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見学コース ギリシア彫刻, 人体を征服した古代ギリシア人

古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

サモトラケのニケ(部分)古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門
サモトラケのニケ(部分)古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門

© 2014 Musée du Louvre / Philippe Fuzeau

00イントロダクション

サマトラケのニケやミロのヴィーナスは、ルーヴル美術館の所蔵作品のなかでも、最も賞嘆すべき作品のひとつです。この2点の彫刻作品は、人体を驚くほどの巧みな描写で表現しながら、「ギリシア精神」を体現しています。この見学コースをたどると、西洋美術に今日に到るまでたゆみなく痕跡を残す、ギリシア人の「人体の征服」の過程を追うことができます。

何よりもまず人間の肉体をインスピレーション源としたギリシアの芸術家たちは、人間の度量に見合った、かつ人間を中心にした芸術を創造しました。これは、手の届かない神の方ばかりに目が向いていた、それ以前の他の古代文明と一線を画するものでした。
古代エジプトでは、書の創造を司る神、トト神が、魔力や潜在的に生き物の持つ力をもって、すべての彫像芸術をも司っていました。神々や死者に捧げられるためのものであった彫像芸術は、よって最初から完璧であるはずとされ、世界の調和に不可欠とされる根元的な原則を強制されていたのでした。そこから、エジプト美術がなぜ、彫刻の分野において、3000年以上もの長い間保守主義を貫き通したのかが理解できます。この非常に組織化された枠組みの中では、表現様式の革新は、結局のところ目立たない程度のものでした。なぜなら、それには危険が伴うものだったからです。
それに反してギリシアでは、人間が創造するものにはすべて改善の余地があり、気難しく気まぐれなギリシアの神々のご機嫌をとるには、常に改良を行うことが必要なのでした。したがって、ギリシア社会の主な原動力であった、アゴン(公式競技で行われる格闘)の競争精神が、ギリシア全土の都市国家の芸術家たちを、世代ごとの絶え間ない進歩へと誘(いざな)って行ったのです。こうして、7世紀にも満たない期間のうちに、幾何学様式の単純な彫像が、ミロのヴィーナスやボルゲーゼの剣闘士の姿を表現するまでの変化を遂げたのです。
そして、このようにしてギリシア文明は、紀元前の最後の千年紀において、その後の西洋における、あらゆる芸術創造の基本をつくったのです。


Itinéraire jusqu'à la prochaine œuvre :
ドノン翼の方へ向かってください。検札を過ぎたら、左手の階段を上ってください。かつてのナポレオン3世の厩舎があった、このギリシア前古典主義の回廊が、ギリシア彫刻の見学コースのスタート地点です。

Têtes de statuettes féminines
Têtes de statuettes féminines

© R.M.N./H. Lewandowski

01女性小像の頭部

その純粋な線が、現在の私たちの目に何よりも印象的なこれらの作品は、左の展示ケースに例が見られるような、大きな彫像の一部です。これらの像がどのような用途を持っていたのか、正確には分かっていないので、総体的に「偶像」を意味する、ギリシア語の「Image」という名で呼ばれています。
キュクラデス諸島のアモルゴス島で制作された、これら「キュクラデスの」偶像や、クレタ島の宮殿の絵画、ミュケナイのテラコッタの彫像は、前3千年紀の間に創られました。そのうちいくつかは、次の展示ケースで鑑賞することができます。

次の作品までのルート :
左手の、上に「Époque géométrique(幾何学様式時代)」と書かれている展示ケースへ進んでください。

Grèce : galerie préclassique , vitrine d'époque géométrique
Grèce : galerie préclassique , vitrine d'époque géométrique

© Musée du Louvre / A. Dequier

02ギリシア:前古典主義の回廊、幾何学様式時代の展示棚

幾何学様式時代は、年代的に見てギリシア芸術の第一期にあたります。この時期にギリシア人はフェニキア文字を取り入れ、また、『イリアス』や『オデュッセイア』の作者と考えられている、ホメロスが生きたとされる時代でもあります。この「幾何学様式時代」という名称は、前900-700年頃の陶器の壺に見られる、簡素で幾何学的な形を基本にした装飾が理由で付けられました。この時代の末期、前8世紀になると、小さな壺やブロンズ小像に、人や動物を象った装飾が頻繁に見られるようになります。
ギリシアにおける、初期の彫刻作品は、このように高さ10cm程のブロンズ小像でした。これらの品は、有名なオリンピアのような、主要な神殿において、神々に奉納品や贈物として捧げられました。丸彫の技術を使ってはいても、そこに見られる形状は、三角形や他の基本的な形に還元されたものです。
こうして多くの品は神々のご機嫌を取るためのもので、「彫像」と訳されているギリシア語の「アガルマ」には、「喜びの品」という意味がありました。神々にさらに気に入られるために、芸術家たちは世代ごとに、人体の実態をますます忠実に模すことを追求し、彫刻芸術に改良を加えていったのでした。この探求はわずか3世紀ののち、古典期の初期にその実を結ぶことになります。

