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見学コース シュメール都市国家の世界

古代オリエント美術 - 所要時間:1h - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

《ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫》(部分拡大)古代オリエント美術部門
《ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫》(部分拡大)古代オリエント美術部門

© R.M.N./P. Bernard

00イントロダクション

メソポタミアにおいて、最初の町の出現と同じくして都市国家の時代が開幕しました。文字と記念碑建造物は、シュメールの芸術の開花を促す王権の飛躍に貢献します。

メソポタミアでは、都市の出現により都市国家時代が幕開けしました。文字と大型のモニュメントの建造は王権を強化し、王権はシュメールの芸術の開花を育成しました。
南メソポタミアの大沖積平野では、数千年をかけて、定住、農耕と、文化はゆっくりと変遷していきました。そして紀元前4千年紀に都市文明が誕生しました。経済発展の中心である町は、政治権力の中心となりました。政治が君主制の性格を帯びると、統制の道具として文字を利用するようになりました。そして「王-祭司」のひげを生やした人物表現を優先した公的な芸術が誕生します。戦争や文化活動の中でとらえられたこの「王-祭祀」の人物表現は、新しい社会秩序を具現していました。
3千年紀前半には、「シュメールの国」と呼ばれるおよそ20の都市国家がメソポタミア南部を分け合っていました。それぞれの国家は、中心都市の周りに形成されており、農業地帯がそれを取り囲んでいました。そして都市神の名において、人間の代表である君主により治められていました。神の仲介人として特権を受けた君主は、その特典を有力聖職者に強要していました。権力は増大し、君主の住居であり行政の場である宮殿で具現していきました。絶えず増加する原料の需要により、下メソポタミアをはるかに越える交易が著しく発展し、シュメール文化の伝播とシュメール文化の媒介者である楔形文字の普及を助長しました。

 

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ピラミッドから館内に入り、リシュリユー(Richelieu)翼へと向かってください。チケットコントロールの後、右に曲がり、エスカレーターで1階(Rez-de-chaussée)に上がります。古代オリエント美術部門展示室1の陳列ガラスケース1に向って進んでください。

Statuette féminine
Statuette féminine

© R.M.N./H. Lewandowski

01女性小像

アラバスターを削って作られたこの様式化された小像は、新石器時代の遺跡テル・エス=サワンから出土したものです。この遺跡は、南メソポタミアの大沖積平野入口のティグリス川東岸に位置します。河川からの略式の灌漑農耕で、住民たちは、多様な穀物とマメ類を栽培することができました。遺跡の主な占有期間は、新石器時代の通称サマッラと呼ばれる彩文土器(紀元前6200-5700年頃)に相当しますが、そこで発見されたアラバスター製の小像は、先行するハッスーナ期(紀元前6500-6000年頃)の時期まで遡ると考えらます。小像は、個人用の墓から出土しました。墓は、大半が子供のもので、日乾煉瓦を用いた長方形の大きな住居の下に掘られており、村の重要人物の住居であったと考えられています。

テル・エス=サワンの墓で発見された大部分の小像は、女性をかたどっています。埋葬された子供に来世まで付き添う母のイメージをそこに見ることもできますが、いくつかの小像は大人の墓からも出土しています。裸体表現が強調する女性象徴の回帰は、むしろ伝統的に「母神」と呼ばれている加護の力へ助力を求めていることを思わせます。豊饒と多産をつかさどるこの母神像は、近東で起こった最初の農業共同体の想像の産物の中でも、中心的な位置を占めているように思われます。

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続いて、同じガラスケース内にあるテラコッタ製の様式化された小像をご覧ください。

ウバイドの女性土偶
ウバイドの女性土偶

© 2004 RMN / Franck Raux

02ウバイドの女性小像

このテラコッタ製の様式化された土偶は、南メソポタミアの大沖積平野で、7千年紀から発達する通称ウバイドと呼ばれる新石器文化に属しています。このウバイド文化は、土器の制作という面では、メソポタミア北部の文化と比べ劣っていますが、社会組織の大きな変化を裏付ける建築の発達は注目すべきものでした。事実、6千年紀末のウバイド3期と呼ばれる時期から、概して整地された基壇の上に建てられる中央広間型の三列構成建築プランが現れます。饗宴に関する集会の場として使われたこれらの特別な建物の建設には、すでに確立していた権力下で共同体全体が駆り出されたことでしょう。かくして村落共同体の飛躍は、社会の階層化をともない、階層化は、その後一層際立っていきました。

