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見学コース ダ・ヴィンチ・コード, フィクションとノン・フィクションの間で

テーマ別見学コース - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

ピラミッド
ピラミッド

© Musée du Louvre / I. M. Pei / C. Trochu

00イントロダクション

さあ、これからルーヴル美術館内の様々な場所や作品の前で、そして物語の中心となるテーマをめぐって、『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公たちの足跡をたどり、作品の鑑賞をしてみましょう。

2003年、ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』が刊行され、2006年にロン・ハワード監督による映画が公開されると、ルーヴル美術館とそのコレクションは、フィクションの世界において、舞台装置ともなり、また主人公ともなりました。同じルーヴルの展示室が撮影に使われたフランスのテレビシリーズ『ベルフェゴール』(ルーヴルの怪人)から40年後のことです。

この見学コースでは、『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公である「象徴学者」ロバート・ラングドンと暗号解読官ソフィー・ヌヴーの足跡をたどり、美術館を楽しく見学することを目的としています。『ダ・ヴィンチ・コード』に対する賛否はさておき、さまざまなキーテーマには、正確なものもあり、また荒唐無稽と思われるものもあることでしょう。小説あるいは映画をご存知の方に、この見学コースの作品の選択をもっともだと思っていただければ、皆さん一人ひとりに、歴史的かつ想像的な視点でルーヴル発見の楽しさをあじわっていただけることでしょう。

まずは、ピラミッド下のナポレオン・ホールから始めましょう。『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭で、ロバート・ラングドンがルーヴルに入ったのは、年間700万人を超える来館者と同様、このピラミッドからです。しかし、1989年に完成したこのピラミッドを構成するガラスのパネルの枚数が、666枚だというのは間違いです。これは、黙示録の中で「獣の数字」が666とされていることから、ピラミッド建設に反対する人々が1980年代半ばに流した噂から取ったものです。実際は、入り口のドアを除くと、ピラミッドには673枚のひし形と三角形のガラスが使われています。

 

次の作品までのルート :
ナポレオン・ホールからドゥノン(Denon)翼へ向かいましょう。ドゥノン翼は、1802年から1815年まで初代美術館館長を務めたドミニク=ヴィヴァン・ドゥノンの名を冠しています。『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、ルーヴル美術館に関する物語の部分は、すべて、このドゥノン翼で展開しています。

一つ目のエスカレーターを上り、チケットコントロールの後の二つ目のエスカレーターの前で左に曲がります。階段を上って古代以前のギリシア美術のギャラリー(展示室1)へ入り、展示室の奥まで進みましょう。そこに大きな立像があります。

ケラミエスの作品群のコレー
ケラミエスの作品群のコレー

© 2006 Musée du Louvre / Daniel Lebée et Carine Deambrosis

01ケラミエスの群像のコレー、通称「サモスのヘラ」

『ダ・ヴィンチ・コード』のテーマはきわめて小説的だと言えますが、「聖なる女性」、つまり女神崇拝と関連しています。これは古代宗教の本質的な要素でしたが、小説によれば、初期のキリスト教はマグダラのマリアという人物の名誉を貶めたということでしょう。

ルーヴルの古代ギリシア部門を少し見て回ると、ダン・ブラウンのアイディアがどこから生まれたのかが窺えます。たとえばこのケラミエスによる立像は、神殿に奉納された女性像、コレーとしてよく知られていますが、女神ヘラへの献辞が衣装の裾に彫られています。ゼウスの姉であり妻であり、アレスたちの母であるヘラは、この立像が示すように古代宗教が真に崇拝してきた「聖なる女性」のコンセプトをまさに表しているのです。この作品が置かれていたサモス島の大神殿は、そこがゼウスとヘラの結婚の地であると主張しています。実際、古人は神や女神の婚姻や感情などに関する出来事については、細部にまでこだわっていました。メソポタミアのイシュター、エジプトのイシス、ギリシアのアフロディーテ・・・すべての女神は、女神でありながらも私生活をもっていたのです。『ダ・ヴィンチ・コード』は、この概念をキリスト教にもあてはめ、大胆にもマグダラのマリアをイエスの秘密の伴侶だとするコンセプトから物語を展開しています。

次の作品までのルート :
展示室奥にある階段を上り、左に曲がり、すぐにまた左に曲がった階段を上り、最初の踊り場の床をご覧ください。アラゴのメダルがあります。
次の踊り場まで上ると、サモトラケのニケの階段の下へ出ます。

L'Escalier de la Victoire de Samothrace et le Médaillon Arago
L'Escalier de la Victoire de Samothrace et le Médaillon Arago

