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見学コース ルーヴルに暮らす:王宮を訪ねて

テーマ別見学コース - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

カリアティード(女像柱)の広間
カリアティード(女像柱)の広間

© Musée du Louvre / A.Dequier

00イントロダクション

世界に名だたるコレクションを所蔵するようになる前は、ルーヴルには数世紀にわたって王や皇帝が住んでいました。今でも当時の名残をとどめている部屋があちこちに散見されます。

世界屈指の美術館であるルーヴルを訪れると、ここがかつては城塞であったこと、そしてその後何百年もの間、宮殿であったことを忘れてしまいます。時として、君主たちは、穏やかなロワール川流域の城や豪奢なヴェルサイユ宮殿を好み、ルーヴルで暮らすのはわずかな期間だったこともありました。家具や装飾品などはずいぶん前に失われてしまいましたが、壁面や天井などが、過ぎ去りし当時の様子を物語ってくれます。中世期の遺跡から太陽王時代の壮麗な室内に至るまで、いろいろな部屋や階段、厩舎などを見ていきましょう。城での豪華絢爛な暮らしぶりに思いを巡らせてみてください。

次の作品までのルート :

ピラミッドから館内に入り、シュリー(Sully)翼へと向かいましょう。通路の先の入り口を通り、右手にある階段を上ります。そのまままっすぐ進み、右に曲がります。右奥サン・ルイの間(la salle Saint-Louis)でお会いしましょう。

Louvre médiéval (Salle 5)
Louvre médiéval (Salle 5)

© Musée du Louvre / A. Dequier

01サン・ルイの間

フィリップ2世は、1190年頃ルーヴルの建設を決めましたが、それは王の居所としてではなく、守備隊の宿舎に充てられることになっていました。
当時の建物の様子を伝えるものがあまりないので、この部屋が何に使われていたのかを正確に知ることはできません。

中世期の建物内部で唯一現存するのが、今皆さんが足を踏み入れたこのうす暗い部屋です。ここでは、3つの時代の痕跡をみることができます。 壁面はフィリップ2世時代(1180-1223年)のものです。アーチ型の天井は今日では残っていませんが、その支柱とともにルイ9世時代(1226-1270年)のものです。ルイ9世は聖王ルイ(サン・ルイ)と呼ばれ、そこからこの部屋の名がつけられました。部屋全体の3分の1を占める力強いアーケード部分は、16世紀にさかのぼります。この部分が、かつては天井を支えていた円柱を包んでいる様子を観察してみてください。
サン・ルイの間の装飾は、簡素でありながら手の込んだものとなっています。円柱の柱頭の優美な木の葉模様やアーチの端を支える壁面にほどこされた苦虫をかみつぶしたような顔の装飾にも注目してください。今日では真っ暗なこの部屋ですが、建設当初は半地下で、壁面上部に取り付けられた窓から光を取り入れていました。

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それではここを出て、左手すぐにある階段を上りましょう。右手にある最初の扉を入ると、カリアティード(女像柱)の間にでます。

Salle des Caryatides
Salle des Caryatides

© Musée du Louvre / A. Dequier

02カリアティード(女像柱)の間

1547年以降、中世のルーヴルは徐々に近代的な宮殿へと姿を変えていきました。その中心となっていたのが、カリアティードの間です。
1610年6月、アンリ4世の蝋人形がここに展示されました。そこでパリの人たちは、ラヴァイヤックにより暗殺された良王の「亡骸(なきがら)」を前にして、それぞれの思いに浸ることができたのでした。1658年10月24日、モリエールがルイ14世の前ではじめて芝居を上演したのもこの広間でした。

ここではその広さと装飾に注目してみましょう。アンリ2世は、自分の宮殿の祝宴の間を、壮麗かつ斬新なものにしたいと思いました。そこで建築家ピエール・レスコと彫刻家ジャン・グージョンにその実現を依頼しました。
広間の入り口上部、楽師席をご覧ください。4体の女像柱、カリアティードで支えられています。この古代風の女像柱がフランスで使われたのは、このときがはじめてです。
当初は、一部に金箔がはられた木製の天井が、室内全体に色彩と暖かさをもたらしていました。
ここでは豪奢な宴が幾度も開かれましたが、この部屋はそういった楽しみのためだけではなく、他の用途にもあてられていました。円柱で隔てられ、重厚な暖炉が置かれた場所に向かってみてください。ここは「裁きの場」として国王が裁判を行っていたところです。

 

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先ほど入ってきた扉から広間を出ましょう。右手すぐ裏にある大階段を上ります。最初の踊り場でちょっと立ち止まってみましょう。

Escalier Henri-II
Escalier Henri-II

© Musée du Louvre / A. Dequier

03アンリ2世の階段

アンリ2世の階段は、ルネサンス期につくられた大階段です。王の部屋に上がるために毎日大勢の宮廷人がこの階段を使っていました。
この階段の壁は、そういう人々の声を聞いていたのです!敵や味方が君主の生活をあれこれ噂する声、陰謀をたくらむ声、等々・・・・・。

