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作品 大法官ナクティの墓の副葬品

古代エジプト美術部門 : 宗教と葬祭信仰

大法官ナクティの墓の副葬品

© 2007 Musée du Louvre / Georges Poncet

古代エジプト美術
宗教と葬祭信仰

執筆:
Elisabeth Delange

フランスの発掘に対する分配分を得たおかげで、ルーヴル美術館は、大法官ナクティの未盗掘の墓から発見された副葬品の半分を収蔵している。外棺と内棺がぴったりはまった棺、アカシアの幹を一木彫りにした美しい彫像、穀倉と舟の模型、武具や身繕い品の模造品、ミイラにつける装飾品などの山のような品々には驚かされるが、信仰によれば、永遠なる生活を始める死者にとってこれらの品は必要不可欠なものばかりであった。

フランスによる発掘

1903年に中部エジプトのアシュートで着手されたフランス・オリエント考古学研究所(IFAO)による発掘は、とりわけ実り多いものであった。26基の墳墓が発見され、そのうち21基は未盗掘の状態であった。そのなかで最も大きかったのは、丘の斜面に掘られた大法官ナクティの墓で、死者の彫像が数体置かれていた礼拝堂と、ミイラを納めた外棺内棺がぴったりはまる棺が安置された地下墓室から構成されていた。岩石があまりにも脆く、壁に装飾を施すことができなかったため、死者が来世に持参する様々な副葬品は、木に彫られて彩色されていた。
20世紀初頭に施行された規則によって、発掘に参加した国には発掘品の半分が分け与えられるようになったので、ルーヴル美術館は、質・量ともに中王国時代の最も素晴らしい作品群を成すナクティの副葬品40点を受け取ったのである。

埋葬室

アカシアの幹から彫り出され、礼拝堂に安置されていた有名なナクティの彫像(大法官ナクティの大彫像の作品解説にリンク)にはここでは触れずに、地下墓室に焦点を当ててみる。きわめて狭い部屋だが、多数の品が棺の周りに配置されている。蓋の上には、弓、矢、矢筒の模造品、銅製の手斧や鑿など、様々な武具や道具が置かれている。死者を表す一連の小彫像が、棺の側面に描かれた大きなウジャト(ホルス)の眼の視線の下に列をなして置かれている。棺の周囲には、供物を運ぶ女性や、粉屋やビール作りをする者が忙しく働きまわっている穀倉や、水夫やこぎ手を乗せた舟の模型がみえる。これらの木製の模型には彩色が施されている。ナクティのミイラは、葬祭銘文と美しく彩色された図像で装飾された二重の木箱の中に納められ、脇腹を下にして横向きに寝た状態で、壺や身繕い品の入った布の包みで支えられていた。ミイラ自体も、銀の大きな玉の首飾り、色付きのビーズでできた装身具、エジプト・ファイアンス製の護符などで飾られていた。このような様々な品を持って、死者は来世での生活を始めることができたのである。

葬祭概念

中王国時代になると、オシリス神信仰が飛躍的に普及し、誰しもがオシリス神と同じ運命を辿って、死後に永遠なる生命を享受できると考えられるようになった。エジプト人は、来世の生活はこの世のものと全く同じものだと考え、よって死後も食糧を永遠に調達しなければならなかったが、いくつかの食事の模型を作って置いておくと、食事は何回でも出てくると信じられた。また、死者は彫像を介して生きると考えられていたので何体もの彫像が作られることになった。死後快適に過ごせるように、ミイラは身繕い品を持参し、全ての悪霊から身を守る装身具を身につけていた。棺の内壁面に記された呪文のおかげで、死者は来世で出会う様々な罠を避けることができ、山積した品々は死者が永遠に使うことができると信じられていた。

作品データ

  • 大法官ナクティの墓の副葬品

    中王国時代、第12王朝、センウセレト1世治世下(前1943-前1898年)

    アシュート、7号墳墓出土

  • 木と金属、多彩色

  • 1903年にエジプト政府から発掘分配分として寄贈

    E 11936

  • 古代エジプト美術

    シュリー翼
    1階

    展示室16

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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