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見学コース 古代エジプトの神、オシリス

古代エジプト美術 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

《コンスムスの死者の書》(部分拡大)
《コンスムスの死者の書》(部分拡大)

© Musée du Louvre/C. Décamps

00イントロダクション

オシリスを語るには、何よりもまず古代エジプト人の死生観や宗教観などを見ていく必要があります。オシリスに関する作品は、非常に数多くあります。現存する古代エジプトの作品の大半は、墓から出土していますが、冥界の神であるオシリスは、棺や副葬品などに常に名を刻まれ、その姿が描かれました。

エジプト最古の碑文であるウナス王のピラミッド・テキストにより、オシリス神は、「太陽の都市」ヘリオポリスの神殿の神学者が入念に作り上げた神話の中心となりました。紀元前2350年頃のことです。ヘリオポリスの太陽神ラーは、双子のシューとテフヌートを授かりました。続いて、大気の神シューと湿気と熱の女神テフヌートとの間にできた双子、大地の神ゲブと天空の女神ヌトは絡み合って産まれてきました。こうして天地が創造されました。

その後ゲブとヌトからは、4人の子どもオシリス、イシス、セト、ネフティスが産まれました。オシリスは、イシスを妻とし、現世の王位につきます。オシリスの弟セトは、攪乱者の役を演じます。王位を奪うためオシリスを殺害するのです。しかし、オシリスの遺児ホルスが、セトに勝利し、均衡は修復されました。その後は、亡き父オシリスが冥界を支配し、息子のホルスが現世を支配しました。神話の世界では、こうしてエジプトの王権が誕生しました。

美術館の中で、エジプトの神々に触れるということは、歴史家と同じ状況の中に身を置くことです。これからこの見学コースで、豊富な資料の数々とともに、古代エジプト人の思想や世界観などを見ていきましょう。

ルーヴル美術館が所蔵する作品の中でも、数百点はオシリス神話と関係しています。この見学で得た知識が武器となり、今後は、いろいろな作品をさらに深く理解出来るようになることでしょう。それでは、見学を始めましょう!

 

次の作品までのルート :

シュリー翼から入り、つきあたりを左手に進むと、中世のルーヴルの展示室に出ます。城壁沿いに進むと、スフィンクスの地下礼拝堂があります。スフィンクスの左手にある階段を上ってください。エジプト高官、ナクトホルヘブの彫像が皆さんを出迎えてくれます。展示室内へ入り、順路に従って最初の作品《オシリスの彫像を守るナオス》がある展示室12まで進んで下さい。

Naos qui abritait une statue d'Osiris
Naos qui abritait une statue d'Osiris

© R.M.N./Les frères Chuzeville

01オシリスの彫像を守るナオス

展示室12に入ると、奥に巨大な石の祠堂が見えます。これを「ナオス」といい、神殿の中で最も貴重な彫像を保護していました。ここに展示されているナオスは神殿の主オシリスの像を守っており、オシリス像は、日々の奉納と儀式からなる礼拝を受けていました。神殿での生活はすべて、この礼拝を中心に営まれていたのです。エジプトの神殿は、まず何よりも神の地上の邸宅であり、神殿の最奥部は、民衆が立ち入ることの出来ない、神の「私的な」空間のような場所でした。神殿の聖域(祭壇付近)の周りには、祭儀に用いられる貴重品の倉庫のようなものがいくつかあり、その中には、祭りの日にだけ外に出される聖舟が納められていました。
碑文には、このナオスが神の彫像「河岸のオシリス」のためのものだと記されています。今日では全壊しているその神殿は、デルタ西部のメンファイア州のコム・エル=アハマルで発見されました。仕切りの壁には、「その名が永久に残るように」と、神殿で崇拝される全ての神々が描かれています。

次の作品までのルート :

ナオスの開口部に向かって左側の壁に、次の見学作品《王と神の三柱神》があります。中央にオシリス神がおり、その両脇には、ハヤブサの頭をした息子ホルス神とひとりの王がいます。

王と神の三柱神
王と神の三柱神

© 2006 Musée du Louvre / Christian Décamps

02王と神の三柱神

太い背柱から浮かび出ている重厚な彫像の真ん中が、この見学コース最初の作品、オシリス神の像です。ぴたりと合わさった両足首、屍衣で包まれた胴体、鞭形と鉤形をした二本の王笏を握る両手、もっとも流布しているオシリスの図像学的特長が見られます。駝鳥の羽を二本あしらった頭巾をかぶり、編み込んだ長い顎鬚をたくわえています。