© 2014 Musée du Louvre / Philippe Fuzeau

02サモトラケのニケの階段とアラゴのメダル

Lサモトラケのニケの階段の眺めは、ルーヴル美術館の中でも最もよく知られているものでしょう。見学者が展示室を去った夜、扉が閉ざされる時を想像してみてください。静まり返った暗がりの中でまどろむ美術館は、ミステリーファンを長い間魅了してきました。このことをよく知っている『ダ・ヴィンチ・コード』の作者は、夜のルーヴルを印象的に使っています。小説の最後では、直径12センチの青銅のメダルが登場しますが、これは、「ローズ・ライン」を形成しているとされており、ルーヴルの近辺にマグダラのマリアの遺骨が眠っていることをラングドンに気付かせます。この小説的な解釈によって、パリの本初子午線(経度0)という地理的座標が、「ローズ・ライン」という秘教的なシンボルへと変わります。このARAGOと記されたメダルは、美術館内と周辺に15枚ありますが、これらは、オランダの芸術家ヤン・ディベッツ氏による1995年の現代美術の作品です。パリ市内では全部で135枚あり、かつての本初子午線を正確にたどりながら、ポルト・ドゥ・モンマルトル大通りからパリ天文台を通り、シテ・ユニヴェルシテールへとパリを南北に貫くラインを作っています。舗道や建物内にはめ込まれたこのメダルは、天文学者であり政治家でもあったフランソワ・アラゴ(1786-1853年)の名を冠し、本初子午線を記念しています。パリ本初子午線は1806年、アラゴにより再確定されましたが、1884年にグリニッジに移されました。

次の作品までのルート :
サモトラケのニケの階段を上り、彫像のところで右に曲がってください。二つの小さな展示室を横切り、奥の扉を開け、サロン・カレ(Salon Carré 方形の間、展示室3)に入りましょう。

Le Salon Carré
Le Salon Carré

© Musée du Louvre / A. Dequier

03サロン・カレ(方形の間)

サロン・カレは、ルーヴル美術館の中でも最も格調高い部屋のひとつで、展覧会や展示会を総称する「サロン」の語源となっています。ルーヴル美術館は、1793年の一般公開当時は、中央芸術博物館という名でした。当時、もっとも素晴らしいとされている絵画作品がこの部屋に展示されていました。小説と映画『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、ルーヴル美術館館長ジャック・ソニエールは、すぐ近くのグランド・ギャラリーで息を引き取ります。遺体が発見された床の上には、複数の星型の黒いモチーフが見られますが、このモチーフは実際はグランド・ギャラリーではなく、サロン・カレにあります。

殺人者シラスが立っているのは、ここなのです。ソニエールは、カラヴァッジョの絵画をはずし、セキュリティーシステムを作動させ、二人の間に鉄格子を落としました。サロン・カレとグランド・ギャラリーを隔てている扉の縁枠の方へ視線を上げると、この場所には鉄格子がないことがわかります。もっともルーヴル館内の他の場所にはありますが。その上、カラヴァッジョの絵画諸作品は、実際にはグランド・ギャラリーの4分の3くらいの位置にあり、小説で描かれているように、この扉から「15フィート」(4.5m)の位置にはありません。『ダ・ヴィンチ・コード』の作者は、小説の手法として、建物の場所に関する事実を頻繁に変えているのです。

次の作品までのルート :
サロン・カレを出て、グランド・ギャラリー(Grande Galerie)に入ってください。グランド・ギャラリー内にある二番目の円柱群のところまで進んでください。この円柱のすぐ後の左側の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品が展示されています。《岩窟の聖母》の前に行きましょう。

