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作品 バビロンの王のハンムラビ法典

古代オリエント美術部門 : メソポタミア

バビロンの王のハンムラビ法典

© 2009 RMN / Franck Raux

古代オリエント美術
メソポタミア

執筆:
Iselin Claire (d'ap. André-Salvini Béatrice)

ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴である。紀元前18世紀にバビロンの王によって建てられた玄武岩製の背の高い碑は、聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の歴史的著作と法令集である。紀元前12世紀にイランにあった近隣の国エラムの王によって運び去られた記念碑は、スーサのアクロポリスで他の名高いメソポタミアの代表作に囲まれて陳列されていた。

法律の伝統

この玄武岩製の碑は、バビロニンの王ハンムラビ(紀元前1792-1750年)によって、おそらく正義の神である太陽神シャムシュの町シッパルに建てられた。この記念碑の伝統の一環をなす他の例は、その王国の町に安置されていた。ウルのウル・ナンム王(紀元前2100年頃)とイシンのリピト・イシュタル王(紀元前1930年頃)のふたつのシュメールの法令の発布は、ハンムラビの制定に先行している。しかし、旧約聖書の律法以前に書かれた以上、古代近東の最も古い法令集といえるハンムラビ法典は、それらの試論の結実であると定義される。碑の大半を占める文書には、記念碑の存在理由が記されている。その上にそびえて描かれた場面では、王がシャムシュから授かる王権叙任が表されている。その法的内容から注目すべきこの作品は、また当時の社会、宗教、経済そして事実のみを記述する歴史を知る上で類例のない情報の源と言える。

法典の内容

文書は楔形文字とアッカド語で書かれており、3つの部分に分かれている。
‐歴史的序文では、「弱者と虐げられた者を護る者」の役割の中で、ハンムラビ王の叙任および彼の帝国とその関係について詳述する。
‐叙情的な終章では、彼の正義の業績を要約し、そして将来におけるその永続を予告する。
‐これらの文学的な二節には、バビロン王国の日常生活の規則に準拠する200近い法または裁判の判例が挿入されている。法律の部分では、日常の語彙が用いられ、王がすべての人にそれを理解してもらいたかったという理由から、ここでは文書が簡略化されている。それに対して、裁判の判決では、すべて同じ構成に従い組み立てられている。条件節で書かれた文は、権利と社会秩序を陳述する。それは「もし個人がこれこれの行為をしたなら、これこれの事が起こるだろう」というふうに、過ちを犯した者に処罰あるいは状況の決着を定めた条例の形で未来形の答えが続く。
取り扱ったテーマは1章にまとめられ、民法と刑法を扱っている。最も重要なものは、家族、奴隷、専業と商業の権利、および農業と行政の権利に関するものである。経済方策では価格や日給を定めている。バビロン社会の基本理論である家族に関する章は最も重要であり、婚約、婚姻、離婚、姦(かん)通と近親相姦、子供、養子縁組と遺産相続、および乳母の義務などを取り上げている。事例はそれら全ての局面を取り扱っているので、可能な限り最大多数の考察が集められるのである。

記念碑の意味

ハンムラビ法典は、まず第一に、けっして個別事例から一般原理を導き出すことのないメソポタミアの科学的観点に従って書かれた司法権力行使の概論として、範例的価値をもっている。いくつかの似たような考察は、一般的普遍的な原理の陳述、つまり法律を生む原因とはならない。事実、それは今日使われている意味での法典ではなく、むしろ判例の集成である。矛盾や一貫性の欠如(同じようなふたつの事例が異なった解答をもたらす)は、事実上、ここではそれが個人的な判決が問題になっていることで説明がつくのである。だから、例えば事件の首謀(しゅぼう)者の名前のようにあまりにも私的な要素は取りのぞかれたのであった。その訳は、メソポタミアでは裁判は王の特権であったので、ハンムラビは王自身が下すべきあるいは追認すべきにあった最も賢明な正義の判決の選択を提示しているからである。
しかし、この碑は単なる教育文書であるどころか、それ以上のまさに法令と君主権限によって定められた時効である、ということはつまり法典であるのである。それは裁判の裁定目録だけではなく、バビロン王国の町や隷属領地の目録をも含んでいる。そのハンムラビ王の碑には、古代メソポタミアの最も威光ある統治のひとつの総括であることの望みが込められている。それは王の晩年に書かれたが、将来の王たちに宛てられた政治的遺書であり、彼らにそれを賢明と公平の理想の手本として勧めている。事実、法典は書記学校に文学的な手本として役目を果たし、それを1千年以上にわたって書き写している。

出典

- ANDRE-SALVINI Béatrice, Le Code de Hammurabi, collection Solo, Éditions de la Réunion des musées nationaux, Paris, 2003.

- BERGMANN E. S. J., "Codex Hammurabi", in Textus Primigenius, Édition Tertia, Rome, 1953 (autographie).

- DRIVERS G. R., MILES J. C., The Babylonians Laws, Oxford, Clarendon Press, vol. 2, 1952 et 1955.

- FINET André, Le Code de Hammurabi, collection "Littératures anciennes du Proche-Orient", Éditions du Cerf,  Paris, 2002, n 6.

- MORGAN Jacques (de), JEQUIER Gustave, "Premier royaume susien", in Mémoires de la Délégation en Perse, vol. VII, "Recherches archéologiques", 2e série, Paris, 1905, pp. 28-29, pl. 5.

- ROTH Martha, Law collections from Mesopotamia and Asia Minor, Scholars Press, Atlanta, 1995.

- SCHEIL Vincent, "Code des lois de Hammurabi (Droit Privé), roi de Babylone, vers l'an 2000 av. J.-C.", in Mémoires de la Délégation en Perse, vol. IV, "Textes élamites et sémitiques", 2e série, Paris, 1902, pp. 111- 162.

- SZLECHTER Émile, Codex Hammurabi, Rome, 1977 (transcription, traduction).

作品データ

  • バビロンの王のハンムラビ法典

    紀元前1792-1750年

    イラン、スーサ

  • 玄武岩

    高さ2.25m、幅0.65m

  • 1901-1902年、ジャック・ド・モルガン発掘

    Sb 8

  • 古代オリエント美術

    リシュリュー翼
    1階
    メソポタミア:紀元前1千年紀‐紀元前2千年紀
    展示室3

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
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水・金:9時-21時45分(夜間開館)

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