オシリスの死によりミイラ作りの最初の儀式が行われ、保存されたオシリスの遺体は、エジプトのミイラの原型となりました。オシリスの意向に沿いイシスとアヌビスがミイラ作りの技術を発明し、それをもとに人間はミイラ作りを行ったのです。個人の霊魂「バー」は、人間の頭部をもつ鳥として表現され、地下墓所に眠る肉体のもとに常に戻ってくるという条件で、日中は墓を離れ生者の間を自由に飛び回ることができました。死者の書のエジプト語のタイトル《日中に外に出るための書》はここから来ています。

オシリス神話は、オシリスが古のエジプトの良き王であったことを物語っています。殺害された後、オシリスは冥界の王となり、息子のホルスは、父の後を継いで、地上の王となりました。以来エジプトの王たちは、「ホルス」の名を用いました。
この作品で、オシリスは二人の後継者に囲まれています。右側は名の知れぬ王、左側は、人間の体にハヤブサの頭をもち、上下エジプト王の二重冠を被った神、ホルスです。三人の額には、王権のシンボルであるウラエウスのコブラが見えます。

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三柱神の像の右に、息子ホルスに乳を飲ませる女神イシスの彫像があります。

La déesse Isis allaite son fils Horus
La déesse Isis allaite son fils Horus

© Musée du Louvre

03息子ホルスに乳を飲ませる女神イシス

女神イシスは、貞節な伴侶、良き妻、寡婦、母のモデルです。夫オシリスが行った人間界の文明化の手助けをしました。セトに殺害され、ばらまかれたオシリスの体を、イシスは妹ネフティスとアヌビス神の力を借り懸命に探しました。二人の女神イシスとネフティスはオシリスの妹で、オシリスの歴史の中でも常に大きな位置を占めています。

イシスは、魔術の力によってオシリスの体を蘇生させ、ホルスを身ごもりました。それからイシスは、ホルスが成長するまで、セトの追跡を逃れるために、デルタ地方の神話上の島の沼地に身を隠します。様々な伝説で、息子ホルス(エジプト語でホル-パァ-ケレド、ギリシア語でハルポクラト)が、母イシスの魔術によって、蠍の毒針から逃れたことが詳細に語られています。裸で、指を口に咥え、片側で髪を結っているホルスの姿は、エジプト美術における子どもの表現の典型です。

ピアンキー王の娘である「神の崇拝者」シェプヌエト2世によって奉献されたこの花崗岩の大きな彫像は慣例に従い、女神はまっすぐな姿勢で座って、手で左の乳房を持ち、膝の上に座っている子供に差し出しています。

普遍的な母としてのイシスの崇拝は、ローマ時代の地中海世界全域に広がっていきました。フィラエの神殿は、紀元後6世紀に皇帝ジョスティニアヌス治世下に閉鎖されたエジプト最後の神殿です。息子に乳を飲ませるイシス女神のこのイメージは、ブロンズやファイアンスで何度も再現されました。

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ナオスの前の階段を下りると、花崗岩製の巨大な棺が見えてきます。ここは展示室13、オシリスの礼拝堂です。

ラメセス3世の石棺の桶
ラメセス3世の石棺の桶

© Musée du Louvre/C. Décamps

04ラムセス3世の石棺の桶

階段から見ると、この石棺の桶が、カルトゥーシュ(王名が記されている楕円形の枠)の形をとっていることがよくわかります。中にはかつて、ラムセス3世のミイラが納められていました。磨かれた花崗岩で作られた棺の装飾は、今日では殆ど消えてしまっていますが、もとは青色に塗られていました。足側に、イシス女神が庇護の翼を広げて座っています。イシスの妹のネフティスが、頭側で同じポーズで描かれています。このように二人の女神に守られて、ラムセスはオシリスと運命を共有します。エジプトの王は、地上でホルスとなり、死後にオシリスとなるとされていたのです。

