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見学コース ルネサンス期の美術工芸品, ヨーロッパ

工芸品 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 木 金 土 日

学校団体 一般団体

軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシーの肖像(部分拡大)レオナール・リモザン工芸品部門
軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシーの肖像(部分拡大)レオナール・リモザン工芸品部門

© R.M.N.

00イントロダクション

ルーヴルのルネサンス期の工芸品コレクションを見れば、15世紀におけるイタリアでの芸術的改革、そして他のヨーロッパ諸国でのその流布と消化の過程を、目で追うことができます。

15世紀初頭を境に、イタリアのトスカーナ地方では、建築家や彫刻家、画家が先頭になって始めた、古代芸術の復興が見られます。この復興運動から、国際的に流布していたゴシック芸術の伝統と、決定的に一線を画するに到ることになります。この風潮は、15世紀になってまもないフィレンツェで現われました。よってルネサンスとは、その最初期においてはイタリアのもので、装飾芸術に関しては、タピスリーや陶器、鋳造の工房で現われました。
そうした、古代の彫刻を再生させてできた新しい形の作品は、名のある君主や収集家、または文芸庇護者(パトロン)が注文しました。16世紀を通して、イタリアにおける芸術的様式の革新は、フランス、ドイツ、フランドル地方といった、ヨーロッパの他の地方に広まります。その当時、イタリアのマニエリスムはヨーロッパ全体を制覇し、その作風は、地方によって異なる形で表明されました。それらの地方は、すこしずつイタリアの影響下から離れ、それぞれが独自の作風を身につけ制作するようになります。ヨーロッパ中の君主たちは、彼らの居城を豪華に飾るため、タピスリーや陶器製品、ブロンズ製品、七宝製品を注文しました。
とりわけ絵画作品によって知られているルネサンスですが、装飾芸術もまた、その運動のもっとも贅沢な表れのひとつなのです

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ピラミッド下のリシュリュー翼から入り、チケットコントロールを受け、その後右に曲がってください。2階へ上ります。中世工芸品の展示室を抜け、右に曲がります。展示室12に入りましょう。

 《キリストの磔刑像》
 《キリストの磔刑像》

© 1990 RMN / Daniel Arnaudet

01キリストの磔刑像

この新しい芸術の生成過程において、ブロンズ製の小さな彫刻作品によって、彫刻家は重要な役割を果たしていました。ブロンズ像は、15世紀のイタリアで、まさしくその人気の復興を目の当たりにしました。ブロンズの小像の全盛期であった、古代への関心が高まっていたせいです。このブロンズの浅浮き彫りで表現された《キリストの磔刑像》は、ドナテッロ(1386‐1466年)の作であると推定されています。この作品ではゴシック的な美の規準を廃し、人物像をより大きく扱い、空間の中の遠近感を表わす表現方法が取られています。ドナテッロ自身は彫刻家ではありませんでしたが、ブロンズ像の制作のための作品を多く創っています。彼はおもにフィレンツェで仕事をしていましたが、シエナ、ローマ、パドヴァからも大きな注文を受けていました。この《キリストの磔刑像》は、ドナテッロが1430年から1440年代に制作した、浅浮き彫りの数々との比較から彼の作品とされ、この作品の制作年はここから推定されています。

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第16室まで進んでください。左手の壁に、『カッパドキアの総督の法廷に自首をしにやって来た聖マメス』を描いたタピスリーが掛かっています。

聖マメスの物語の壁布から、カッパドキアの総督の法廷に自首をしにやって来た聖マメス
聖マメスの物語の壁布から、カッパドキアの総督の法廷に自首をしにやって来た聖マメス

© 1999 Musée du Louvre / Thierry Malty

02聖マメスの物語の壁布から《カッパドキアの総督の法廷に自首をしにやって来た聖マメス》

《カッパドキアの総督の法廷に自首をしにやって来た聖マメス》は、ラングルの大聖堂のために制作された、聖マメスの物語を描いた壁布のひとつです。この壁布は、画家、ジャン・クザン父(1490年頃‐1560年頃)の下絵を基に、1544年にパリで織られました。ルーヴルに収蔵されているタピスリーは、この壁布に由来し、フランソワ1世の治世の末期における、パリのタピスリー芸術の復興を示しています。聖マメスの壁布は、ド・ジヴリー枢機卿が注文し、綜絖(そうこう)の取り付け公であるピエール・ブラッスとジャック・ラングロワの手で、1544年にパリで織られました。下絵を制作したジャン・クザン父は、第一期のフォンテーヌブロー派に非常に近しい画家で、鋸歯状に裁断された皮革、果物の葉飾り等の、第一期のフォンテーヌブロー派を特徴付ける装飾要素が、このタピスリー上にも見られます。遠近法を用いた建築的な図法、人物像やひだの扱い方などから、16世紀のヨーロッパにおいて支配的であった、イタリアの影響をうかがわせる要素が示されています。