次の作品までのルート :
回廊の中央の、次の展示棚へ進んでください。

女性像、通称《オーセールの婦人》
女性像、通称《オーセールの婦人》

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

03女性小像、通称「オーセールの婦人」

前7世紀頃のオリエント化の時代になると、大きな彫像が登場します。一般にフェニキア人であった商人が、織物、象牙、宝石類をもたらし、そうしてエジプトやレヴァントから装飾モチーフが伝播しました。ナイルの三角州にギリシアの植民地、ナウクラティスが建設され、古代の著述によると、サモス出身の2人の彫刻家がエジプトで技術を学んだといいます。ギリシア人は、この公然と行われた模倣に対し、少しも気まずい思いはなかったようです。哲学者プラトンは、他の文明から借用したものはすべて、ギリシア人の才覚によって向上した、と断言しています。
この、未だにモデルは不明の《オーセールの婦人》は、高さはわずか75cmですが、石像の最も古い例のひとつです。この作品は19世紀末にオーセール(フランス)で行われた競売の際に「再発見」されました。
前630-600年頃におそらくクレタ島で制作されたこの像は、未だに原材料の石灰石の塊の中に囚われているように見えます。衣服の上に見られる切込みが示すように、部分によっては色が付けられていました。顔を重く縁取っている髪は、像に少しエジプト風の雰囲気を与えていますが、これはオリエント化時代に花開いた、ダイダロス派と呼ばれる流れに特徴的な点です。この種の彫像の他の例は、右手の展示ケースにも見ることができます。

次の作品までのルート :
続いて隣の、回廊中央にある大きな彫像のところまで進んでください。

ケラミエスの作品群のコレー
ケラミエスの作品群のコレー

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

04ケラミエス群像のコレー

アルカイック時代にともない、前6世紀ころには彫刻家たちは、小像ではなく、石灰石や大理石製の彫像を制作するようになります。この時期に創られた2種類の彫像の型、すなわち若い男性裸像(ギリシア語で「クーロス」)と衣服をまとった若い娘の像(「コレー」)は、ギリシア芸術の末期まで存続することになります。これら若い男女の像は、骨格の上の筋肉の付き方や、体にまとう衣服のひだの表現の、習作の題材でした。
若い娘の彫像は、概して神々に一生を捧げる巫女を連想させ、しばし奉納品を持つ格好で表わされます。このコレーは、サモスのヘラ神殿の群像の一部でした。この群像は、コレーの太腿の上の、ヴェールの端に見受けられる銘記によると、ケラミエスという人物が女神ヘラに奉げたものでした。
作者は、衣服の下の体に、実際に近いかたちを与えるよう努めました。まるで息をしているかのような、腹部や高く張り出した胸のふくらみに注目してください。彼は衣服のテクスチャーにもさまざまな質感を出しています。右手の親指でおさえられたヴェールの繊細な透明感や、キトン(麻のチュニカ)の平行で幅の狭いひだ、重く垂れ下がるヒマティオン(たくさんのピンで右肩に留められた毛糸のマント)は、扇状の小さなひだのつながりを形成しています。