石棺の側面には、「秘宮の書」や「門の書」から抜粋した文章や絵などが彫り込まれています。太陽が西の地平線に沈んでから、12の門で区切られ12時間続く夜の世界を、太陽神ラーが舟で旅する様子が詳細に語られています。そこで太陽とオシリスが混同されるようになりました。太陽神ラーは、神々と福者の列の間を航行します。残った光を運ぶラーを、彼らは歓喜の声で迎え、敵との闘いや混沌の蛇アポフィスの攻撃をかわす手助けをします。ラーは試練とそれに続く勝利の中で、朝に蘇るために必要な力を汲み取ります。オシリス同様、ラーも永遠の再生復活という希望をもたらすのです。

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左の壁の中央にあるニッチの中に、次の作品《オシリスの彫像》(展示ケース12)があります。

オシリス神の彫像
オシリス神の彫像

© Musée du Louvre/G. Poncet

05オシリスの彫像

プトレマイオス朝時代に制作されたオシリスの大きな彫像は、開いたナオスを連想させるように地下墓所のニッチの中に置かれていました。
白いアラバスターと黒いガラスがはめ込まれた目が大変印象的です。ミイラのようにきつく包まれたような身体は木製で、かつては布で覆われ、上塗りがされていました。冠には、ブロンズの羽毛飾り、雄羊の角、聖蛇ウラエウスがついています。手には、やはりブロンズの鞭形と鉤形をした二本の王笏を持っています。国家的な冥界の神として崇められていたオシリスは、後の時代に、数え切れないほど多くの祭儀の場面で扱われていたため、この彫像がどの聖地に祀られていたのかを知ることはできません。

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両脇で、二人の女神イシスとネフティスがオシリスの死を嘆き悲しんでいます。

La déesse Nephthys pleure Osiris
La déesse Nephthys pleure Osiris

© Musée du Louvre/G. Poncet

06オシリスの死を嘆き悲しむ女神ネフティス

オシリスの彫像の両側に、オシリス神話に登場する姉妹の女神イシスとネフティスの彫像があります。起源が異なるこの二体の彫像は、それぞれ頭にヒエログリフで名が冠されています。手を前に出す仕草、あるいは手を頭にのせる仕草は、葬儀の日の悲しみを表しています。死者の身内の女性や近親者は、葬儀の日に、その嘆き悲しみを慣習的な仕草によって表現しなければなりませんでした。激した感情を表現した仕草は、エジプト美術の中では大変穏やかなものとなりました。後の時代の木棺には、オシリスと同化された王などの死者を悼むこのような神像で、時折飾られました。

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隣の展示ケースにある《イムネムイネトの棺の蓋》をご覧ください。

Couvercle du cercueil d'Imeneminet
Couvercle du cercueil d'Imeneminet

© R.M.N./Les frères Chuzeville

07イムネムイネトの棺の蓋

古王国時代における主要なオシリス神殿は、デルタのブシリスと上エジプトのアビュドスにあります。アビュドスは、中王国時代の初めには、エジプトの民の巡礼地となっていました。伝説によると、怒り狂ったセトは、オシリスの体を切り刻み、アビュドスの神殿は、聖遺物として、刻まれたオシリス神の頭を保存していました。オシリスの聖遺物箱は、獅子の座像で装飾された支柱の頂きに置かれていました。聖遺物は、人間の目には見えぬよう隠されていました。

カルトナージュ、あるいは上塗りされた布で巻かれた棺は、全面に彩色されており、体の前面には有翼神が描かれています。内部には、聖遺物箱の別の絵がほどこされ、ミイラの頭部があった場所と完全に一致します。

棺の裏面に描かれているジェド柱は、オシリス神のシンボルのひとつであり、神の脊柱を象徴します。この神聖な柱は、ブシリスの町の聖遺物でした。神を再生するための儀式では、安定の象徴であるジェド柱が立てられました。柱は、腕がついていたり、王杖を持っていたり、オシリスの冠を戴いていたりと、「生きた人間」のように表現されました。この装飾の意味するところは明らかです。二つのシンボルの間で死者は、冥界の神と一体となり、その永遠の命を手にします。オシリスは、再生の儀式を受けオシリスとなったすべての者に、死後の命を約束するのです。

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この作品の右手に展示されている《偉大なオシリス=ウェンネフェル司祭》の彫像柱をご覧ください。