今、みなさんが上っている階段は、当時としては大変近代的なものでした。中世の階段はらせん状でしたが、この階段は踊り場から踊り場へまっすぐに伸びています。いかに壮大なものであるかがおわかりいただけるでしょう。このスタイルはイタリアから伝えられました。装飾の質の高さにもご注目ください。国王アンリ(Henri)2世の「H」のモノグラムが、狩猟の女神ディアナのシンボル(鹿や他の動物の頭)と隣り合っています。狩りが王のお気に入りの娯楽の一つであったことがわかります。中世期の階段がまったく機能的なものであったのに対し、ルーヴルの新しい階段は、1階の祝宴の間(ステップ2)と上階の君主の住居(ステップ7)とをつなぐ、華々しい場所となったのです。

 

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2階(1er étage)に着いたら、まず右手の通路を行きましょう。2つ目の部屋を見学しましょう。

Salle Henri-II
Salle Henri-II

© Musée du Louvre / A. Dequier

04アンリ2世の部屋

王がルーヴルで暮らしていた頃、控えの間は王に面会を求める者を待たせる部屋として使われていましたが、ここではまた祝宴もたびたび行われていました。毎朝何人もの侍従が、王の起床の儀式が終わるのをここで待っていました。侍従らと共に、楽師、仕立て屋、帽子職人、靴下職人、医師などが、国王陛下のご要望にすぐにお応えできるよう、控えていました。

今みなさんがいるのは、王の住居の第一の部屋、控えの間です。1660年にルイ14世が、ルネサンス時代の衣裳部屋と控えの間をいっしょにして広い部屋にし、現在の姿になりました。木組みの天井の中央部分は16世紀のものです。
指物師フランシスク=シベック・ドゥ・カルピと彫刻家エティエンヌ・カルモワとの共同作業による豪華な木材装飾にご注目ください。彫刻が施され、金箔がはられ、アンリ2世の組み合わせ文字で飾られています。ダブルLの文字(ルイ14世の頭文字のLと反転したL)がいくつかあります。探してみてください。ルイ14世が手を加えた部分を見分ける手がかりとなるでしょう。
天井画に驚かれたでしょうか?これらの天井画は、時を経て傷んでしまったかつての装飾にかわって、1953年、画家ジョルジュ・ブラックによって描かれたものです。

 

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次の部屋に入ったら、すぐに左手に曲がってください。そのまままっすぐ進み、古代ギリシアのテラコッタの作品展示室、続いて古代エジプト美術品の展示室を抜けていきましょう。つきあたりを左に曲がると展示室26です。次の展示室25へと進みましょう。

Chambre de parade du roi
Chambre de parade du roi

© Musée du Louvre / E. Revault

05国王の起床の儀式の部屋

この部屋は、実際には国王の起床の儀式のためにだけ使用され、王は隣の寝室(ステップ6)で寝ていました。王の近親者らから成る「御前会議」がよくこの部屋に集まりました。16世紀には、シャルル9世とアンリ3世がこの部屋で母后カトリーヌ・ド・メディシスのお小言を聞いたり、ギーズ公爵の助言をうけたりしていました。

19世紀には、国王のパヴィリオン2階の君主の寝室(ステップ7)の木材装飾をこの部屋に移しました。アンリ2世は、この作業をシベック・ドゥ・カルピに一任し、カルピはパリに現存するルネサンス様式では最高の木材装飾をここに実現しました。天井や扉、壁の基礎部分の金箔をはられた木材の贅沢な装飾をご堪能ください。
武器と鎧が表現された装飾があります。武器と鎧は軍隊のシンボルで、敵を前にした指揮官の権力を際立たせています。 この部屋の床木材は、当時としてはとんでもない贅沢でありましたが、ブラジルから運ばれた大変貴重なものでした。豪華な調度品や玉虫色に光るタペストリーを備えていたこの部屋の壮麗さを想像してみてください。

 

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ひとつ手前の部屋まで戻りましょう。

Le Nouvel Empire (anciennement Salle des boiseries) (salle 26)
Le Nouvel Empire (anciennement Salle des boiseries) (salle 26)

© Musée du Louvre / A. Dequier

06アルコーブ付寝室

王はこのアルコーブの中で寝ていました。太陽王ルイ14世は町から漂ってくる悪臭ではなく、心地よい香りに包まれて眠れるよう、ベッドの周りに植物をあしらった銀製の鉢を置かせました。また、このアルコーブには山盛りの料理がのせられた食膳が運ばれ、国王はここで食事も取っていました。

この部屋に見られるさまざまな調度品は、アンリ2世の寝室と同様に、かつては国王のパヴィリオンの2階にあったルイ14世の寝室に備えられていたものです。ルイ・ル・ヴォーは1654年、君主が眠るこの部屋の装飾の着想を得ました。
豪華な天井に目を向けてください。フランソワ・ジラルドンなどを助手として、ジル・ゲランが彫刻を施しました。鎖でつながれた奴隷と、噂の女神ファーマの女体像の計4体が、今はない天井画を囲み、輝かしい王権を表現していました。ベッドは、隙間風などを防げるようアルコーブに取り付けられました。この部屋を王は、日中は居間として使用していました。