ウバイドの土偶は、粘土を手捏(てづくね)してから焼成し、その後、彩色で絵付けされました。頭部を欠損しているこの土偶は、裸体で表わされ、身体は黒彩色の描線で強調されています。圧倒的に多い女性表現は、新石器文化の伝統を永続させました。この土偶は、豊穣と多産の原理を具現しています。農耕経済の上に成り立っていた社会においては、これらの加護の力が最も重要であるとみなされていたのです。

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ガラスケース2まで進んでください。

王-祭司像
王-祭司像

© 1994 RMN / Hervé Lewandowski

03王-祭司像

石灰岩を彫刻したこの図式的な形をとっている小像は、最初の都市で起こった王制のはじまりを表しています。4千年紀に南メソポタミアに現れたこれらの都市は、以後多様化し複雑化していく社会を管理する共有社会体制の飛躍によって特徴づけられます。この新しい社会組織の頂点には、特別な地位を与えられた人物がおり、当時の図像に、敵を制圧している姿、獅子を狩る姿、あるいは宗教祭儀を主宰している姿などで表現されています。戦士としての職務と典礼を司る職務とのこの組合せは、伝統的に「祭司王」という用語で示される人物にあてられています。

整った輪状ひげで顔を囲んだ祭司王は、その身分を想起させる頭巾またはヘアバンドのようなものをつけています。通常は、長いスカートをはいていますが、この像は、両腕を胸にのせ、裸で立っています。この姿は、特別なタイプの典礼への参列に関連づけられています。これは豊饒の崇拝を表現していますが、他にも主要な祭式執行者が同じように全裸で姿を見せる献酒祭儀をわかりやすく説明する表現が知られています。

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同展示室内のガラスケース3まで進んでください。

最古の粘土板
最古の粘土板

© 2011 Musée du Louvre / Thierry Ollivier

04初期の粘土板

絵文字のような記号が細かく刻み込まれているこの石灰岩製の粘土板は、最も古い文字を見せてくれる素晴らしい作品です。これは、考古学的発掘より出土していないために、正確な編年が難しいですが、編年できた同タイプの粘土板と近い時代のものと言えるでしょう。このような絵文字が刻まれたタブレットは、大半が粘土製で、南メソポタミアの特にウルク遺跡から出土しています。その中でも最も古いものは、紀元前3300年頃まで遡ります。

この最初の文字の出現は、都市の発達に結びついています。都市は、複雑化していく社会に適合した共有社会体制を備えていました。それは絵文字の体系です。一つの記号が、物や概念を表す絵の形をとっています。また円形のくぼみや小さな刻み目で示された数値の記号もあります。これらの異なる記号は、枠で仕切られており、それぞれの枠は意味のまとまりを示しています。

絵文字の粘土板は、主に記録資料で、文法的構造の写しではなく、単独語をつないで単に要点のみを記したもので構成されていました。3千年紀の転換期に、表現範囲の限られた書記法から、音節で難易な言語を書き表すことのできる「楔形文字」へと進化しました。

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後ろにあるガラスケース5内の大きな銅製の槍先頭部をご覧ください。

Lance colossale inscrite au nom de "Lugal, roi de Kish"
Lance colossale inscrite au nom de "Lugal, roi de Kish"

© Photo RMN / F. Raux

05「キシュの王、ルガル」の王銘の入った巨大な槍

この銅製の大きな槍の尖頭部は、後脚で立つ獅子の姿と碑文が刻まれています。この作品は、紀元前2800年から2600年にかけて、シュメール初期王朝時代第2期の特徴的な様式で制作されています。かつては木製の柄を備えていたこの槍は、ギルス市にあった神殿のひとつに納められていた豪華な奉納物でしたでしたが、君主たちは、シュメールの都市国家に覇権を行使し続けていました。これは、数人の君主によるギルス市の神殿への埋蔵奉納物が物語っています。
都市国家キシュの君主が捧げたのです。その名前と王号は、あいにく欠落した状態ですが、槍に刻まれた碑文に「ルガル、キシュの王」とあります。当時、キシュ市はシュメールの国のすぐ北に位置する主要都市であり、住民の大半はアッカド人でした。