Le grand-prêtre d'Osiris Ounennéfer
Le grand-prêtre d'Osiris Ounennéfer

© R.M.N./B. Hatala

08大司祭オシリス=ウェンネフェル

[アビュドスのオシリス神殿において大司祭は、大変強い力をもっていました。新王国時代には、大司祭の職は、世襲化されていました。ここに表されているウェンネフェルは、ラムセス2世下の大司祭です。自らが任されていた著名な聖遺物箱を抱えています。もっともよく知られた神の名のひとつからとっており、オシリス=ウェンネフェルとは「完全な者」(「完璧」の意味の「完全」)を意味します。

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階段の右側にある展示ケース10の中に、三つの仕切り壁の礼拝堂の縮小模型が置かれています。正面がわずかに開いており、中がよく見えるようになっています。中央には、もともとは三つのステラで飾られた礼拝堂の内部にあったセンウセレトの彫像があります。

Chapelle de Sénousret, serviteur du vizir
Chapelle de Sénousret, serviteur du vizir

© R.M.N./B. Hatala

09宮殿の従者センウセレトの礼拝堂

中王国時代(紀元前2033-1710年頃)、社会の中間層がミイラ化の儀式やオシリスのために考えられた新しい埋葬の儀式を行えるようになると、再生の願いは、もはや王たちだけのものではなく、彼らにまで浸透していきました。

アビュドスは、重要な巡礼地で、神殿の近くには、何百という礼拝堂が建てられました。祭りの際に偉大な神の近くにいられるようにと巡礼者それぞれの家族が建てた象徴的な記念碑的な建物セノタフ(空墓)です。この場所からは、厖大なステラが出土しています。ステラは、泥レンガ造り礼拝堂の仕切り壁の中にはめ込まれていました。

宮殿の従者センウセレトの礼拝堂のステラの装飾は、古王国時代のマスタバ(墳墓)のそれを縮小して複製したものです。左側には、センウセレトに敬意を表す集まりが描かれています。音楽を奏でる女性や踊りを踊る女性にうっとりした会食者たちは、飲み物を飲んだり、花の香りをかいだりしています。上方には、子羊などの供物を受けるセンウセレトが描かれています。中央には、センウセレトに食物を約束する「神々が住む天空が、大地が作り与えんことを」という言葉が記されています。右側上方では、二頭のガゼルに追われる狩人が、その腕に小さい子を抱えています。肉屋が牛を切っています。センウセレトが沼地で、銛で魚を突き、投槍で鳥を狩っています。中央部には、畑の収穫物が描かれ、下方では、センウセレトとその妻が、テーブルの前にいます。その傍には、ビール醸造業者がおり、壺や室があります。その右側には、水に浮かぶ棺が見えます。

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展示室右奥の展示ケース9「オシリスへの讃歌」の中に、二つのステラがあります。左側の《アメンの民の長、イメネメスへの讃歌》は、大変重要な資料です。

Hymne d'Imenmès, chef des troupeaux d'Amon
Hymne d'Imenmès, chef des troupeaux d'Amon

© Musée du Louvre/C. Décamps

10アメンの民の長、イメネメスへの讃歌

オシリスに関する資料は何千とあり、人格や化身などの記述は実に多様ですが、完全版と呼べるような資料はありません。オシリスは、エジプトの民にとっては、言わずと知れた人物でしたから、わざわざ記す必要がなかったのです。様々な神話の中でも、プルタルコスによるものがもっとも一貫しています。プルタルコスによるオシリス神話は、古王国時代のピラミッド・テキストからはじまる様々に散在する要素を、紀元後1世紀のあるギリシア人がまとめたものといえるでしょう。

このステラは、オシリスに関する最も長いテキストの一つを刻んでいます。このエジプト固有の形式の讃歌の中に神話体系の本質が結合しています。

ステラの上方には、イメネメスと近親者との間で開かれた宴の様子が描かれています。イメネメスの息子の一人は、食事を説明しています。もう一人の息子は、お酒を注ぎ、香をたいています。その下に刻まれているテキストは、右から左へ読んでいきます。