次の作品までのルート :
数歩下がった右後ろに、2体の男性のトルソが続きます。

Torse de couros
Torse de couros

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

05クーロスのトルソ

右足を前に出し、まっすぐ正面を向き、両腕を脇につけて立つ、クーロス(男性裸像)の型も、エジプトから借用されたものです。
しかしながら、裸で過ごすことが彼等の生活様式の大きな特徴であったギリシア世界に反して、エジプトの美術においては、裸像はほとんど例外的なものでした。ギリシアでは、スポーツは裸で行うものでした。オリンピアの例が挙げられるように、ギリシア中のポリスが集まって行う古代ギリシアの競技会の際にも、選手は裸で競技を行ったのです。よって、古代ギリシア人にとっては、裸体を表現することは、出自を示したり、自分がいかに文明度が高いかを表明したりすることにつながっていたのです。
これら男性裸像で表わされたのは、例えば神々や、神々に仕える奉仕人、大会で勝利を手にしたスポーツ選手、または墓の上に立てる死者の姿などでした。その宗教的な性格から、その型は保守的であらざるを得ず、ギリシア中の彫刻家がそれらの像を複製しました。
にもかかわらず、美術史家によると、各ポリスや各「流派」に特有の様式から、それらの制作地を特定することができます。アテナイの彫刻家は、アルゴスの彫刻家と同じクーロスを作らないというのです。骨や筋肉をより正確に表現することで、ますます実際に近づける努力をしながらも、彫刻家たちは何においてもまず、完璧で、浮世離れした像を作ることを試みました。この、どんどん肉体に忠実な描写へと向かっていった進展の過程から、年代順にこれらの作品を分類することができます。
たとえば、この2点の彫像は制作年代が20年離れていますが、それは胸郭や腹筋の造形がそれを示しているのです。

次の作品までのルート :
男性のトルスと馬の頸がある展示棚までまっすぐ進んでください。
パロス島に由来するクーロスの前を通り過ぎますが、そのより丸みを帯びた姿にご注目ください。

騎士の頭部、通称《ランパンの騎士》
騎士の頭部、通称《ランパンの騎士》

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

06騎士の頭部、通称「ランパンの騎士」

19世紀にアテネのアクロポリスで、外交官ランパンに発見されたこの彫像においても、依然として人体構造は、形よりも線が重視されているように見えます。それにつけても、ポーズや、正面性とのわずかな断絶における独創性から、これは他の作品と一線を画しています。現在では一部のみが残っている馬の上に乗るランパンの騎士は、葉飾りが施された王冠を被っていますが、それは彼が競技会で勝利したことを示しています。鋳造により復元された騎士の体は、アテネのアクロポリス美術館に保存されています。騎士の髪と髭は、非常に繊細に加工されています。
彼がたたえる微笑は、アルカイック時代特有の表情に生命を吹き込んでいます。この表情は当時のエジプト美術から借用したものであると同時に、顔の下部を表現するための技術的な解決策でもありました。これは、感情を表現しているわけではありません。というのも、死んでゆく人物も同じような表情で描かれているのです。
赤色の跡が目、髪、髭に精彩を与えています。同じく赤色の痕跡から、小さな口髭が見えてくるような気もします。
しかしながら、この大理石の塊に本来の形を見出すのは甚だ困難なことです。実は、丸彫にしろ浅浮彫にしろ、ギリシア彫刻にはすべて、細部に色付けや、金属のはめ込みがされていたのですが、そのうち、色褪せた色彩の痕跡をとどめる作品はごくわずかです。世に送り出されてから長い年月が経ち、今日では色が落ちてしまったこれらの彫像が、制作された当時のように色彩豊かな状態をみれば、私たちは驚くことでしょう。これらが再発見されたルネサンス時代からずっと、多くの人々は、ギリシア芸術は白一色だったと思っているのですから!

次の作品までのルート :
回廊の奥中央の、階段の下にある大きなトルソのところへ進んでください。

男性トルソ
男性トルソ

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

07男性のトルソ

今日では部分的に砕けてしまったこの彫像は、壁に取り付けるための、金属製のほぞをはめ込むように、後部にもうけられたくぼみが物語るように、ローマ時代にローマ人がミトレスに建てた劇場で再利用されていました。
彫刻家の間にあった、ギリシア精神に独特の競争意識が、より視覚的現実に忠実な形へと常に向かっていった、急速な進化を説明しています。写実主義は古典期(前480-323年)の初期に頂点に達します。たとえばこの前480年に制作されたトルソは、まるで本物のような肉体を表現しています。腹筋や脇腹の鋸筋の描写は、実際に近いのですが、どこかに、まだそう昔のことではなかったアルカイック時代の痕跡が残っています。たとえば、非常に装飾的に加工されている恥丘の毛や、腰のあたりの強い曲線などが当てはまります。
しかし、右の肩甲骨の形から、腕が前に伸びていたことが分かります。左より高い位置にある右の腰、そして左側が収縮した臀部は、片方の腰を前に突き出し、自然に片足に重心を置いて立つ男性を表わしています。これはクーロスの硬直した像とは対照的なものでした。
古典期の彫刻家たちの探求は、様々な方面にわたっていましたが、それは主に男性の肉体に集中していて、やがてその肉体が動くところを表現しようと試みます。アルカイック・スマイルはもう姿を消しました。
これらの特徴はすべて、階段を上がったところにある、オリンピア神殿の装飾の破片に見ることができます。神殿でこれらの破片が元々どのように配置されていたのかが、模型によって想像できるようになっています。