《岩窟の聖母》
《岩窟の聖母》

© 2010 Musée du Louvre / Angèle Dequier

04《岩窟の聖母》

小説『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭の舞台として選ばれたのは、ルーヴルの壮麗なグランド・ギャラリーでした。しかし注目すべきは、小説で描かれている寄木張りの床ではなく、イタリア絵画のコレクションです。ルーヴルが所蔵しているレオナルド・ダ・ヴィンチの五つの作品のうちの四点がここに展示されています。『ダ・ヴィンチ・コード』は、ソフィー・ヌヴーが壁からはずした絵画《岩窟の聖母》を、これまでの考え方を打ち破る画期的な方法で分析しています。画面の右側で、聖母マリアが、目に見えぬマグダラのマリアの頭を左手で持ち、大天使ウリエルがその首をかき切っている象徴的な仕草をしています。このように描くことによって、レオナルド・ダ・ヴィンチは、キリストの伴侶に対する教会の陰謀を表現したというのです。ダン・ブラウンは、この絵のすぐ左横にあるベルナルディーノ・ルイーニ作の《洗礼者ヨハネの首をもつサロメ》から着想を得たことで、このまったく勝手な解釈となったのでしょう。実際は、聖母マリアのこの謎めいた仕草は、伝統的な宗教的図像学と関連しています。つまり、聖母マリアは、イエスの母親でもあるが、同時に「家」、すなわち教会を具象化した姿でもあるとするものです。画面の上では、聖母マリアは、息子の頭の上に左手を屋根のようにかざしています。『ダ・ヴィンチ・コード』は、この保護者の仕草を、殺人者の仕草という、隠喩的な表現に変えてしまっているのです。このように、美術史の扱いはずいぶん乱暴ですが、小説的な効果は皆さんご承知のとおりです。

次の作品までのルート :
《岩窟の聖母》の右、二つ目の絵画が、次の作品《聖母子と聖アンナ》です。

《聖母子と聖アンナ》
《聖母子と聖アンナ》

© RMN (Musée du Louvre) / René-Gabriel Ojéda

05《聖母子と聖アンナ》

レオナルド・ダ・ヴィンチのこの絵画は、ジークムント・フロイトによって、私たちの見学コースと関連しています。1910年、フロイトは『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』というセンセーショナルな研究において、この絵画の中に隠された俗人には見えないモチーフを解読しようとしました。この研究でフロイトは、聖母マリアのマントの中に猛禽(禿鷲)の姿を見て、ダ・ヴィンチがエジプトの禿鷲の女神ムトの神話を無意識に再現しているのだと解釈しています。この説は発表されるや否や、論争を巻き起こし、図像の歴史に新しい道、すなわち超解釈という道を開きました。『ダ・ヴィンチ・コード』も超解釈をなりふりかまわず使用しています。この著名な「禿鷲」を見るには、頭を左に90度傾けなくてはなりません。聖母マリアの青いマントの境、画面の左端に鳥の頭とくちばしが、そして三角形の体と生気のない翼が確かに見えるようです。

ところで《聖母子と聖アンナ》の完璧な構図は一部、『ダ・ヴィンチ・コード』の中でも記述されている、ある要素に基づいています。それは、古代ローマの建築家ウィトルウィウスが「黄金比」と名づけた「PHI」(約1.618)です。メソポタミアの人々や、古典の芸術家たちの間では、すでに知られていたこの「神聖比率」は、『ダ・ヴィンチ・コード』では「自然界の事物の基本的な構成単位」とされていますが、芸術の世界では、比類のない均整と調和の効果を作り出すのです。

次の作品までのルート :
グランド・ギャラリー内の見学を続けましょう。ギャラリーの3分の2ほどまで進んで行くと、右手に特別展示室モリアン(展示室9、10、11)に面した回廊が見えます。(ここには、『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、ソフィー・ヌヴーが隠れたトイレがあります!)ここで左手の壁に展示してある《Noli Me Tangere》(我に触れるな)をご覧ください。

Le Christ jardinier apparaît à sainte Madeleine, ou Noli me tangere
Le Christ jardinier apparaît à sainte Madeleine, ou Noli me tangere

© Musée du Louvre/A. Dequier - M. Bard

06《Noli Me Tangere》(我に触れるな)

『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、マグダラのマリアは、教会の陰謀の犠牲者であるとされています。325年のニケア公会議にて、イエスの伴侶としての肩書きを奪われ、あろうことか改悛した娼婦とまで貶められ、その転落の中で「聖なる女性」の概念をもたらしたのでしょう。数世紀にわたり、マグダラのマリアという人物が、ある画家たちの間に呼び起こしていたあいまいな感情を、『ダ・ヴィンチ・コード』は、独自の方法で取り上げているのだということをブロンツィーノの絵画は教えてくれます。画家はイエス・キリストがその復活をマグダラのマリアに告げる瞬間を描いています。キリストの輝きに満ちた体と、マグダラのマリアの豊かな体の線からは、マニエリスムの典型的なエロティシズムが窺われます。『ダ・ヴィンチ・コード』の筋書きはキリストとマグダラのマリアの隠された結婚というアイディアに基づいていますが、そのスキャンダラスな効果は、芸術家たちのイマジネーションの中に前例があったはずです。求愛のダンスのようにも見えるこの絵にそれが表されているのではないでしょうか。