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では第18室にお入りください。正面の奥の壁に、ほうろう、金鍍金加工が施された色ガラスの杯が展示されています。

寓意的装飾列の杯
寓意的装飾列の杯

© 2011 RMN / Franck Raux

03寓意的装飾列の杯

ルーヴル美術館のガラス製品のコレクションはことのほか豊富で、主にヴェネツィア起源の作品から構成されています。ヴェネツィアのガラス工は、15世紀には非常に透明で輝きのあるガラスをつくる事に成功していました。そのガラスは、金属酸化物をつかって純化され、色の効果を得ることもでき、特に青色を作り出すことができました。大きな聖杯(カリス)型の杯は、そのヴェネツィアの色ガラスの作品の一例です。この作品は、「欲望」、「純潔」、「栄光」、「死」、「時」、そして「来世」にささげられた寓意詩、ペトラルカの『勝利』に着想を得た寓意列に飾られています。一般的に、これらの杯は結婚に際して贈られ、新郎の横顔が描かれたメダイヨンが施されるものでしたが、この作品においてはそうではありません。 しかしながら、この作品も結婚の杯であった可能性があります。作者は、15世紀の七宝製品の職人であったと考えられている、アンジェロ・バロヴィエル(1405‐1460年)と推定されています。

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第19室に入ってください。

マントヴァ侯爵夫人、イザベッラ・デステ=ゴンザーガの紋章入り皿
マントヴァ侯爵夫人、イザベッラ・デステ=ゴンザーガの紋章入り皿

© 2010 RMN / Jean-Gilles Berizzi

04マントヴァ侯爵夫人、イザベッラ・デステ=ゴンザーガの紋章入り皿

15世紀の終わりを境に、イタリアはファエンツァでは、絵付け装飾を施すタイプの陶器が現われます。この町の名前から、「ファイアンス陶器」の名が付けられたのです。ファイアンス陶器の技術は、まもなくイタリアで、「マジョリカ焼」(マヨルカ島の意味。イタリアから注文されたスペインのファイアンス陶器のマヨルカ島を中継したため)という名で発展をとげます。マジョリカ焼には物語を描いた場面が施されたものがあり、そこから「イストリアート(イタリア語で「ストーリア」=物語)」という名が付けられました。イストリアートの技術は、16世紀にマルケ地方のウルビーノでその絶頂を迎えます。イザベッラ・デステの食器類の皿も、ウルビーノに由来します。この作品は、イタリアで最も高名なファイアンス職人のひとり、ニコラ・ダ・ウルビーノ(1480‐1538年)が、1525年頃に制作しました。ここに描かれている場面は、ヴァチカン宮殿の開廊のラファエルの作品を基にした、『イサクを見張るアブレメク』と『リベカ』を表わしています。ここには、右側に、マントヴァ侯爵夫人、イザベッラ・デステ(1474‐1539年)の紋章が見えます。その他に、下部には、マントヴァ公爵夫人の座右の銘、「夢からでもなく、恐れからでもなく」という言葉がラテン語で表わされています。イザベッラ・デステは偉大な文芸庇護者で、知識豊かな収集家でもありました。この皿を含んでいた食器セットの制作年日ははっきり分かりませんが、イザベッラ・デステの娘、エレオノーラがウルビーノ公、フランチェスコ=マリア・デッラ・ローヴェレと結婚した年に制作されたのかもしれません。エレオノーラの結婚相手がウルビーノ公だった、ということから、この制作に当って職人ニコラ・ダ・ウルビーノが選ばれたことの説明が付きます。

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この部屋では、数枚のパネルからなる《マクシミリアンの狩猟》の壁布も鑑賞してください。

Le Mois de Mars (signe du Bélier)
Le Mois de Mars (signe du Bélier)

© R.M.N.

