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作品 アメンヘテプ3世の名を刻む巨像の足と台座

古代エジプト美術部門 : 新王国時代(前1550-前1069年頃)

アメンヘテプ3世の名を刻む巨像の足と台座

© 2006 Musée du Louvre / Christian Décamps

古代エジプト美術
新王国時代(前1550-前1069年頃)

執筆:
Christophe Barbotin

花崗岩でできたこの基部は、アメンヘテプ3世が造営した王崇拝神殿にあった巨像のうちの一つに属していた。台座の側面には、王に服従した南方の民たちの名が列挙されている。台座の上面にある幾つかのカルトゥーシュは、先代の銘の上に刻まれており、この巨像が再利用されたことを物語っている。

南方の民たちの支配者、ファラオ

この基部の上にあった巨大な王の立像の高さは、約8メートルに及ぶ。台座の上面、足の前方に、2行にわたる大きなヒエログリフが沈み浮彫で刻まれ、アメンヘテプ3世のカルトゥーシュ(王名を囲む長楕円形の枠)2個と形容語句が表されている。台座の正面中央に二国の統合を表すヒエログリフが見え、両側面にはエジプト南方の民族の名が、凹凸のついたカルトゥーシュの中に刻まれて列記されている。また、各カルトゥーシュの上には、両手を背中で縛られ、上エジプト固有の植物の茎で首を括られて、一列に繋がれた囚人たちの胸部が描かれている。この茎は、台座正面の中央に見える二国の統合を表すヒエログリフから発しており、上エジプトと下エジプトの統合維持を保障するファラオへの、南方諸民族の服従を象徴している。

再生利用されたファラオの巨像

アメンヘテプ3世の名があり、この彫像の出土場所が西テーベの有名なメムノンの巨像の後方に在るコム・エル=ヘイタンの神殿であることから、足しかない巨像ではあるが、その身元に疑う余地はない。しかし、目で見ただけでも分かるように、台座の上面に表された銘は、鏡のように研磨された台座の残りの表面よりやや低く、不規則な表面に刻まれていることがわかる。これは、疑いなく銘が彫りなおされたことを意味するものである。この巨像に限って言えば、アメン神の名をひたすら消し続けた、アクエンアテンの崇拝者の仕業に帰することはできない。というのも、まずアメン神の名が無傷で残っているからだ(2行目の王名の中)。次に、彼らはアメン神を表す記号だけを抹消すれば満足だったはずである。したがってアメンヘテプ3世は、先代王の巨像を、自分の神殿の中庭にある巨像群の補充に用いる為に像の身元の名を変えたと考えられている。つまり、この彫像に刻まれた先代王の称号(おそらくトトメス4世)を消し去り、元来この像が置かれていた記念建造物から自分の神殿の大きな中庭に移し、その列柱廊の東側に置かれた同タイプの一連の巨像(作品番号A19、頭部を参照)を補充するために、これを設置させたと考えられる。エジプト思想では、新しい所有者の銘に変えるだけで、古い記念物が新しい記念物に生まれ変わることが知られている。

運送時の事故

この彫像は運搬時の事故で破損したと考えられている。台座の前方左角の破損が、巨像の製作時に施された装飾や、二度目に施された彫刻より後のものと思われるからだ。また、到着後に施された修復(破損は修復され、軸ピンで固定されていた)からも、このシナリオを確証できるだろう。「新しい」巨像の装飾は、まさにこの種の災難を避けるために、彫像が最終的な場所に設置されてはじめて施こされることになっていた。

作品データ

  • アメンヘテプ3世の名を刻む巨像の足と台座

    第18王朝、紀元前1400年頃

    コム・エル=ヘイタン(西テーベ)アメンヘテプ3世神殿出土

    アスワン(採掘、及び荒削り)テーベ(仕上げ)

  • 丸彫り、及び沈み浮彫、バラ色花崗岩

    高さ1.57m、幅1.44m、奥行き2.25m

  • アメンヘテプ3世が再利用した王の巨像の足

    A 18

  • 古代エジプト美術

    シュリー翼
    1階
    神殿
    展示室12

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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