次の作品までのルート :
奥に《ミロのヴィーナス》が置かれている左の廊下を進んでください。企画展示に使われるディアナの間を過ぎたら右に曲がってください。
悲劇を司るムーサ、メルポメネの回廊に出ます。左手奥に彼女を象った巨大なローマ彫刻が見えます。

Tête d'Iris dite "Tête Laborde" : fragment de figure féminine du fronton ouest du Parthénon
Tête d'Iris dite "Tête Laborde" : fragment de figure féminine du fronton ouest du Parthénon

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

08イリスの頭部、通称「ラボルドの頭部」

フェイディアスは、前450年頃、ペリクレスの時代の、アテナイ再建の指揮者でした。彼はパルテノン神殿の装飾も手がけます。それは、戦争でペルシア人に勝利したことを女神アテナに感謝する、アテナイの市民から贈られたアテナ像のための宝物庫の装飾でした。宝物庫とは、奉納品を収めるための建物です。そのアテナ像は、高さが12mもあり、1トンにも及ぶ象牙と金の化粧板が木組みの上に施されていました。この種の金と象牙でできた彫像は、もっとも高価なものでした。左手の壁ぎわに、そのアテナ像の、ローマ時代の大理石製の縮小版があります。
フェイディアスは同じような彫像をもう1体制作しました。古代に世界の七不思議のひとつとされていたオリンピアのゼウス像です。そのオリンピア神殿の模型の中には、この頭部の複製が見られました。
破風を背に際立つこの無表情な頭部は、感情を超越したような浮世離れした表情で、その構造は巧みに均整がとれています。顔の長さは鼻のちょうど3倍にあたり、額は鼻の延長線上にあります。いわゆる「ギリシア風の横顔」です。この抽象的な完成品をゆるがすような、人間的なはかない感情表現は、ここにはありません。彼らは、浮世の現実ではなく、神の、そしてプラトンのイデア(理想)が謳う美を表現しようとしたのです。前4世紀にプラトンは、いかなる芸術家も、幻覚の源である人間の持つ偶然性からは程遠い、理想美に達することはできないと論じます。必要とあれば具象を拠りどころとしつつ、しかしその具象を超越するために行う、厳格な知的探求をもってのみ、理想美に達することができるというのです。

次の作品までのルート :
右側を進み、このパルテノン神殿のフリーズの断片をご覧ください。

「エルガスティナイのプレート」
「エルガスティナイのプレート」

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

09エルガスティナイ(女工)のプレート

しかしながら、このパルテノンのフリーズの断片に見られる、男性の筋肉や腕の静脈の表現、そしてペプロス(列をつくる若い娘たちの毛糸のドレス)の端の織物の効果などの細部には、これらの作品を現実性に結びつけるものがあります。一方、今日では失われてしまった色彩(青と金)は、現在の簡素な印象を変えてしまうことでしょう。
歴史家によっては、ここによくその様が表われている古典芸術は、抽象と写実という、相反する2つの芸術的傾向の間の完全な均衡を示していた、と言います。そのすばらしい要約として、ゲーテをもって「ギリシア人は神を人間に似せたのではなく、人間を神の姿で表わしたのだ」と言わせました。

次の作品までのルート :
回廊を進んでください。向かい合う2体の女性像の前を大股で通り過ぎ、オリジナルのギリシア彫刻作品を後にします。次は、現在はそのほとんどが失われた、古典期のギリシア彫刻を元に作られた、ローマの複製作品のところへ着きます。
もう少し先の右手、アテナ・パルテノス像の向かいに、男性のトルソがあります。

アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」
アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」