05《3月(牡羊座)》

《マクシミリアンの狩猟》の壁布は、イタリア美術の影響が、他のヨーロッパの国々、特にオランダとドイツ、において、いかに大きいものであったかを知らしめてくれます。この壁布はブリュッセルで、ベルナールト・ファン・オルレイ(1492年頃-1542年)の下絵を基にして織られました。ファン・オルレイはハプスブルグ家の宮廷のために仕事をしていた画家のひとりでした。《マクシミリアンの狩猟》の壁布は12枚からなり、中央に、ブリュッセル郊外のソワーニュの森で行われる狩猟の模様を描いた場面が施されています。各タピスリーの上部の縁飾りの中央では、単色画法のメダイヨンが、各月に対応する星座を象徴しています。壁布は3月から始まりますが、これは、ブリュッセルで1575年まで使用されていたユリウス暦で、年の最初の月が3月であったからです。この風景は、ブリュッセルの街の独自の展望を見せてくれています。前景の赤い服を着た騎士は、皇帝カール5世(1500-1558年)を表わしているとされています。この作品の制作年日は、1533年に綜絖(そうこう)の取り付け公ギヨーム・デルモワヤンと、2人のタピスリー商人の間で交わされた契約書のおかげで、はっきりしています。注文主については明確なことは分かっていませんが、おそらくブリュッセルの宮廷に近しい人物であったのでしょう。

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第20室を通り過ぎて第21室に入ってください。部屋に入ったら、左手の展示棚の方へ行ってください。

軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシーの肖像
軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシーの肖像

© 1985 RMN

06軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシーの肖像

16世紀の半ばには、リモージュの、銅に施す七宝焼の工房は、その最盛期を迎えます。リモージュの最もすぐれた七宝細工師、レオナール・リモザン(1505‐1577年)が、この、軍最高司令官アンヌ・ド・モンモランシー(1493-1567年)の肖像の作者です。アンヌ・ド・モンモランシーは、1538年にフランソワ1世にフランス軍の最高司令官に任命されます。1556年に制作された彼の肖像画は、レオナール・リモザンの最も大きな楕円形肖像のひとつです。この作品の枠は当初のものを保存していて、アンヌ・ド・モンモランシーの座右の銘、そしてサテュロスからなる、異なる形の8枚のプレートに構成されています。この作品の原画となった肖像画は、フォンテーヌブロー宮殿のフランソワ1世の美術品陳列室にあったものを、ファントゥッツィの版画を介して模したものです。レオナール・リモザンは、七宝細工の肖像画をいくつか制作しています。この技法によると、その線や表情の繊細さを、よく見て取ることができます。

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後ろにある中央の展示棚に近づいてください。

ジル・ド・モンモランシー=ラヴァルの紋章入りの水差し
ジル・ド・モンモランシー=ラヴァルの紋章入りの水差し

© 1996 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola

07ジル・ド・モンモランシー=ラヴァルの紋章入りの水差し

ルーヴルには、ルネサンス期のフランスの陶器作品が数多く展示されています。フランスの陶器の発展において、イタリアの手本はたいへん重要なものでした。しかしながら、フランスの職人は、すばやくそこからの自立を表明します。はやくも1550年代には、彼らは、茶色の装飾に飾られた白土の、サン・ポルシェールの陶器を使用していました。その飾り付けの技法は少し変わったものでした。茶色の土の細い筋を、抜き型の助けを借りて、刻み込まれた素描の中に埋め込んでいくのです。この技法は、このルーヴルに保存される水差しにも使われています。その形は、他のサン・ポルシェールの作品と同様に、金属工芸の遺産を受け継ぐものです。装飾は、唐草模様や組み紐文を用いた、ルネサンスの製本職人の仕事に着想を得ています。また、水差しの膨らんだ部分には、『G』の文字が飾られていますが、それはジル・ド・モンモランシー=ラヴァルの名前のイニシャルです。持ち手を形づくる浮き彫り装飾は、人面像や頭が2つある蛇と同様、1550年代のマニエリスム芸術の典型的なものです。

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第24室に入り、部屋の中央にある展示棚へ向かってください。

通称《カール5世の水差しと大皿》
通称《カール5世の水差しと大皿》

© 2010 RMN / Jean-Gilles Berizzi

08通称「カール5世の」水差しと大皿

通称「カール5世の」水差しと大皿は、アントワープの金銀細工師の手により、部分的にほうろうが施された金鍍金銀で作られました。大皿の表面には浅い浮き彫りで、1535年のカール5世によるチュニスの攻略の場面を表わしています。水差しは、頸部と注ぎ口部分が貝殻で髪を飾った女性像に象られ、表面には、勝利の後船に乗り込むカール5世とその軍団を描いた、フリーズが施されています。この作品は、皇帝カール5世(1500-1558年)の権力、そしてルネサンス期のアントワープの金銀細工師の技術水準の高さを表わしています。アントワープの職人たちもまた、他のヨーロッパの国々の職人と同じく、アルプスを越えて伝わるイタリアの影響を受けていました。

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第25室に入り、右手の展示棚に展示されている、非常にマニエリスム的な磁器の壺をご鑑賞ください。

Aiguière
Aiguière

© R.M.N.

