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見学コース 中世の工芸品

工芸品 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

Salle Suger
Salle Suger

© Musée du Louvre/A. Dequier

00イントロダクション

5世紀から15世紀のヨーロッパでは、エマイユ、象牙細工、タペストリーなど様々な分野で、職人たちが多くの技法に磨きをかけました。ルーヴル美術館にある中世の工芸品コレクションを通して、こうした技術の発展を辿っていきましょう。

波乱に富んだ時代の中で、中世は幕を開けました。事実3世紀は、政治、軍事、経済、社会の面において重大な危機にありました。中でも特筆すべきは、キリスト教が誕生し、380年にはローマ帝国で公認されたことです。勝利を勝ち取った教会が、新しい聖堂を次々に建設する一方で、フン族によって西方へ追い立てられたゲルマン民族がローマを脅かしていました。この民族大移動は、476年の西ローマ帝国の崩壊を招きました。かたや東ローマ帝国、つまりビザンティン帝国は、1453年に首都コンスタンティノポリスが、オスマン・トルコに占領されるまで存続しました。ルーヴル美術館のコレクションを通して、5世紀から15世紀までの中世を巡り、各国の王宮や東西教会に仕えた職人たちによる技術革新を見ていきましょう。これらの美術品は、日常生活や文化的な営み、宗教儀式で用いられた品々で構成されており、カロリング帝国に始まりロマネスク、初期ゴシックを経て国際ゴシックまでの様式発展が表れています。

 

次の作品までのルート :

ピラミッド下のナポレオン・ホールから リシュリュー(Richelieu)翼へ向かい、チケットコントロールの後に右に曲がってください。階段を上り、2つあるエスカレーターで1階へお上がり下さい。展示室1に入り、壁際に並ぶガラスケースのうち、右側一番手前のケースをご覧下さい。

ダギュルフの詩篇外装板: 《ダビデ》《聖ヒエロニムス》
ダギュルフの詩篇外装板: 《ダビデ》《聖ヒエロニムス》

© 1998 RMN / Martine Beck-Coppola

01ダギュルフの詩篇外装板

シャルルマーニュ(カール大帝)の治世(在位768-814年)に、「カロリング・ルネサンス」が花開きました。これは、古代の技法や形体への回帰をはっきり示す、カロリング時代の芸術を指す名称です。カロリング・ルネサンスの開花は、この象牙製詩篇外装板の作者であるダギュルフなど、職人の大半を君主の周りに集めた宮廷付き工房からでした。写字生ダギュルフは、783年にシャルルマーニュの命を受け、教皇ハドリアヌス1世(795年死去)へ贈るためにこの詩篇集を筆写しました。この外装板は、一方に詩篇を口述するダビデ、もう一方に詩篇を校訂する聖ヒエロニムスが描かれています。象牙製の外装板は、とりわけその構成の明晰さと入念に仕上げた立体感や起伏の中に、古代の手本からの影響が見られます。丸い頭部とずんぐりした体つきは、この展示室内にある「キリストの3つの治癒の奇跡」を描いた装飾板など、もっと後に制作された作品を観察した結果によるものでしょう。

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展示室中央に戻り、シャルルマーニュの騎馬小像をご覧下さい。

騎馬小像:《シャルルマーニュ》または《シャルル禿頭王》
騎馬小像:《シャルルマーニュ》または《シャルル禿頭王》

© 2000 RMN / Jean-Gilles Berizzi

02騎馬小像:「シャルルマーニュ」あるいはシャルル禿頭王

メス大聖堂宝物室に保管されていた「シャルルマーニュの騎馬小像」と呼ばれるこの像は、カロリング時代のブロンズ芸術の中でも、とくに見事な作例です。別々に鋳造された3つの部分:馬、騎手の体、その頭部から構成されています。馬はおそらく古代作品の再利用で、この方法はまさに「カロリング・ルネサンス」の精神に結びついています。頭部は、伝記に記述され、硬貨に描かれていたシャルルマーニュ像と一致していますが、9世紀後半に制作された写本装飾に見られる孫のシャルル禿頭王の顔つきも想わせます。そのため、ここに表現された皇帝が誰なのかは確定できないのです。

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引き続き展示室1で、中央左のケースに展示されている聖体皿をご覧ください。聖体のパンを置く宗教儀式用の小皿です。

