実の近代的な存在にしている。
自発的に戦いに参加しているパリの2人の少年のうち、一人は左側で敷石にしがみついて、軽歩兵の帽子の下で目を大きく見開き、もう一人の女神の右前にいる最も有名な少年は、不公正に対して立ち上がった若者たちと崇高な大義のために捧げられた犠牲とを象徴している。彼こそがガヴロッシュで、抵抗の印であるファリューシュと呼ばれる学生の黒いビロードのベレー帽を被っている。ガヴロッシュは、彼には大きすぎる弾薬入れを肩から斜めにかけ、騎兵隊の銃を手に持って正面を向いて進み、右足を踏み出し、腕を挙げ、ときの声を上げながら、蜂起した人々を戦いへと駆り立てている。
王政派の白いリボン飾りがついたベレー帽を被り、自由主義者のように赤い布を結び、サーベルを収めるための帯を着け、1816年モデルの歩兵隊のエリート中隊のサーベルもしくは歩兵隊用のサーベルを持った戦士は、前掛けと作業用の釣りズボンから、工場の作業員であることが分かる。お腹にピストルを巻きつけているスカーフが、シャレットとヴァンデの革命軍の団結の印であるショレのハンカチを思わせる。
ブルジョワや都会人の間で流行した形である山高帽を被って跪いている男性は、おそらくドラクロワ本人もしくは彼の友人の一人であると言われており、幅広のズボンをはき、手織りの赤いフランネルのベルトを付けている。彼が手にしている2つの砲身が並んだらっぱ銃は、狩猟銃である。敷石の上で血を流し、女神を見て身を起こしている男性は、女神の衣裳のような黄色いスカーフを頭に結んでおり、作業服と農民の赤いフランネルのベルトを身に付けていることから、パリで働く出稼ぎを思い起こさせる。彼の着ている青いチョッキ、赤い首巻とシャツが、三色旗の色と呼応している。

近代的な主題

「バリケードという現代的な主題に取りかかった。私は祖国のために戦いはしなかったが、少なくともそのために絵を描こう。それで私は気分が良くなった。」(10月28日付の兄宛の書簡)地面に横たわった兵士たちが、ピラミッド型の構図の基盤に当たる前景を占めている。ズボンがなく、手を広げ、チュニックがまくり上げられた左側の遺体は、古代作品を基にアトリエで制作される裸体習作に由来している。彼は、ホメロスの英雄が現実の人物になったものとしてヘクトルと呼ばれており、「自由」の女神とともに、この絵の第二の神話的人物である。右側では、仰向けに横たわったスイス兵が、襟元に赤い勲章がついた灰青色の軍用外套と白いゲートル、短靴、シャコー(昔の前立て付き筒形軍帽)からなる現代的な軍服に身を包んでいる。彼の傍の地面には、白い肩飾をつけた半身の胸甲騎兵がうつ伏せになって横たわっている。
三角形構図の奥の左側では、ボナパルト派の二角帽を被った理工科学校生を含む学生たちと、灰色の軍用外套と軍服を着た擲(てき)弾兵の分遣隊が見える。
前景と、都会の風景の要素が見られる絵の背景右側との間にバリケードが挿入されているものの、この都会の風景は、画面の横半分を占める本格的な戦闘の場面に比べると、空ろで遠く離れた印象を受ける。ヴィクトル・ユーゴーにおけるように、ノートル=ダムの尖塔は、自由とロマン主義を表わしており、出来事が起こっているのがパリだと分からせる。パリにおけるロマン主義の象徴しており、出来事がパリで起こっていることを説明している。ノートル=ダムの尖塔がセーヌ川の左岸に向いているのは不正確で、大聖堂とセーヌ川の間に位置する家並みは、画家の想像から作り上げられたものである。
日没の光は、砲弾の煙と混ざり合い、身体のバロック的な動きを浮かび上がらせ、右の奥で輝いて、自由と少年と三色旗にオーラを与えている。
前述したように、画家の真の壮挙である色彩が、画面全体を統一している。こうして青、白、赤は対位法的な関係にあり、革装具に平行した白い肩ひもが、左側の遺体のゲートルとシャツに呼応しているのに対し、灰色の色調は軍旗の赤色を際立たせている。
ドラクロワはシャルル10世から称賛を受け、王は《キオス島の虐殺》と《シャルル豪胆王の死》を購入している。ドラクロワは、ベリー公爵夫人やオルレアン公爵夫妻とも親交があった。ドラクロワは権力者の注意を引き、人々に強い印象を与えるのを好んだが、当時ロマン主義運動の指導者と見なされており、自由を熱望した。「栄光の3日間」の間にドラクロワは率直に感動し、その感動は、「気高く、美しく、偉大な」市民の栄誉を讃えるという形で表わされたのである。
歴史的で政治的なドラクロワの作品は、記録と象徴、現代性と虚構、現実と寓意を組み合せながら、アンシャン・レジーム(旧体制)の最後の反動を物語っている。
自由の象徴および写実的で革新的な絵画上の革命であるこの作品は、より古典的な概念で現実を称賛することに慣れきっていた批評家にはねつけられる。ルイ=フィリップ体制は、絵の中でその到来が待ち望まれているものの、この作品を大衆の目から隠してしまった。この絵は、ようやく1863年にリュクサンブール美術館、そして1874年にルーヴル美術館に収蔵される。18世紀の歴史画を引き継ぎ、ピカソの《ゲルニカ》に先んじているこのロマン派的で革命的な高揚を表わしたイメージは、普遍的なものとなったのである。

                                                                                                                                      

出典

- SERULLAZ A., POMAREDE V.,  La Liberté guidant le peuple, Louvre, Paris, 2004.

- Delacroix Eugène : Journal 1822 - 1863, André Joubin  éd, Paris, 1996.

- SERULLAZ Maurice, Delacroix, Paris, 1989.

- HADJINICILAOU Nicos, Actes de la Recherche en sciences sociales, n°28, juin 1979, p. 2-26.

- TOUSSAINT Hélène, catalogue exposition dossier, Musée du Louvre, Paris, 1982.

作品データ

  • ウジェーヌ・ドラクロワ(シャラントン=サン=モーリス、1798年-パリ、1863年)

    《7月28日-民衆を導く自由の女神》

    1831年のサロン出品

  • 油彩、カンヴァス

    縦 2.60 m、横3.25 m

  • 1831年のサロンにて取得。1874年、リュクサンブール美術館からルーヴル美術館に移送

    Le 28 juillet 1830, La Barricade, La Liberté

    R.F. 129

  • 絵画

    ドゥノン翼
    2階
    モリアン ロマン主義
    展示室77

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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作品の補足情報

右中間に署名および年記:Eug.Delacroix 1830