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同ガラスケース内の石灰岩製の棍棒頭をご覧ください。

メシリム王の棍棒頭
メシリム王の棍棒頭

© 1998 RMN / Hervé Lewandowski

06メシリム王の棍棒頭

この棍棒頭には、獅子の頭をもつ鷲が、後脚で立つ6頭の獅子を抑えつける様子が描かれています。この作品は、その大きさと浮彫装飾の質からしても異例のものです。古拙文字で刻まれたシュメール語の碑文:「キシュの王メシリム、ニンギルス神殿の建設王、ニンギルスのために(この棍棒頭)を(そこへ)持ってきた。ラガシュの王(である)ルガルシャエングル」が示すように、奉納物の性質をもっています。棍棒頭は、紀元前4千年紀末頃に出現しますが、メソポタミアにおいては、戦闘の武器であっただけでなく、権威の象徴でもありました。

碑文は、紀元前2550年頃に、都市キシュを統治したメシリムが奉納物を献納したことを示しています。この行為により、メシリムが、ラガシュの国王に対し宗主権を行使していたことがわかります。キシュは、シュメール国の北部に興った強大な都市ですが、実際、紀元前2700年から2500年にかけて、シュメールの複数の都市国家に対し、政治的、宗教的な覇権を行使していたようです。

王の権力を確固たるものにしながら、キシュの君主は、ギルスの都市神であるニンギルス神の神殿を建て、あがめ敬うことを望みました。
棍棒頭は、獅子の頭をもつ鷲が上面に描かれています。鷲は、雷鳴のうなりをともなう雷雲の象徴であり、また国の繁栄をもたらすニンギルス神の紋章でもあります。後脚で立つ6頭の獅子を、その爪で掴む鷲の姿は、神の仲介人としての君主が統治する社会秩序への自然の力の服従を表しているようです。

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続いて同ガラスケース5の、中央に孔の開いた奉納板をご覧ください。

ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫
ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫

© 1990 RMN / Philipp Bernard

07貫通孔のある浮彫

シュメール初期王朝美術の特徴的な作品に、中央に貫通孔が開けられ、浮彫彫刻の施された額があります。中央の貫通孔はおそらく、神殿内の奉納所に鉤を用いて額を固定するためのものでしょう。この大きな額は、紀元前2500年頃、ラガシュ第1王朝創始者のウル・ナンシェ王の宗教的行為を記念しています。この王の治世には、ギルスの都市を守護する都市神を祀るニンギルス神殿など多くの建造物が建てられました。

額の装飾は、神殿建立に関する儀式を主宰している君主の姿が、慣例に従ってやや大きく描かれています。儀式は、建立の開始を表します。上段には、頭上に煉瓦が盛られた籠をのせたウル・ナンシュが描かれています。君主は、妻と息子たち、そして高官を従えています。下段には、杯を手にして座る王が、新しい神殿の完成を祝う饗宴を主宰しています。儀式を完璧に遂行することは、社会生活の中で非常に重要なことでした。なぜなら、神々への奉仕は人間の義務で、それと引き換えに、神々は人間に繁栄をもたらすとされていたからです。大神殿の建立と維持は、人間の代表である君主の使命でした。

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中央ガラスケースまでお進みください。

禿げ鷹の碑
禿げ鷹の碑

© 1995 RMN / Hervé Lewandowski

08禿げ鷹の碑

「禿げ鷹の碑」と呼ばれるこの戦勝碑は、シュメールの都市遺跡ギルスで発見された多数の破片をもとに一部復元されたもので、現在知られている最古の史料編纂記録である。シュメール語で書かれた長い碑文は、まず、ラガシュに近隣した都市国家とウンマ間で幾度も起こった紛争を、次いで、紀元前2450年頃ラガシュを統治した君主エアンナトゥムの戦勝を物語っています。