09水差し

イタリアの名高い君主たちは、珍しく豪華な工芸品に目がなく、そのため中国製の磁器を非常に好みました。この磁器に対する情熱から、メディチ磁器の創世記の作風が、白地に青の装飾を施した、中国製磁器のぜいたくな模倣品であったわけが説明できます。フィレンツェの磁器工房は、1575年に、トスカーナ大公フランチェスコ・ディ・メディチ1世が創設します。この工房では1613年まで制作活動が続けられますが、その主な作品は1587年の大公の死以前に制作されたものでした。現在世界で確認されているメディチ磁器は、約60点に及びますが、これらの品にはしばしば脚の裏に工房の証印が押されていて、このルーヴルの水差しにもそれが見られます。この非常にマニエリスム的な、丸ひだ装飾を施された水差しには、人面を象った注ぎ口があり、そこからはメディチ家の工房の、東洋の影響から脱して、イタリア16世紀を特徴付ける形を取り入れる姿勢がうかがわれます。メディチ磁器は、ヨーロッパの磁器製作の歴史の、第一段階だったのです。

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「ジャン・ボローニュの部屋」と呼ばれる第26室まで進み、壁に掛かった2枚の大きなタピスリーをご覧ください。

La chute de Phaéton
La chute de Phaéton

© 1993 RMN / Daniel Arnaudet

10オウィディウス『変身物語』のタペストリー

1545年、エルコレ・デステ2世はドイツ人の綜絞(そうこう)取り付け工、ハンス・カルヒャーを引き抜き、フェッラーラに住まわせました。カルヒャーはそこで、オウィディウスの『変身物語』から主題を取った一連のタペストリーを制作します。下絵は画家のバッティスタ・ドッシ(1490年頃‐1542年)の作品で、このテーマは貴族の庭園を描く口実として選ばれました。このタペストリーにはファエトンの墜落が描かれています。この作品はイタリア人がタペストリー芸術を好んでいたことを示すものです。彼らは進んで、タペストリー工芸の工房の指揮を取らせるよう、ハンス・カルヒャーのようなフランドルの職人を呼び寄せました。フェッラーラの工房はその好例です。

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ジャン・ボローニュのロトンドに戻り、窓の向かいの台座の上に据えられたブロンズ像の前へ進んでください。

ディアネイラの掠奪
ディアネイラの掠奪

© 1993 RMN

11ディアネイラの掠奪

16世紀の終わり、フランス人ジャン・ブーローニュ(1529-1608年)は、1561年からメディチ家に仕える職人としてフィレンツェに身を落ち着けていました。彼はその職人人生のすべてをイタリアでおくり、1580年頃にブロンズ工芸の傑作のひとつ、「ケンタウロスのネッススによるディアネイラの掠奪」を制作しました。ジャン・ブーローニュは、ヨーロッパの君主たちが収集したり、外交用の贈物として贈ったりするのに好んだ、ブロンズ小像のための型を数多く制作しました。ジャン・ブーローニュは鋳造工ではなかったので、その仕事は助手に任せていました。しかし、それらの作品のうちいくつかには、まれに彼の署名やイニシャルが入っているものがあります。ルーヴル蔵のこの作品においては、ブーローニュの署名がケンタウロスの帯の上に見られます(「IOA BOLONGIE」)。ケンタウロスのネッススによるヘラクレスの妻、ディアネイラの掠奪は、動きのある人物を描く口実で、ジャン・ブーローニュや、マニエリスム芸術に典型的なねじれた動きを表わしています。

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「アンリ3世の部屋」と呼ばれる第27室に入って、中央の展示棚の一番右側へ向かってください。

Masse de l'ordre du Saint-Esprit
Masse de l'ordre du Saint-Esprit

© R.M.N./Chuzeville

12槌矛(つちほこ)

1578年に、アンリ3世(1574年にフランス王に即位)によって聖霊騎士団が創立されました。それには、王が自分の周りに、宗教戦争やフランスの王位継承に関する厄介な問題に不安を覚える、フランス貴族を集める目的がありました。アンリ3世は騎士団に、一方では中世と16世紀前半の品々、そしてもう一方では、その機会のために特別にあつらえた品々からなる、宝物を与えました。1579年と1585年の間に新しくあつらえられた品々のなかに、この、騎士団の槌矛(つちほこ)がありました。この作品は、1584-85年に制作され、宝物の他の品々にくらべても、格別豪奢な様式を示しています。制作はパリの金銀細工師ジャン・デュジャルダンで、発出、騎士の受任、聖体拝領、そして食事の、騎士団の儀式の様子を表わす4枚の浅浮き彫りが施されています。この装飾は画家のトゥッサン・デュブルイユの絵に基づいて彫金されました。この作品は、他の聖霊騎士団の品々と同じく、16世紀末のパリの金銀細工業の数少ない証(あかし)のひとつなのです。