 

Itinéraire jusqu'à la prochaine œuvre :

展示室26を出て、先程抜けてきた一続きになった9つの部屋を再び戻り、絵画コレクションの展示室74へ戻りましょう。

Salle des sept-Cheminées
Salle des sept-Cheminées

© Musée du Louvre / A. Dequier

07七暖炉の間

1674年ルイ14世がヴェルサイユへ居を移すと、ルーヴルでの王家の生活に終わりが告げられました。
1699年からは、ルーヴルにはいろいろなアカデミーが入居しました。
1793年に開館した美術館は、1817年以降拡大していきます。王の住居の木材装飾は解体され、この広い展示室がつくられました。
1851年6月5日、後のナポレオン3世はこの場所にフランス近代絵画のための展示室を開きました。

今みなさんがいらっしゃるのは、先ほどご覧になった2つの寝室がもともとあった場所です。とてもそうだとは思えないでしょう。天井をご覧ください。驚くほどのの高さではありませんか。現在の展示室はかつての国王のパヴィリオンの3階分に相当しているのです。今皆様が立っておられるところは2階ですが、ここには木材装飾で飾られた寝室が2つと、より私的な付属室がありました。その上の階は、王が寝室と次の間として使用していました。一番上の階は大きな窓からふんだんに取り入れられた光で満ちていました。現在の広大な展示室は、こうして3つの異なる階にあった複数の部屋をひとまとめにしているのです。「七暖炉の間」という名前は、かつてこの場所を暖めていた暖炉のダクトからきています。

 

次の作品までのルート :

七暖炉の間を出て先へ進みましょう。《サモトラケのニケ》の前の大階段を下り、途中で右手の階段を進んでください。円形の展示室5まで進みます。右手にあるのが次のアンヌ・ドートリッシュの夏の住居です。

Art romain. Antiquité tardive. IIIe - Ve siècle après J.-C. (Salle 27)
Art romain. Antiquité tardive. IIIe - Ve siècle après J.-C. (Salle 27)

© Musée du Louvre / A. Dequier

08アンヌ・ドートリッシュの夏の住居

1655年、ルイ14世は建築家ルイ・ル・ヴォーに命じ、母后アンヌ・ドートリッシュの住居を改装させました。
18世紀に、ルイ15世と婚約していた幼いスペインの王女がここで数日を過ごしました。婚姻は実現しませんでしたが、この部屋の前にある庭園には王女の名がつけられました。

ルーヴルでは、王妃は伝統的にセーヌ川に面した南翼の1階に住んでいました。この新しい住居は東向きで、前には庭園が開け、風通しもよく夏にぴったりでした。まっすぐな部屋の連なりを見てください。この時代の風習で、各部屋がドアでつながった一続きになっていました。
王妃の住居に入ってみましょう。まずは王妃の間です。続いて、王妃の控えの間、エントランス、グラン・キャビネ(大付属室)、起床の儀式用寝室、そしてプティ・キャビネ(小付属室)となります。今日では、天井のみが当時のまま残っています。4番目と5番目の部屋へ進み、彫刻家アンギエによる繊細な化粧漆喰の像とイタリア人画家ロマネッリの見事な絵画を堪能してください。聖書や古代の英雄が王妃の美徳を想起させます。

 

次の作品までのルート :

《サモトラケのニケ》の階段の裏手下にある展示室4に戻ってください。階段を下りていくと、古典期以前のギリシアコレクションの展示室に着きます。展示室3を抜けて、階段を下り、ホールを通り抜けたら、向かいの階段を上って彫刻コレクションの展示室1の方へ進んでください。

Galerie Donatello
Galerie Donatello

© Musée du Louvre / A. Dequier

09ドナテッロのギャラリー

1852年、ナポレオン3世はルイ・ヴィスコンティに命じ、ルーヴルとチュイルリー宮殿を結びつける工事を指揮させました。
チュイルリー宮殿に住んでいた皇室の要求に応じて厩舎がつくられました。厩舎の装飾は比較的簡素なものでしたが、設備は豪華でした。皇帝の馬の飼い葉桶はアルプスの大理石でつくられており、秣棚(まぐさだな)はなんと金箔をはられた銅でできていました!

この部屋の装飾は、これまでご覧頂いてきたものとはずいぶん違います。ここには化粧漆喰の像も絵画もありません。宮殿というものが普通に機能するためには、調理場、店、アトリエといった付属建造物が必要でした。旧ルーヴルにもそういうものがありましたが、長い年月を経た現在は残っていません。
今みなさんがいらっしゃるのは、ナポレオン3世時代につくられた厩舎です。床は掃除しやすいようにタイル張りになっており、コナラの木でできた馬房がそれぞれ柱で区切られていました。窓から外をご覧ください。皇帝の調教場へと続く馬蹄型のエレガントな階段やその間に広い水飲み場が見えます。

次の作品までのルート :

見学コースはここで終了です。出口は展示室を出て左側の階段からです。

 

執筆: :

Claude Kermel