マグダラのマリアの名は、ベタニアのマリア(ラザロの姉)とマリ-=マドレーヌといわれる女性、そしてルカによる福音書に三度登場する名もない罪深き女、この三人の異なる女性が混同されたものだと、神学の専門家たちは指摘しています。マグダラのマリアは、今でも大きな謎に包まれ、多くの幻想をかきたてる人物なのです。

次の作品までのルート :
グランド・ギャラリーを次の円柱まで進んでください。円柱の少し手前で、カラヴァッジョの絵画《聖母の死》が左手の壁に展示されています。

《聖母の死》
《聖母の死》

© 1993 RMN / René-Gabriel Ojéda

07《聖母の死》

『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭で、ソニエールが壁からはずしたカラヴァッジョの作品です。ルーヴルが所蔵するカラヴァッジョの作品は三つあります。この《聖母の死》、《マルタ騎士団員の肖像》、そして《女占い師》です。『ダ・ヴィンチ・コード』では、ミラノにある《最後の晩餐》に関する話題で、「(視野の)暗点」という視覚的要素について述べていますが、《聖母の死》には、この視覚的要素が隠されているようです。「(視野の)暗点」とは眼科の専門用語で、視野の中で何も見えない小さなゾーンのことを表します。画像における暗点は、先験的にはその意味するところに気づかないが、それと知っていれば見抜けるようなディテールのことです。
『ダ・ヴィンチ・コード』によると、《最後の晩餐》における「暗点」は、ダ・ヴィンチがイエスの右隣に描いた人物です。歴史家たちが5世紀以上にわたり聖ヨハネだとみなしていたこの人物を、『ダ・ヴィンチ・コード』ではマグダラのマリアだとしています。

さて、《聖母の死》において「暗点」だろうとされるものは、画面上部の赤い大きなドレープです。亡き聖母の衣服と同色で、左側の二つのドレープが、聖母の足に垂直に垂れ下がっています。ほどかれた帯は、聖母の身ごろの帯となっており、絵の縁の向こうから引っ張ってあるこの赤いドレープは、被昇天の際に、イエスの方へと昇っていく聖母マリアの魂から離れた肉体を象徴していると言えます。この絵画をカラヴァッジョに注文した修道院は、この図像学の偉業に気づかなかったのでしょう。被昇天は静寂のうちになされなければいけないのに、この作品は品性に欠け、人が多すぎるという理由で、不敬であると判断し、受け取りを拒否しました。

次の作品までのルート :
グランド・ギャラリーを戻り、左手にある展示室6「国家の間」(Salle des Etats、現モナ・リザの部屋)に入りましょう。次の作品《カナの婚礼》と《モナ・リザ》があります。

《カナの婚礼》
《カナの婚礼》

© 2010 Musée du Louvre / Angèle Dequier

08《カナの婚礼》

このヴェロネーゼの絵画は、ルーヴルで最もサイズの大きな作品です。来館者の中には、この絵のテーマをミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会の食堂の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた《最後の晩餐》と混同する方もいます。この二作品は、ともに新約聖書中の最も有名な二つの食事の場面を描いたものです。《カナの婚礼》には、婚礼の饗宴と、水をぶどう酒に変えたイエスの最初の奇跡が描かれ、ミラノのフレスコ画では、イエスと使途たちの最後の晩餐が描かれています。《カナの婚礼》は、福音書に書かれている出来事と1560年代のヴェネチアの上流社会の婚礼とを混ぜ合わせて描かれた作品で、驚くようなディテールがあちこちに隠されています。なぜヴェネローゼは、結婚指輪を簡素化したモチーフを右側の召使の光沢のあるチュニックに描いたのでしょうか?右の会食テーブルの中央あたりで上の方を見ている黒い衣装の人物の頭は、なぜ画布に直接描くのではなく、貼られているのでしょうか?そして、息子イエスの隣に座っている聖母マリアは、目に見えないグラスをもっているようですが、なぜでしょうか?こうした疑問には、正解だったり不正解だったり、様々な答えを与えることができるでしょう。たとえば、「貼られた頭は、以前そこに描かれていたが、亡くなってしまった人物の後継者の頭である。」正解です。また、勝手な解釈もあります。「聖母マリアは、見つからない聖杯を象徴的に守っている。」

絵画の数だけ、解釈の数があるのです。『ダ・ヴィンチ・コード』は《最後の晩餐》を独自の方法で解読していますが、この作者は、小説家として、芸術作品の描写に小説的な解釈というものを選択したのです。