最初の数行は、オシリスのいろいろな呼称や儀式の場所について述べています。それから、オシリスはゲブの息子であり、エジプトの王であると書かれています。次いで、オシリスが殺害され、イシスがばらばらにされた亡骸を探し、再生させ、オシリスの後継者として知られるホルスを身ごもる経緯が語られ、最後にイメネメスへの献辞が刻まれています。これは、基本的な葬礼の祈祷であり、祈祷という言葉の魔力によって、死者は死後の世界で、ステラに記されたすべての恩恵を授かるということを保証されたのです。

食物や副葬品以外にも、死者は自分の霊魂の鳥であるバーが、日中墓を抜け出し、現世で好きだった場所を自由に飛び回ることを願いました。献辞は、死者の生命体であるカーが現れて、神の祭壇からの供物の残りをいただけるようにするためのものです。

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ウェンネフェルの彫像柱の横にある展示ケース6「オシリスの葬儀と復活」の前に行きましょう。ケースの下段には、興味深い作品、神の形を再現した《オシリス・ゲルマントのための鋳型》が展示されています。

Moule pour Osiris germant
Moule pour Osiris germant

© Musée du Louvre/C. Décamps

11オシリス・ゲルマントのための鋳型

神話によると、オシリスは、冥界の王となる前に、人間界の文明化を司る神でした。父ゲブからエジプトの王権を継いだオシリスは、妻イシスの力を借り、人間に地を耕すことを教えました。したがってオシリスは、死者に新しい生命を約束する神となる前は、豊穣の神であったのです。オシリスの肌が緑色で塗られているのをよくご覧になることと思います。ナイルの氾濫の第4月目(11月)に増水した水が引き、農耕周期が再び始まると、国では大きな祭りが何回か行われました。自然と神とが融合した再生復活のイメージをもつ発芽した穀物の種子を、人々はオシリスの形をした鋳型の中に植えました。

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展示室14に通じる階段を数段上がって下さい。階段途中の踊り場に、展示ケース11があります。紀元前1千年紀の葬礼文書が展示されています。

<i>Premier Livre des Respirations</i> d'Ousirour
<i>Premier Livre des Respirations</i> d'Ousirour

© R.M.N./Les frères Chuzeville

12ウシロウルの最初の呼吸の書

紀元前最後の数世紀、アレクサンダー大王による征服の後、エジプトの国はマケドニア起源の王朝によって支配されていました。この頃、オシリス信仰はかつてないほど普及し、遺体の防腐処置、棺、葬礼文書が重要視されたオシリス式の葬儀が頻繁に行われました。

《最初の呼吸の書》は、古の《死者の書》に次ぐ後の時代の葬礼文書です。オシリスによる死者の審判を描いたウシロウルのパピルスは、右から左へ読んでいきます。

《最初の呼吸の書》は、古典的な場面から始まります(上段)。座っているオシリス神の前でウシロウルが、腕を上げる祈りの姿勢をとっています。二人の間には、背の高い供物の花束があります。文章をはさんで物語は続きます。イシスを伴ったオシリスが、死者の心臓を天秤にのせ、永遠の命を与えるに値するかを判断している様子が描かれており、トキの頭をしたトト神が、天秤による審判の結果を記録しています。ひとりの助手が、真実と正義を象徴するアマトの羽根を天秤の皿の上に置いています。もう一方の皿の上に置かれたウシロウルの心臓が、この羽根より重いと、天秤の前で待つ怪物に心臓を貪り食われてしまうのです!これは《死者の書》第125章からのよく知られた描写です。展示室17には、この場面を扱った別の作品があります。

さらに左方には、輝かしい勝利を得たウシロウルが描かれています。頭に戴いている誠実を証明する冠がそれを示しています。一方で、ウシロウルは墓の中の自分の亡骸の上にどっかりと腰をおろしたハトホル女神の雌牛に香を捧げています。(《死者の書》第162章)

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そのまま階段を上ると、展示室14「棺の間」に出ます。棺が林立する様は圧巻です。

エジプト在住ギリシア人、ディオスコリデースの石棺
エジプト在住ギリシア人、ディオスコリデースの石棺

© 2009 Musée du Louvre / Georges Poncet

13エジプト在住ギリシア人、ディオスコリデース(タジクラテス)の石棺

プトレマイオス6世治世下の将軍ディオスコリデース(かつてはタジクラテスと呼ばれていた)は、当時エジプトを支配していたギリシア人エリート階級に属していたにもかかわらず、エジプトの古くからの風習に従って埋葬されました。