蛇紋石の聖体皿
蛇紋石の聖体皿

© 1982 RMN / Peter Willi

03蛇紋石の聖体皿

この聖体皿を構成する蛇紋石は、金で魚のモチーフを象嵌(ぞうがん)した、紀元前または紀元後1世紀の古代作品です。9世紀にシャルル2世禿頭王(823-877年)の宮廷付き金銀細工師の手で、仕切り線で囲まれた宝石やガーネットを飾った金の金具が付け加えられました。その後、シャルル禿頭王は、聖杯と合わせてこの聖体皿をサン・ドニ修道院へ贈りましたが、聖杯の方は、現在フランス国立図書館に所蔵されている「プトレマイオスの杯」と呼ばれる古代の杯部分しか残っていません。金具の装飾は、仕切り線で囲まれたカボションとガーネットが同心円状に3列に並んでいます。この装飾は、メロヴィング朝時代の金銀細工技法を受け継いでいますが、カロリング朝時代にもなお広く普及していました。本作品は、シャルル禿頭王の治下、「カロリング・ルネッサンス」を通して到達した技術の完成度の高さを示しています。

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振り返って、展示室の中央と右側の区画とを隔てるケースへお進み下さい。象牙細工作品がまとめて展示されています。

ディプティカの翼:勝利の皇帝
ディプティカの翼:勝利の皇帝

© 1986 RMN / Pierre et Maurice Chuzeville

04ディプティカの翼《勝利の皇帝》

「バルベリーニの象牙板」は、ビザンティンの「皇帝のディプティカ(二連板)」の一例であり、1枚の翼が5枚のパネルで構成されています。本作品は、これをプロヴァンスで発見した碩学ペレスクからバルベリーニ枢機卿へ贈られたため、こう呼ばれています。この像は、勝利を収めた皇帝の騎馬姿を表現しており、皇帝ユスティニアヌス(在位527-565年)とみてほぼ間違いないでしょう。上部では、有翼の勝利の擬人像に挟まれたキリストが、皇帝を保護しているように見えます。一方、下部には、征服された民が皇帝に貢物を捧げに来ている様子が描かれています。6世紀前半に制作された本作品は、ビザンティン皇帝による神権政治という考えを表し、また6世紀の芸術発展を代表する傑作の1つに数えられます。

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展示室右側の区画を左手前のケースまで進み、ケース上部にある金の装飾板をご覧下さい。

Plaque du reliquaire de la pierre du sépulcre du Christ : les Saintes femmes au tombeau
Plaque du reliquaire de la pierre du sépulcre du Christ : les Saintes femmes au tombeau

© R.M.N./D. Arnaudet

05キリストの墳墓の石の聖遺物箱を飾る装飾板

聖墳墓の聖遺物箱を成す二つの部分は、コムネノス朝時代(1081-1185年)のコンスタンティノポリスで制作され、パリのサント・シャペルに保管されていました。この聖遺物箱は、十字軍の後フランスにもたらされたビザンティンの金銀細工作品の中でもとりわけ見事な作例です。中心となるプレートは、鍍金をほどこした銀製で、キリスト復活の朝、天使に迎えられる聖女たちを表し、天使は空の墓を指差しています。天使の気高い仕草と聖女たちの慄く様は、12世紀コンスタンティノポリス美術の気取りすぎといってよい傾向を象徴しています。精妙な立体感を見ると、なぜビザンティン美術が西欧中世を魅了したかがよくわかります。フランス国王聖王ルイ(1226-1270年)は、自らこの作品を気に入り、ほかの聖遺物箱とともにパリのサント・シャペル用に購入したのです。

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中央ケースの方へお進み下さい。次の聖体皿のメダイヨンを細部まで鑑賞できるように、拡大鏡がご利用になれます。

聖体皿
聖体皿

© 1997 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola

06聖体皿

この聖体皿は、9世紀末または10世紀初めにコンスタンティノポリスで制作されたもので、紅縞瑪瑙の杯に鍍金した銀製の縁飾りが加えられています。縁飾りは、なめらかな表面に数珠状の飾りをほどこしたものです。中央には、金地にエマイユ・クロワゾネ(有線七宝)で「最後の晩餐」を描いたメダイヨンがあります。飾石を金銀細工の金具で引き立たせて典礼具に仕立てるというのは、ビザンティンの壺によく見られる方法です。エマイユによる中央のメダイヨンは、小型ですがビザンティン美術の傑作に数えられます。金銀細工師は、聖書物語の「最後の晩餐」という正確な場面を巧みに表現する術を知っていたのです。このメダイヨンは完全に金線で仕切られ、仕上げの質と線の力強さの点でも際立っている。

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次の展示室、シュジェールの間へお入り下さい。左側へ向かい、左奥に設置されたケースにお進み下さい。