次の作品までのルート :
ヴェロネーゼの《カナの婚礼》の向かい(『ダ・ヴィンチ・コード』では、ボッティチェリの大型絵画の向かいだとされていますが)にあるのが、言わずと知れた《モナ・リザ》です。

《フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像》
《フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像》

© RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado

09《モナ・リザ》

世界でもっとも有名な絵画は、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の発売と映画の公開により、さらにその名声を高めたことと思われます。毎日、何千もの来館者が、その謎にせまろうと、もっと彼女をよく知りたいと、《モナ・リザ》を見にルーヴルを訪れます。フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、エリザベッタ・ゲラルディーニだとされているこの肖像画は、1504年頃レオナルド・ダ・ヴィンチの手によってこの世に登場して以来、国王や芸術家、歴史家、観光客、詩人、そして盗人たちを魅了し続けています。彼女については、ありとあらゆることが語られてきましたし、現在も、そしてこれからも語られていくことでしょう。

ルネサンス芸術の象徴ともいえる《モナ・リザ》は、1911年8月21日、盗難にあいました(1913年に発見)。その日から彼女は、世界中の人々に見つめられることを運命付けられている美術館作品の概念そのものを見事に演じきっています。

《モナ・リザ》を見に来る人々は、その「スフマート画法」を鑑賞するためだけにやってくるのでしょうか?『ダ・ヴィンチ・コード』では、《モナ・リザ》にアナグラムや、風変わりな構成、謎の微笑とはまた別の心得顔の笑いといったものがみられるとしていますが、これは既存のモナ・リザ神話を独自の方法で表現し直しているだけです。

《モナ・リザ》は、20世紀に三度ほど旅をしました。1911年の盗難、1963年のニューヨークとワシントンDCに行き、そして1974年には東京とモスクワへ行きました。今後はずっとパリで、見学者の呼吸やフラッシュなどの攻撃からガラスケースの中で守られ、彼女もまたかつては生きて呼吸をしていたのだということを、その微笑によって私たちに思い出させてくれるのです。

次の作品までのルート :
《モナ・リザ》の後ろを通り、国家の間を出ると、三つの赤の部屋のひとつ(展示室78)に出ます。左手に進み、展示室77を通り、奥の階段のところまで進んでください。

Les Salles Rouges et la Pyramide Inversée
Les Salles Rouges et la Pyramide Inversée

© Musée du Louvre / A. Dequier

10赤の部屋と逆さピラミッド

この三つの展示室では、ダヴィッド、アングル、ジェリコー、ドラクロワなど、1780年から1840年までのフランスの偉大な画家の作品を展示しています。ナポレオン3世のもとにつくられたこの展示室は、赤い壁の装飾と、金の額縁に入れられ展示されている作品とのコントラストが、実に印象的です。ここには、色彩の大変鮮やかな作品が展示されています。『ダ・ヴィンチ・コード』の映画の冒頭部分では、瀕死の重傷を負ったソニエール館長がここを走り抜けていきました。展示室の奥の、踊り場にカフェのある階段は、美術館の中で『ダ・ヴィンチ・コード』の最後の場面となっている逆さピラミッドに一番近い場所です。1993年にオープンした地下のショッピングモール、カルーゼル・デュ・ルーヴルの奥、ルーヴルのナポレオン・ホールへの通路と交わるところに、逆さピラミッドはあります。

『ダ・ヴィンチ・コード』の最後で、ラングドンは、逆さピラミッドの尖端と向き合うピラミッドの形をした小さな石の下にマグダラのマリアが眠っているのだと理解します。

この「新発見」はまったく小説的なものではありますが、この小さな建造物に、観光における民間伝承や現代の伝説の殿堂入りを果たさせました。しかし、逆さピラミッドから1.2キロ離れたところに、マドレーヌ寺院があり、そこの聖遺物箱の中に、2千年ほど前に亡くなった50歳代の女性の左大腿骨が保管されています。彼女は身長約1m58cmで、地中海沿岸地域の人だとされているのですが・・・

次の作品までのルート :
階段を下りて、イタリア彫刻のギャラリー(展示室4)を通り抜け、展示室A「調教場の間」(la Salle du Manège)にあるエスカレーターを下り、ピラミッド下のナポレオン・ホールに出ましょう。円形のインフォメーションカウンターの向こうに、書店やカフェがあり、その先にカルーゼル・デュ・ルーヴルへと続く長い通路が見えます。その通路の先が、逆さピラミッドです。『ダ・ヴィンチ・コード』はここで終わります。この見学コースもここで終了です。