© 2010 Musée du Louvre / Anne Chauvet

10アフロディーテ、通称ミロのヴィーナス

ヘレニズム時代(前323-31年)は、古代ギリシア史の最後の重要な時代となります。アレクサンドロス大王は、巨大な帝国を後に残していきますが、それはまもなくいくつもの王国に分かれてしまいます。その国々ではどこも、多岐の分野にわたる、独自の芸術創造の場になった、と言ってもよいでしょう。その後、前2世紀後半になると、彼らは政治的独立を保てなくなり、結局ローマの一員になります。ギリシアの芸術家たちは、ギリシア古典美術をたいへん好んだローマ人の要求を満たすため、自らの独創性をあきらめることになります。
ミロのヴィーナス、というよりむしろ、彫刻が1820年に発見された島にちなんだ名称で、ミロス島のアフロディーテは、ギリシアのオリジナル彫刻のなかで、最も大きなもののひとつです。
ここでもまたポリュクレイトスの美の規範が、再検討されて取り入れられています。カノンはよりすらりと伸び、頭はむしろ小さく、交差配列法は大きいねじれの中、3次元を手中に収めたようです。《アルルのヴィーナス》のモチーフを取り入れた構図には、プラクシテレスの影響も感じ取れます。この像は、おそらく前100年頃に、ローマ人の趣向に合わせ、「新古典」と呼ばれる様式で制作されたものです。というのもこの像の顔には、古典期特有の無表情さと、ヘレニズム時代の裸体表現における写実的な要素が織り交ぜられています。古典時代の中性的な顔と、ヘレニズム時代の写実的なふっくらした肉体描写の対比に注目してください。
現在の私たちの目にも魅力的なこの彫像は、もし、今は失われてしまった腕や宝飾類、色彩を取り戻したら、よりいっそう高く評価されるのでしょうか。

次の作品までのルート :
ミロのヴィーナスに背を向け、他のヘレニズム時代の作品が並ぶ回廊の中を進んでください。右に曲がり、カリアティード(女像柱)の間へ入ってください。この部屋の奥には、その名称の由来となったルネサンス期の女像柱が4本建っています。

《ディアドゥメノス》型のトルソ
《ディアドゥメノス》型のトルソ

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

11「ディアドゥメノス」型のトルス

古典期は、ローマ時代の複製によってのみその作品が知られている、偉大な彫刻家たちによって痕跡をとどめています。ギリシア美術をこよなく愛したローマ人は、著名な彫刻作品の膨大な数の複製を作り、庭、体育場、浴場などに装飾として置いていたのです。それらの複製品は、主に大理石製で、しばしば、キリスト教時代に融解されてしまったブロンズ像をもとに制作されたものです。そこから私たちは何人かのギリシア人彫刻家の制作活動を、おおよそですが知ることができます。ギリシア語やラテン語の文献も、正確な情報を与えてくれますが、残念ながら図解はありません。
例えば前440-430年頃、アルゴス島の彫刻家ポリュクレイトスも、これも今日では失われてしまった彼の著書のなかで、理想美の表現を、ギリシア語で「規準」を意味するカノンと言う言葉で、定義付けています。その書の中から唯一残っている文句は、美が数の巧みな計算の結果得られるものだと言っています。彼は、頭部の長さが体全体の7分の1の比率、そして筋肉の付いた体がリラックスした状態の自然な姿勢を表わす、肩と腰が交差して対応する方式について説明しています。その律動は大きなX字(ギリシア語で「キ」と発音。そこからキアスム、交差配列法と言う言葉が生まれた。)で構成され、実のところは人工的に再現された姿勢を特徴付けています。これは時にイタリア語の言葉を使って「コントラポスト」と呼ばれます。この頭に勝利のはちまきを巻いたスポーツ選手のトルソは、新しい肉体の定義を表明しています。

次の作品までのルート :
右手の窓の前、手にりんごを持つ女性の彫像まで進んでください。

12アフロディーテ、通称「ウェヌス・ジェニトリックス」

前430年、ペストの害がアテナイを襲うと同時に、ギリシアの都市国家が対立しあったペロポネソス戦争が起こりました。深刻な道徳的危機がそれに引き続きました。彼等は、そのような不幸を自分たちにもたらす神々に疑問を抱き始めたのです。それと同時に、世間の災害から目をそらすため、芸術家たちは女性的な優しさや、恵みを追求していたように見受けられます。
そこで当時、愛と美の女神アフロディーテの象徴は、大きな発展を遂げました。海から生まれた女神は、少しずつ服を脱いでいきます。女性の裸像は当時まだ非常に珍しいもので、宴会用の壺に描かれる遊女に限られていました。
水に濡れた布は、女神の体を隠すというよりむしろ引き立てています。皮膚に張りついたひだはすべて、性器が形作る三角形に集まって行っています。左肩の上に衣服を持ち上げる、女神のしなをつくった動作は、当時流行していたマニエリスム的な表象の傾向を特徴付けています。
頭をかしげる動作は斬新なもので、女神は信者に向かって厚情を表わしながら身を傾けているかのようです。しかし目鼻立ちは、パルテノン神殿にあった像の頭部に見られるものに、あらゆる点においてよく似ています。ここにおいてもまた、超人間的で無表情な顔が表現されていて、髪型と、加えられた宝飾品のみが(イアリングのためのピアスの穴に注目してください)実際の女性らしさを与えていました。それでもなお、ポリュクレイトスのカノンと交差配列法(キアスム)から、この彫像にはそれなりの重さが与えられています。
今お立ちの周りにある彫刻の数々のなかで、それぞれが少しずつ新しい要素(重心を置く足のちがい、像が体重をかける柱など)を加えているとはいえ、一体何人の彫刻家がこれと同じ表現方式を踏襲しているかを見てみてください。