誕生と同時に神々の加護のもとに置かれたこの君主の勝利は、両面を覆う浮彫の見事な装飾により、細部まで非常によく表現されています。通称「歴史の面」には、敵の屍を踏みつけながら前進する軍の先頭に立つラガシュの君主が描かれています。下部には、戦車に乗った君主が導く勝利の行進らしきものと、戦いを終結させる葬儀のようなものが表されています。通称「神話の面」には、都市国家ラガシュの守護神ニンギルスが堂々と描かれています。ニンギルス神は、大網に敵軍を捕らえ、棍棒頭で彼らを叩いています。
象徴的見地に立ち、片方の面では人間の行為を、もう片方の面では神々の介入を描き、主題を碑の両面へ割り振っています。人間の決意と神の加護が合わさることにより、勝利へと導かれていくのです。

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ガラスケース6に向かってください。

ドゥドゥの貫通孔のある浮彫
ドゥドゥの貫通孔のある浮彫

© 2007 RMN / Franck Raux

09ドゥドゥの貫通孔のある浮彫

中央部に孔を開けられた浮彫の奉納額は、シュメール初期王朝時代に特有なものである。物語風の図柄が、このように上下の段に描かれるのが伝統でした。シュメール語の碑文は、描かれている人物が、エンメテナ王の治世下の主要な神官であり、紀元前2450年頃ラガシュの君主ドゥドゥであることを示しています。

二段にわたり大きく描かれている神官ドゥドゥは、当時の特徴である羊毛に似た長い房のカウナケスと呼ばれるスカートをはいています。周りには、おそらくドゥドゥの儀礼に関する象徴が描かれています。上部に刻まれた、獅子の頭を持ち、翼を広げ、2頭の獅子を爪で摑んでいるイムドゥグトと呼ばれる鷲の紋章は、ニンギルス神を想起させます。中段には、おそらく生贄(いけにえ)のための子牛が伏せた姿で描かれています。下段には、大きな組合せ模様が広がっています。これは、おそらく地下水をイメージしているのでしょう。恵みの雨を運ぶ嵐のシンボルである獅子頭の鷲、生贄の子牛、肥沃を促す水が溢れる地下層、これらすべてが、人間共同体に繁栄をもたらす、天上、地上、そして地下の豊饒の源を連想させます。

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展示室1bを通り、代官エブフ・イルの像までお進みください。シュメール都市国家の見学の最後の作品です。

代官エビフ・イルの像
代官エビフ・イルの像

© Musée du Louvre, dist. RMN / Raphaël Chipault

10代官エビフ・イルの像

初期王朝時代の都市マリの高官を表したこの大きな彫像は、作品自体の質といい、保存状態の質といい、類まれなるものです。肩に刻まれた短い碑文には、高官の名エビフ・イルと称号「代官」もしくは「監督官」と示されています。
3千年紀初頭に、起こった都市マリは、メソポタミアの都市化された地方とシリアとの中間に位置するという地の利を利用し、ユーフラテス川の河川交通を統制し、繁栄を維持していました。当時の町を飾る建築造営の規模や、多くの神殿や「聖なる周壁」と呼ばれた壮大な神殿をもつ宮殿で発見された調度品の豊かさなどが、その繁栄を物語っています。
神殿に納められた奉献物の大半は、男女の礼拝者像で、中でもエビフ・イルの像は、大変見事な作品です。丁寧にそして現実に忠実に制作されたこの像は、むしろ若い青年のように見えます。「カウナケス」と呼ばれる羊毛に似た毛の房のある伝統的なスカートをはき、繊維状の編み物でできた腰掛に座っています。ひげを蓄えたその顔立ちは、輝かんばかりの微笑みをうかべており、ラピス・ラズリをはめ込んだ瞳の視線の強烈さは大変印象的です。胸の上でしっかり両手を組み、神々に永遠の祈りをささげています。これは、シュメールの信心深い人々の伝統的な仕草です。

次の作品までのルート :

この見学コースはここで終了です。このままホルサバードの中庭(la cour Khorsabad)に入ると、古代オリエント美術部門を引き続きお楽しみいただけます。

 

執筆:

パトリック・プイセギュール古代オリエント美術部門