透かし彫りの装飾板 《子供を指差すキリスト》
透かし彫りの装飾板 《子供を指差すキリスト》

© Musée du Louvre / Objets d'Art

07透かし彫りの装飾板

かつてのカロリング帝国の東部では、帝国の伝統がオットー朝(962-1002年)によって引き継がれました。オットー朝美術は、カロリング朝の作品やビザンティン美術へ直に触れたことから受けた影響や、形体の図式化傾向に大きな特徴があります。こうした特徴は、マクデブルクに所蔵されていたニ点の象牙板にはっきりと認められます。一点は「子供を指差すキリスト」を、もう一点は「パンと魚の増加」を表現しています。これらはおそらく司教座、祭壇飾り、聖遺物箱、説教壇、または内陣障壁の扉といったある記念碑的な作品を飾っていたもので、そのうちの16点の装飾板が現存します。この作品は、神聖ローマ皇帝オットー1世(在位962-973年)からマクデブルク大聖堂へ贈られたようです。「子供を指差すキリスト」の場面では、人物はモニュメンタルで、容貌はかなり様式化され、衣襞は大まかに平たく仕上げられています。この装飾板の様式や構図は、早くもロマネスク美術の規範に沿っており、「パンと魚の増加」を描いたもう一点の装飾板に見られる、古典的な特徴とは対照的です。後者では、密集した人物が「群集」という概念を完璧に表していますが、空間は狭められています。人物の体つきはさほどずんぐりしておらず、衣襞も細かいことから、ビザンティンの手本をよく理解していたことがうかがわれます。

次の作品までのルート :

シュジェールの間中央に戻り、中央手前のケースにお進み下さい。ケースの中には他の作品と合わせて《アリエノールの壺》が展示されています。

アリエノールの水晶の壺
アリエノールの水晶の壺

© 1990 RMN / Daniel Arnaudet

08アリエノールの水晶の壺

イル・ド・フランス地方のサン・ドニでは、12世紀、建築と彫刻が次第にロマネスク様式の形体を離れ、ゴシック美術が生まれようとしていました。一方奢侈芸術は、1180年代の芸術刷新にはほとんど寄与しませんでした。それでも、サン・ドニ修道院長シュジェール(在位1122-1151年)は、当時の一級の金銀細工師たちを招き、ロマネスク美術の中でも最高に輝かしい作品群を制作させました。シュジェールは、ネオ・プラトン主義に基づく思想によって贅沢な注文を正当化していました。この考えによれば、輝かしく洗練された物は、人が物質的なものから非物質的なものへ昇華するのを助けるといいます。《アリエノールの壺》は、シュジェールが修道院のために注文した四点の壺のうちの一点で、本作品を含め三点がルーヴル美術館に、残り一点がワシントンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。《アリエノールの壺》には銘文が刻まれています。銘文によると、ササン朝のこの水晶の壺は、ラテン語で「ミタドルス」と記された、おそらくサラゴーサのイスラム教徒の王から12世紀初めに贈られたということです。この壺は王妃アリエノール・ダキテーヌ(1122-1204年)の祖父に贈られ、王妃から国王ルイ7世に託され、そしてルイ7世からシュジェールへの贈り物となりました。金具には、光沢のある線で花形装飾をなす線細工がほどこされています。この壺の金具は、シュジェールが注文したほかの壺と同じように、おそらくシュジェール自身の監督のもと、地元の金銀細工師によって制作されたものです。

次の作品までのルート :

さて次は、シュジェールの間左側の区画へ戻り、右手前のケースへお進み下さい。

アルミラ:キリストの復活
アルミラ:キリストの復活

© 2008 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola

09アルミラ

12世紀、ザリエル朝を引き継いだホーエンシュタウフェン朝(1138-1250年)の時代、芸術の主な中心地はムーズ川およびライン川流域にありました。ムーズ地方では、銅地へのエマイユ・シャンルヴェ(生地彫り七宝)で飾られた金銀細工の重要作品が制作されています。《アルミラ》は、ライン・ムーズ地方のエマイユ最盛期の作例です。1170-1180年頃に制作された本作品は、「キリストの復活」を主題としています。本作品と対をなすニュルンベルクの美術館所蔵のもう一点は、「磔刑」を表しています。この豪華な腕輪は上腕部につけるものでした。ロシアのウラディーミル・スーズダリ大公アンドレイ・ボゴリュープスキー(在位1157-1174年)の墓所より見つかったとされています。神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)(1122-1190年)から贈られたのでしょう。ルーヴル美術館のアルミラは、ビザンティンの手本に着想を得た、キリストと天使の像の堂々たる様が見る者を圧倒します。ライン・ムーズ地方のエマイユ職人は、この作品にありとあらゆる技法を駆使しています。細く巧みに輪郭を描く仕切り線、毛彫りで仕上げた顔立ち、色とりどりの鮮やかな色彩には、例えば大理石の墓を模すべく凝ったぼかしが用いられています。