黒味がかった石棺は、オシリス風のミイラの体の形をとっています。「死者の書」から抜粋した宗教的な銘文が、それぞれに適した体の部分に分れて刻まれています。

鬘の部分には、第162章「死者の顔の下位に炎をともす」が、胸部には、魂が墓の外へ出て行けるよう、ディオスコリデースのバーが人の頭をもつ鳥として表されています。下段には、防腐処置を施されてカノポス壺に保存された内臓を守る「ホルスの四人の息子」が、太陽の復活のシンボルであるスカラベの図の周りに描かれています。
その下には、埋葬の神々の前に座るディオスコリデース、そしてオシリスともう一人の神を崇拝している立ち姿のディオスコリデースが描かれています。ここは、第72章「日中に出て墓を開ける」です。
石棺の足部には、犬の姿で表されたアヌビス神の図像と死者のバーが飛び立つ墓が表現されています。棺の内部では、西方の国、すなわち冥界の女神達と天空の女神ヌゥトが描かれ、ミイラを包む形になっています。このように死者は、西に沈んだ後、夜にヌゥトの胎内を通り、朝にヌゥトにより東の世界に再び生み出される太陽の運行と同じ状況で安置されたのです。

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階段の後ろ、展示室の奥の方へ進んでください。小さな展示室15「ミイラ、防腐処置と埋葬」があります。ルーヴルが所蔵する貴重なミイラをご覧いただけます。

男性のミイラ
男性のミイラ

© 1998 Musée du Louvre / Etienne Revault

14男性のミイラ

この男性の遺体は包帯に覆われたまま残っており、その包帯は芸術的なまでに丁寧に巻かれています。これは非常に興味深いことです。遺体は、さらにカルトナージュ(使い古しの布地を石膏で固めた紙粘土のようなもの)で包まれ、細かに色づけされています。ミイラの体は二重に保護されており、頭部、胸部、脚部、足部は保温マフのようなもので覆われています。

脚部のカルトナージュには、寝台に横たわるミイラのまわりに女神イシスとネフティスがいる様子が描かれています。後期の慣習では、ミイラはこの絵と同様に、ブロンズの獅子の頭と脚をもつ葬儀用の木製の寝台に横たわっていました。床には、臓物を保管するための「カノプス壺」が四つあります。

遺体の防腐の技術は、3千年にわたる文明の中で大きく進歩しました。
とにかく遺体の腐敗を防がなくてはなりません。そのためにはまず体内を空洞にする必要がありました。内臓を取り出し、カノプス壺に入れて防腐処置を施します。空になった亡骸は全体を塩で覆って乾燥させた後、布でくるんで、生きている時のような形に整えます。
この技術は、オシリス神のために、イシスとアヌビスが考案したと伝えられています。オシリスは、最初のミイラとなり、全てのミイラのモデルとなりました。防腐措置は、特別な祈祷を伴って行われました。展示ケースの端に、大変珍しい祭儀の例があります。

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来た道を戻り、展示室14「棺の間」を抜け、展示室16「墓の間」に入り、右側に進んで下さい。

Livre des Morts de Khonsoumès
Livre des Morts de Khonsoumès

© Musée du Louvre/C. Décamps

15コンスムスの死者の書

ここにエジプト人が「日中に外に出るための書」と呼んだ《死者の書》の一部があります。タイトルは、書が巻かれた時も見えるように、パピルスの縁の外側に書かれました。この作品のタイトル部分は、皆さんがご覧になれるよう、切り取って、下段右端に展示されています。

パピルスは、右から左に読まれます。最初の章(下段右)は、オシリス=ウェンネフェルへの讃歌であり、冥界の王の前に着いた死者の様子を描いています。死者は、生前と同様に服を着て、神の前でうやうやしく両腕を上げています。ここでは、オシリス神は、家族イシスとネフティスを伴っています。その前には、ハヤブサの頭をした神、ラー=ホルアクティがおり、頭上に太陽の円盤が描かれています。《死者の書》の中では、太陽神はアトゥム、ラー、ホルアクティと、さまざまな形をとっていますが、オシリスはこれらの神とともに再生の周期を作り出します。
続いて、コンスムスが西方の丘に香りを供え、死者の王国の大地で働いている様子が描かれています。
物語は上段のパピルスへと続きます。右側にいるのは、オシリスの陪席判事がいる審判の部屋の前に立つコンスムスです。さらに左側には、埋葬用の寝台に横たわるコンスムスのミイラと、寝台の下にある四つのカノプス壺が描かれています。その上には、コンスムスの有翼の霊魂「バー」がいます。