次の作品までのルート :
プラクシテレスの作品の摸造品が展示されている、回廊の奥まで進んでください。こちらはプラクシテレス作ではないムーサのメルポメネを象った巨像の右に、首のない女性の裸像があります。

Torse féminin du type de "l'Aphrodite de Cnide''
Torse féminin du type de "l'Aphrodite de Cnide''

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

13「クニドスのアフロディーテ」型の女性のトルス

前4世紀、アテナイの彫刻家プラクシテレスは、アフロディーテを裸にしてしまいます。これが西洋美術における裸婦像の誕生となりました。左手にある、アルルで発見されたヴィーナス像が胸部のみをさらけ出しているのに対して、クニドスのアフロディーテ像は全裸で、左手で衣服を置き、右手では性器を隠して(または指差して?)います。窓の向かいの小さな展示ケースには、この像と同じ原型を基にした複製の、破損が少ないものがいくつかあります。
あまり豊かとはいえない、肉体の構造というよりは、主にそのポーズが、像の女性らしさや、腰の丸み、ぴったりとくっ付けた太腿などを強調しています。特にその背中の線はよく観察されています。ところでこの点は、当時は新しいものでした。というのは、前4世紀末には、彫刻家たちはそれまでの正面重視から脱皮します。(遠くに見えるウェヌス・ゲニトリクスの背中を見てください)
このアフロディーテ像は当時、今のモナ・リザのように有名でしたが、古代の作家たちが記すところによると、とりわけその「潤んだ」眼が信者たちに感銘をあたえていたようです。同じ像を基にした複製が右側にありますが、そのどれも、繊細に色付けされたオリジナルの大理石像の本来の姿は表現し得ないでしょう。
左手にもう1点、プラクシテレスの彫刻の複製、《アポロン・サウロクトノス》があります。デルフォイの神託所を護る大蛇ピュトンを殺す、残酷な神アポロンは、華奢な少年の姿で、蛇にいたずらをするために、木の幹にしなやかにもたれかかっています。この頃、新しい宗教観から捉えられた神々は、より若い姿で描かれるようになります。

次の作品までのルート :
隣の回廊へ行ってください。《ミロのヴィーナス》の後ろに出ます。

Hermès à la sandale
Hermès à la sandale

© R.M.N./H. Lewandowski

14サンダルを履くヘルメス

カリアティードの間には、ヘレニズム時代のギリシア作品の、ローマ時代の複製品が置かれています。その基となる作品はすべて失われてしまいました。暖炉の前には、彫刻家リュシッポスの作品を想起させる彫刻があり、そのまま進むと、この卓越し、際立った時代の、多種多様の表現探求を引き継ぐ一連の彫刻が見えます。
プラクシテレスの同時代人で、アレクサンドロス大王の公式の肖像作家だった、ブロンズ職人リュシッポスは、第一に男性の肉体に関心を持っていました。非常に多くの作品が、彼の工房で制作されたと推定されています。
父ゼウスの命令を聞きながら、サンダルを履くヘルメスの像は、リュシッポスの研究に特徴的です。しかしここで注意が必要です。実はこの像の頭部は、同じオリジナルの別の複製に由来するので小さすぎ、そして太腿の下の場違いな木の幹は、複製を作ったローマ人が、ブロンズ像を大理石像に移し替えた際に加えられた、支えなのです。
リュシッポスは、ポリュクレイトスのカノンに、縦方向に伸ばすことで修正を加えました。プロポーションはよりほっそりしたものになり、頭の長さはもはや身長全体の8分の1、そして筋肉の付き方はよりすらりとしています。もちろん、右にあるヘラクレス像の場合を除いてですが。また、リュシッポスが像を光と影が効果を出す、私たちが住む空間の中に組み入れようとしていた意思も伝わってきます。
左手にある高間の中には、リュシッポス作のアレクサンドロス大王の肖像を囲む、哲学者たちの肖像が見えるでしょう。立像の肖像は、ヘレニズム期の彫刻家たちのお気に入りの主題でしたが、残念ながらローマの複製品はその頭部だけを取り入れたのでした。