次の作品までのルート :

シュジェールの間の次の区画に進み、左側の区画のステンドグラス右側にある大きなケースへの方へ向かってください。

聖マタイ
聖マタイ

© 1995 RMN / Daniel Arnaudet

10聖マタイ

ゆるやかに弧を描き、立体的に成形されたこの装飾板は、聖マタイを象っています。グランモン修道院の主祭壇を飾っていた一連の使徒像のうちの一点で、ほかの使徒像数点も別の美術館に所蔵されています。聖マタイ像は、高く盛り上がるように打出され、エマイユをほどこしたアーチ形の背景板に引き立てられて力強さを放っています。このエマイユ・シャンルヴェの背景板は一面花咲く唐草模様で飾られていますが、これは13世紀のリモージュ作品の特徴です。事実、この一連の使徒像はリモージュで1220-1230年頃に注文されました。13世紀、リモージュのエマイユ職人たちは、エマイユなしの鍍金した銅像とエマイユとを組み合わせた作品を作り始めていました。グランモンの使徒像はその一例であり、またシャルトル大聖堂翼廊扉口の彫像ともかなり類似しています。

次の作品までのルート :

「ジャンヌ・デヴルー」の名を冠した展示室3に移り、展示室中央のケースに展示されている象牙の大型聖母像の方へお進み下さい。

サント・シャペルの聖母子
サント・シャペルの聖母子

© 2001 RMN / Jean-Gilles Berizzi

11サント・シャペルの聖母子

パリのサント・シャペル宝物室に保管されていた象牙製の大型聖母像は、1265-1279年の宝物室目録に記載されています。おそらく聖王ルイ(1214-1270年)またはその周辺にいた人物からサント・シャペルに贈られたものであります。本作品は丸彫で、本来のポリクロミー(多色彩色)は失われていますが、鍍金の痕跡はいくらか残っています。また聖母は金銀細工の冠を被っていましたが、これも失われました。聖母のマントの衣襞は大きな襞の連なりで構成され、「くちばし」のように折れて深い窪みを形作っています。小さく尖った顎とアーモンド形の切れ長の目、小さな口をそなえた極めて繊細な顔立ちは、象牙作品における同時代のモニュメンタルな彫刻の特徴です。本作品は、聖王ルイの時代にパリで活躍した象牙細工師の妙技をよく物語っています。

次の作品までのルート :

引き続き展示室3で、金色の聖母像を展示した中央2番目のケースへお進み下さい。

ジャンヌ・デヴルーの聖母子
ジャンヌ・デヴルーの聖母子

© 1999 RMN / Martine Beck-Coppola

12聖母子

ゴシック美術の傑作である鍍金をほどこした銀製のこの聖母像は、1339年に王妃ジャンヌ・デヴルーからサン・ドニ修道院宝物室に贈られました。聖母の上体を打出し、まるで布地の裾のように鍍金した銀の薄板に襞を寄せてかけるなど、金銀細工師はこの作品で熟練の技を見せ付けています。聖母の優しい顔立ちと、母子の間で交わされる愛情のこもった仕草を通して、豊かな感性が感じられます。この作品は、ジャンヌ・デヴルーが、国王シャルル4世端麗王(在位1294-1328年)と結婚した1324年と1339年の間に制作され、1339年、銘文が示すように聖母像は修道院へ贈られました。ジャンヌ・デヴルーの聖母像は、聖母マリア像の発展の要となる作品です。ここに見られるくねったシルエット、「前掛け風の」横向きの襞と垂直に流れ落ちる脇の襞は、数々のモニュメンタルな聖母子像にも見られます。聖母が手にしている百合の花には、聖母の乳、ヴェールの断片、髪の一房が収められており、台座は、銀地浅浮彫に半透明エナメルをほどこした装飾板で飾られています。この装飾板には、キリストの生涯の場面が描かれていますが、これは13世紀末のイタリアに現れ、14世紀にヨーロッパ中へ広まった同技法が、パリで用いられた初期の例であります。

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展示室4に入り、中央のケースに収められたシャルル5世の王杖までお進み下さい。

