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イニウイアの石棺

© R.M.N./P. Leroy

古代エジプト美術
宗教と葬祭信仰

執筆:
Guichard Sylvie

この石棺は、第18王朝末期の高官イニウイアのものである。
イニウイアは、王の書記やメンフィスの重要な地方行政官などの称号を併せ持っていた。彼の名が記された作品は、世界中の様々な美術館の目録に何年も前から記載されていたが、墓はなかなか見つからなかった。しかし、1993年になって、エジプト調査協会とライデン国立考古学博物館の考古学者派遣隊が、サッカラにあるメンフィスの新王国時代ネクロポリス、ホルエムヘブ王墓近辺で、ついにイニウイアの墳墓を発見した。

流行を追った棺

新王国時代では、棺は、石製、木製ともに、死者のミイラ化した体の形を模した棺が最も普及した。第18王朝末期になって、いくつかの棺の蓋に、最も豪華な衣装をまとった死者の図像が浮彫彫像の様に彫られるようになる。この作品もこのタイプの一つである。イニウイアは、両腕を身体につけて横たわり、前にひだがついた長い腰巻をつけ、細かいひだのついた亜麻の上着を着用している。第19王朝初頭に流行した、「折返し入り」の重い鬘を着用している。それに対して、桶の外装は形式的なもので、小さく分けた石面に『死者の書』から抜粋された埋葬呪文や死者を守る神々の図像が交互に入っている。アヌビス神とホルス神の息子4人や、四隅では天空の四隅を支えるトキの頭をした神々が描かれている。

世界中に四散したオブジェ

腰衣の前面に縦に刻まれたヒエログリフの銘文から、イニウイアが行政を司る高官で、王の書記や偉大なメンフィスの地方行政官の称号を併せ持っていたことが分かる。イニウイアの埋葬用品は世界中の美術館に四散しており、その地理的分布は驚くべきものである。ルーヴル美術館には、この石棺の他に彼の名が刻まれたピラミディオンが1点、ベルリンのエジプト博物館には円柱が二本、カイロ・エジプト博物館ではいくつかの浮彫とステラが一点, シカゴ・オリエンタル・インスティチュートにはリンテルの断片が一片、そしてボストン美術館にはウシャブティ( ミイラの形をした小像)の小型の棺の蓋が一点収蔵されている。これらの記念の品々からイニウイアの称号(アメン神の牧場の長、ファラオの金銀財宝書記)をさらに補足でき、イニウイアの妻に関しても、名はイウイで称号はアメン神の歌い手であったことが分かっている。

イニウイアの墳墓の再発見

1993年に、ホルエムヘブ王墳墓の近辺で行われた発掘からイニウイアの墳墓が発見された。堅坑のある中庭から続く玄室と二つの礼拝堂から成っている。一つの礼拝堂は保存状態が良く、彩色が施された壁画に覆われている。もう一つは日乾煉瓦に浮彫装飾が施された階段ピラミッドが上部に備え付けられている。イニウイア夫妻が娘二人、息子二人と供にオシリス神を礼拝する様子が描かれたコーニス付きの見事なステラが発見されたのでイニウイアの家族構成も分ってきた。また、浮彫の様式や、イニウイアの息子たちが二人ともアテン神殿の財務書記官の称号を持っていることから、イニウイアの葬祭複合体の年代は、第18王朝末のポストアマルナ時代のものと推測できる。

作品データ

  • イニウイアの石棺

    新王国時代、第18王朝末、第19王朝初頭、前1400-前1290年

    サッカラ、イニウイアの墳墓から出土

  • 閃緑岩

    高さ0.72m、幅2.05m、奥行き0.65m

  • 1823年にテデナ・デュヴァン領事からの寄贈

    D 2

  • 古代エジプト美術

    シュリー翼
    1階

    展示室14

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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