次の作品までのルート :
左にある、手首から木に吊るされた男性を表わす彫像の方へ進んでください。

刑罰に処せられたマルシュアス
刑罰に処せられたマルシュアス

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

15拷問されるマルシュアス

ヘレニズム時代は、時に「バロック的」と表現される、まったく斬新でしばし非常に力強い作品を生みます。小アジアのペルガモンの彫刻家たちは、3次元の世界の中での弾けるようなポーズを捉えた、闘士の群像において、悲惨さや、苦痛、死の表現などに磨きをかけました。盛り上がった筋肉や、細かく観察された民族性を表わす目鼻立ち、また傷から滴り落ちる血を描写することは、革新的なことでした。
その例にもれず、力強く斬新なこの作品は、サテュロスのマルシュアスが、大胆にもアポロンに音楽の競演会で挑戦したために、松の木に吊るされ、生きたまま皮を剥がれるのを待っているところを表わしたものです。ここに来て重力の問題、したがって古典期の彫刻家たちの心配事から開放されたこの男性像は、人体研究の主題となり、まるですでに皮を剥がれてしまった人体標本のようです。光と影がこの引きつった肉体を、悲痛な、ためらうことのない写実主義をもって描いています。この像は、やがて十字架に架けられたキリストの像に影響を与えることになった、とも言われていました。影が、サテュロスの苦しむ顔の凹凸を引き立てています。サテュロスは彼に刑罰を与える準備をする、死刑執行人を見つめています。
この容赦ない写実主義は、もう少し先の左の窓のそばにある、想像上のホメロスの肖像の表現にも現れています。もじゃもじゃした髭や、盲目の瞳にかぶさる重い瞼、または、年齢によりしぼんだ皮膚感などは、どれもが、ペルガモンのバロック美術からの借用なのです。

次の作品までのルート :
回廊の奥、カリアティードの前でマットレスに横たわる像の前まで進んでください。(17世紀ベルニーニ作)

16眠るヘルマフロディトス

ヘルメスとアフロディーテの息子、ヘルマフロディトスは、ニンフのサルマキスの誘惑を拒みました。サルマキスはそこで全能の神ゼウスに、2人の体を永遠にひとつにし、両性具有の体にしてほしいと頼みます。非常に劇的な驚きの効果で、このけだるい女性の肉体は、周囲から鑑賞する者の目に、赤裸々な、はっきりとした性を見せつけるのです。
優美な肉体のしなやかな曲線、肌や顔の描き方はプラクシテレスの作品を反映していますが、表と裏、男と女、眠りとひねった姿勢、といった対比の作用は、対照的なものや変わったものへの嗜好を示し、それはヘレニズム芸術の精神をよく表わしています。
果たしてこの作品の中には、明快なエロスの作用を見て取るべきなのか、それとも、プラトンの饗宴に描かれたような、愛の本質についての哲学的な概念の解釈として理解するべきなのでしょうか。実際、当時の芸術家たちは、しばしば、今日では理解しにくいような、寓話に基づいた主題に関心を持っていました。
今ここに来る前に、前を通り過ぎた《ガチョウと子供》の像は、それ以前のもののように大人を小さくした像ではなく、初めて本当の子供の姿を象ったものです。しかしこの像の正確な意味は分かっていません。
同じく、いたずらなエロスが、年老いたケンタウロスにまたがっていじめている群像からは、一体どのような教訓を読み取ればいいのでしょう。いずれにせよそこからは、ペルガモンの手本からの影響が明らかな、作品の中に見られる、人生の両極にある年齢や、人間性と動物性の興味深い対比が感じられます。