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同じ部屋の展示棚に展示されている、シャルル9世の盾と兜をご鑑賞ください。

《国王シャルル9世の兜(かぶと)》
《国王シャルル9世の兜(かぶと)》

© 1987 RMN / Daniel Arnaudet

シャルル9世(1550-1574年)の兜と盾は、打ち出し細工と、金張りを施された鉄でできています。それらは不透明なローズピンクと白のほうろうと、半透明の赤、緑、青のほうろうの豊かな装飾に飾られています。兜は、今日では失われてしまった三日月刀と一緒に、金銀細工師で国王近侍のピエール・ルドンによって納入され、盾のほうは1572年に届けられました。卵形装飾と組み紐文に縁取られた兜の表面には、古代の戦闘の場面が2つ描かれています。盾の周囲には、シャルル9世の(イニシャル)「K」 の組み合わせ文と、楕円形のメダイヨンが有線七宝で交互に施されています。中央には、浅浮き彫りで、ヌミディアの王ユグルタにマリウスが勝利する場面(紀元前107年)が描かれています。この、古代史から例を取った図像は、ルネサンスに特徴的なものです。これらの品に見られる人面像、革、果物籠は、装飾芸術に頻繁にあらわれるもので、フォンテーヌブロー派の影響の証でもあります。

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第29室に行ってください。

通称「ユーグ・サンバンの」戸棚
通称「ユーグ・サンバンの」戸棚

© 2011 Musée du Louvre / Philippe Fuzeau

14通称「ユーグ・サンバンの」戸棚

16世紀の後半は、フランスの調度品が根本的に一新された時期です。多くの建築家が戸棚のデザインを考案しました。ディジョンの建築家ユーグ・サンバン(1520年頃‐1601年)がこの戸棚の作者である可能性があります。そうでないにしても、彼の影響があったことは確かです。サテュロスと牧羊ニンフの頭部を象った胸像柱は、1572年に世に出た有名な建築書の中で発表されたものに似ています。しかし、左の開き戸に掘られたヘラクレス像は、ロッソに基づいた『壁がんの神々』の中に刷られている、一連の原画からきています。この、フォンテーヌブローのマニエリスムに典型的な連作は、フランスでたいへんな人気を集めました。この戸棚はフランスの地方、そして特にユーグ・サンバンという人物を中心とした、ブルゴーニュにおける家具調度品の発展を示す作品なのです。

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「ベルナール・パリッシー」の部屋と呼ばれる第30室に入ってください。蛙、蛇、そして動物の意匠の大皿が展示されている棚まで進んでください。

《「田舎風陶法」による大皿》
《「田舎風陶法」による大皿》

© Musée du Louvre, dist. RMN / Martine Beck-Coppola

15「田舎風陶法」による大皿

イタリア人がすっかりファイアンス陶器を取り入れていたのと同じ頃、フランス人の陶工たちは釉(うわぐすり)をかけた土の技術を発展させていました。この技法では、加工されていない生(き)のテラコッタ地に、「verni」と呼ばれる、彩色が施されたほうろうで盛り上げられた浮き彫りで、装飾がなされます。この「verni」という言葉から、この技法は「terre vernissée(フランス語で「釉をかけた土」の意)」という名が付けられました。数ある作品の中でももっとも独創的なものは、有名なフランス人の陶工、ベルナール・パリッシー(1510年頃‐1590年)の作品でしょう。ベルナール・パリッシーの技法は、彼の作品中の異なる要素(爬虫類、魚、海藻など)を、自然に基づいて表現することにあります。ルーヴルの大皿はこの技法をはっきりと示してくれています。まるで生きているかのような小動物たちは、「田舎風陶法」と呼ばれ、ベルナール・パリッシーは「王の田舎風陶法の発明者」の称号を授かります。水生動植物に着想を得たそれら大皿の奇妙な図像は、1499年にヴェネツィアで発行されるやいなや、大成功を収めた、フランチェスコ・コロンナの『ポリフィルの夢』に起源を見出すことができます。この自然の事物を好む傾向や、陶磁器の分野における探求には、ルネサンスの人文主義者の理想が、申し分なく縮約されています。

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ご自分のペースでピラミッドの下の、ナポレオンホールにお戻りください。