パピルスに記されたこの素晴らしい書は、慎重に巻かれ、オシリスの形をした彫像の中に保管されて、埋葬時に墓の中に入れられました。

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展示室16を出て、神々の辞書がある展示室18へお進み下さい。展示室右側にある展示ケース1のSで始まる名前の神々を探しましょう。

SETH et sa compagne NephthysStatuette
SETH et sa compagne NephthysStatuette

© 2006 Musée du Louvre / Christian Décamps

16セトとその妻ネフティスの彫像

古代エジプトの全ての神々を取り上げ、その関係について記述する系統だった古代文書は存在しません。神話の世界というのは、一つの思想によって作り上げられたのではなく、いろいろな地方や国家の伝統が集積し、様々な神話が重なり合ってできた一つの豊かな世界なのです。神々を名前から探すことのできる語彙というものは、この複雑に構成された世界に近づくための一つの実践的かつ公平な手段でしょう。Sの文字には、セトとその妻ネフティスの彫像があります。

オシリス神を表す像は幾千と存在しますが、オシリスのライバルであり、攪乱者かつ好戦的な神であるセトは、オシリスとホルスの神話や大勝利について語る上で必要な人物であるにもかかわらず、その像はほとんどみられません。

ここに展示されている作品の質は平均的なものです。この彫像は磨り減っており、横には妻のネフティスがいます。神話の中でネフティスは、セトではなくイシスを選び彼女を助けます。セトはここでは人間の姿をしていますが、尻尾の分かれた犬など、想像上の動物として表されることもよくあります。その垂れ下がった長い鼻面は腐り、耳は高く立っています。セト信仰は、新王国時代のデルタ地域においては大変重要でした。この彫像の背部に彫られた名前ラムセス2世は、この地域の出身で、父親は「セト神による君主」を意味するをもつセティ1世です。

次の作品までのルート :

右奥の方へお進み下さい。展示室19「動物と神々」の左奥にある展示ケース11に、たくさんの巨大なカノプス壺があります。

Les vases à viscères ("canopes") du taureau Apis mort sous Aménophis III
Les vases à viscères ("canopes") du taureau Apis mort sous Aménophis III

© Musée du Louvre/C. Décamps

17トゥトアンクアモン治世下の雄牛アピスの内臓の壺

展示室19で繰り広げられる父と息子の会話

「そっか!牛も人間と同じようにミイラにするんだね!」

「エジプト人は自分の好きな動物をミイラにしたんだよ。ほら、こっちのガラスケースにいろんな動物のミイラがたくさんあるぞ!」(展示ケース8)

二人とも思い違いをしているようです。

ミイラにされる名誉に与れるのは、神聖な雄牛だけでした。思い出してください。ミイラにするというのは、オシリス神と運命を共にすることなのです。雄牛は、メンフィスの守護神、プタハ神の化身であるとされたアピス神の地上での姿です。たった一頭の雄牛だけが、死後「オシリス-アピス」となる名誉を与えられ、王や高位の人間だけに限られていたミイラになる儀式を受けることができました。

トゥトアンクアモン治世下の雄牛アピスのカノプス壺は、人間のものよりずっと大きく作られています。サッカラの特別な地下室で保存されている棺は、実に巨大なものです。この見事な棺は、サッカラのセラペウムの墓地で見ることが出来ます。

展示ケース8のミイラは、個人が好んだ動物ではなく、殺してミイラにするという目的で育てられた家畜です。これらは巡礼者によって、ブロンズの彫像などと一緒に神々に捧げられました。巡礼者たちは、神が喜ぶだろうと思い、ミイラを買い、特別な地下墓地に置きました。これらの動物たちは、白布や包帯で覆われてはいますが、雄牛アピスのような「オシリス」ではありませんでした。

次の作品までのルート :

この見学コースは、ここで終了です。展示室16の近くにあるエレベーターをご利用頂けます。出口(SORTIE)と書かれたパネルに従って進むと、ピラミッド下のナポレオン・ホールに出ます。