次の作品までのルート :
後ろを振り返り、《ガチョウと子供》の前の、しゃがむ女性の像を見てください。

うずくまるアフロディーテ
うずくまるアフロディーテ

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

17しゃがむアフロディーテ

ヘレニズム時代は、古典期の主題が再度取り入れられることがよくありました。そして様々な姿勢の裸のアフロディーテ像が、プラクシテレスが制作した《入浴するアフロディーテ》に限りなく変化をつけて描かれた形で、数多く残っています。
ここでは、女神はしゃがんだ状態で、日常的な入浴の場面を捉えられています。こうして、旋回するピラミッド型の構図のなかに、ポリュクレイトスの交差配列法を踏襲しています。このねじれた姿勢により、彫刻家は豊かで官能的な肌の皺を増やすことができました。女神の肉体は、この時代にはずっとたっぷりし、巧みに均整のとれた構図の技法を用いて描かれるようになります。女神の背中に見られる手は、今日では失われてしまった子供の姿のエロス像の手です。
この種の彫像は、ローマ人の複製作家が浴場の装飾のために競って模倣するようになります。
この部屋には、他にもアフロディーテを表わした像がありますが、一人の女性の裸体が表裏で変化する面の効果を表わした、三美神もご覧ください。

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カリアティードの間へ入ったときと同じ入口から外に出て、右に曲がってください。再びディアナの間を通り、オリンピア神殿の破片の前を過ぎたら、階段を登ってください。
《サマトラケのニケ》の階段(ダリュの階段)の下に出ます。

サモトラケのニケ
サモトラケのニケ

© 2014 Musée du Louvre / Philippe Fuzeau

18サマトラケのニケ

おそらく地震の際に壊れてしまったギリシアのオリジナル作品の傑作品、サマトラケのニケは、1863年にフランス副領事が、エーゲ海の北東のサマトラケ島にて無数の破片になっていたものを発見しました。右の翼は、唯一保存されていた左の翼を模倣して、石膏で作られました。足の下のセメントの台座も近代に制作されたものです。勝利の女神は船の甲板に直接置かれていたはずです。この像は丘の上の小神殿の中に斜めに置かれていました。それで、像の右側の加工がなぜあまり綿密でないのかが説明がつきます。ヘレニズム的な趣味で劇的に演出され、翼や衣服は風にはためいています。
ギリシア語で「ニケ」と呼ばれる勝利の女神は、船の甲板に出た瞬間を捉えられていますが、彼女は船に神々の加護をもたらします。1950年に再発見された女神の右手から、本来どのような動作をしていたのかが想像できます。手を挙げ、彼女は出来事を告げているのです。
様式的な面から細部を考慮に入れると、研究者たちは、このモニュメントはおそらくロードス島の住民が、前190年頃に起こった海戦での勝利を神々に感謝するために贈った奉納品であった、と考えています。そのプロポーションや体の線の表現、ひだの加工法、劇的な大きな動作はどれも、ヘレニズム時代の写実探求を証明する要素です。

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階段をふたたび降り、回廊のローマ時代の棺の間を進んでください。左手奥に、動いている瞬間を捉えられた大きな男性像があります。

戦う戦士
戦う戦士

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

19闘う戦士(ボルゲーゼの剣闘士)

1807年にナポレオンが購入した、ボルゲーゼ・コレクションに由来するこの戦士の像は、誤って「剣闘士」と呼ばれています。誤って、というのは、ギリシアにはローマのような円形競技場での娯楽はなかったからです。この像は、おそらく馬上の騎士のような高い位置にいる人物と闘う戦士を、その動作の真只中に捉えたものです。左腕には盾をつけるための腕甲が見えます。刀の柄を握る右腕は、おそらく17世紀に行われた修復でしょう。
盾で身を守った彼は、空間を切り裂く力強い、斜めの線を描く動きで、いまにも反撃を与えようとしています。
ヘレニズム末期のオリジナル作品であるこの像は、前100年頃に制作され、現存する数少ない、作者の署名入りの作品です。木の幹に、「エフェソス(出身)のアガシアス、ドシテオスの息子、が(この彫刻を)制作した」と記されています。
木の幹があることから、これはおそらくブロンズ像を模したものと思われますが、しかしこの作品は単なる複製以上のもので、ヘレニズム時代の探求を3次元の世界に組み込んでいるのです。アガシアスはおそらく、リュシッポスの作品に心を奪われ、そのカノンをさらに縦に伸ばし、彼の時代の新しい要素をそこに盛り込んだのです。ここでは頭が本当に小さくなっていて、しなやかでほっそりした肉体は、まるで人体標本のように詳細に描かれていますが、これはペルガモンでの「バロック時代」における探求を反映するものなのです。

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見学コースはここで終了です。ナポレオン・ホールに戻るには、1階へ降りて、ダリュの回廊(展示室B)を横切ってください。