Sceptre de Charles V
Sceptre de Charles V

©Photo RMN / Jean-Gilles Berizzi

13シャルル5世の王杖

この作品は、シャルル5世(1337-1380年)が、息子(後のシャルル6世)の聖別式のために用意した品々とともに、1379-1380年の目録に記載されている品です。1365-1380年頃にパリで制作された本作品は、三つの部分から成っています。菱形装飾に組み込んだ百合の花モチーフで飾られた柄、三つの浅浮彫を並べた球形の飾り、シャルルマーニュ像です。球形の飾りの浅浮彫には、皇帝シャルルマーニュの伝説から三つの場面が描かれています。この図像は、ヴァロワ朝におけるシャルルマーニュ崇拝の重要性と、自らをこのカロリング朝の皇帝の後継者であると位置づけることで正統性を主張したいという、ヴァロワ朝の意向を物語っています。小像は玉座についた姿で表現され、玉座は百合の花の上に置かれています。小像のきわめて彫刻的な力強さと権威主義的な表情は、柔らかく洗練された球形装飾の浅浮彫とは対照的であり、後者の様式は格段にしなやかで滑らかです。このニ面は、シャルル5世時代の美術傾向に合致しています。金細工と、爪のある台座に嵌められ束ねた真珠を加えた宝石細工が極めて精密に出来ているところに、14世紀末のパリで活躍した金銀細工師の妙技がうかがわれます。この金銀細工師たちは、大規模な文芸保護を展開した国王シャルル5世とその弟たちから数多くの注文を受けていました。こうした人物が揃って国際ゴシック様式の発展に寄与したのです。

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同展示室内、正面右側の壁に掛けられた次のタペストリーをご鑑賞下さい。

愛の捧げ物
愛の捧げ物

© 1983 RMN

14愛の捧げ物

1400年頃、ヨーロッパ中では、一様に「国際」ゴシック様式が広まり、タペストリー芸術にも反映されました。おそらくアラスで1400-1410年頃に織られたタペストリー《愛の捧げ物》は、15世紀初めの貴族階級の理想を想起させます。このタペストリーには、宮廷生活にまつわる図像の中でもとくに頻繁に取り上げられる主題、「愛の捧げ物」が描かれています。同主題は『薔薇物語』など宮廷恋愛文学にも見られます。この主題は、ギョーム・ド・マショーとクリスティーヌ・ド・ピザンによって広められ、しばしば象牙製の小箱や鏡入れの蓋を飾りました。情景は、庭園の中で繰り広げられ、人物は15世紀初めに流行した衣装に身を包んでいます。15世紀初めの主要な織物産地としては、フランドル地方の町アラスを挙げるのが慣例ですが、パリにも工房があり、下絵はパリで制作されたと思われます。実際15世紀初めには、ヨーロッパにおける芸術中心地の間では、盛んに交流が行われていました。

次の作品までのルート :

「アンヌ・ド・ブルターニュ」の名を冠した展示室6に移り、中央のケースにあるエマイユ・パン(無線七宝)による小メダイヨン《ジャン・フーケの自画像》をご鑑賞下さい。

自画像
自画像

© 2010 Musée du Louvre / Martine Beck-Coppola

15自画像

ジャン・フーケの《自画像》は、ムランのディプティカ(二連板)の枠の一部でした。同ディプティカは、1450年頃に国王シャルル7世(1403-1461年)の顧問エティエンヌ・シュヴァリエのために描かれたものです。ジャン・フーケは、15世紀フランス最大の画家で、イタリアからの影響を受けてフランボワイヤン美術の行き過ぎを拒んだフランス美術独特の潮流を具現しています。ムランのディプティカは、現在ベルリンとアントウェルペンに分散していますが、枠の部分に一連のメダイヨンが含まれており、ルーヴル美術館の自画像はその一点です。本作品は、フランスで知られる限り最初の画家の自画像ですが、とくにフランス絵画における最初の「円形」肖像画でもありまた、15世紀に新しく現れた技法、エマイユ・パンの揺籃期の作例でもあります。銅地にエナメルの第一層を、次いで灰褐色のグラッシ(上塗り)をほどこしますが、このグラッシの層にはハッチング(線影)と金彩が加えられ、くすんだ色を背景にした金の単色画の効果を上げています。瞳や唇の間の細い線といった細部は、針先で地を引っ掻くことで得られます。ここでは極めて器用にこの作業が行われ、顔を背景から引き出し形を与えることを可能にし、この顔に並外れた存在感を与えています。エマイユ・パン技法は、15世紀末、16世紀を通してリモージュで花開きました。

次の作品までのルート :

この見学コースはここで終了です。来た道を引き返して、ピラミッド下のナポレオン・ホールにお戻り下さい。

 

執筆: :

ミュリエル・バルビエ工芸品部門