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見学コース 王立アカデミー入会作品

彫刻 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

アカデミーの小ギャラリー
アカデミーの小ギャラリー

© Musée du Louvre/P. Philibert

00イントロダクション

ルーヴル美術館の彫刻部門は、王立アカデミーの会員となる際に芸術家に課せられた入会作品を数多く所蔵しています。この見学コースでこれらの彫刻作品の一部をご覧ください。

1648年、若き画家シャルル・ル・ブランのイニシアティヴで創設された王立絵画彫刻アカデミーは、親方、職業団体への隷属から芸術家を保護すること、作品の受注売却などの気苦労から創作を解放することなどを目的としていました。

ルイ14世は、1661年に親政を始めると、1663年にコルベールを王室建築総監に任命し、今日の文化大臣のような役割を与えました。君主制のプロパガンダをイメージの面からも推し進めようと、王立絵画彫刻アカデミーを王の保護下に置き、王への奉仕機関という特別な場所としました。王立アカデミーの会員になるには、まず資格の承認が必要でした。入会を希望する彫刻家は、石膏またはテラコッタの作品数点を提出します。作品が認められると、秘密投票が行われ、その結果により入会が決まりました。続いて、アカデミー会長から、入会作品のテーマと期限についての指示があり、彫刻家は大理石の作品の制作に取り掛かります。作品のデッサンが要求されることもありました。これは職人が親方の仲間入りをする為に制作を義務づけられていた「親方作品」(傑作)のようなものでした。入会作品は、アカデミーのコレクションに収められていましたが、革命期に押収され、散逸しました。現在ルーヴルは、これらの彫刻作品の大部分を所蔵しています。

 

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リシュリュー翼入口から入ると、まずマルリーの中庭とピュジェの中庭をつなぐジラルドンのクリプトがあります。ここから見学をスタートしてください。左手にマルリーの中庭が見えます。胸像の前を通り、中庭の方へ進みます。中庭の手前で右に曲がってください。左手奥の壁に3つのメダイヨンがあります。左端の作品がクレリオンの《聖小ヤコブ》です。

聖小ヤコブ
聖小ヤコブ

© 2009 Musée du Louvre / Pierre Philibert

01《聖小ヤコブ》

17世紀末まで、入会時に提出する彫刻作品は、1664年のアカデミーの規約第13条により、大理石の浅浮き彫りと決められていました。これらの作品は、宗教的主題のメダイヨン、アカデミーに関する寓意図、そしてルイ14世を称える寓意場面の3つの大きなテーマに分類することができます。1689年のジャン=ジャック・クレリオンの入会作品《聖小ヤコブ》は、宗教的主題のメダイヨンシリーズ最初期の代表的な作品です。

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来た道を戻り、今度はピュジェの中庭の方へ進んでください。中庭のすぐ手前の通路に入ります。中庭に向かって正面右手の壁にニコラ・クストゥの浅浮き彫りがあります。

《フランス国王ルイ14世の胸像を「フランス」に示す健康の神》
《フランス国王ルイ14世の胸像を「フランス」に示す健康の神》

© 2009 Musée du Louvre / Pierre Philibert

02《王の治癒を思い起こすアレゴリー》

《ルイ14世の胸像をフランスに示す健康の神》は、ルイ1世を称える寓意場面の代表的作品です。アカデミー入会を希望していたニコラ・クストゥに、主席王室画家のシャルル・ル・ブランが、このテーマとデッサンを課しました。この作品に関する逸話はアカデミーと芸術家との間の不確実な関係を物語っています。1687年にローマから帰国したニコラ・クストゥは、入会資格を得たものの、すぐに格式高いヴェルサイユ宮殿の工事にかかりきりとなり、自らの入会作品の制作を疎かにしたため、彼の名はアカデミーのリストから消されてしまいました。しかしその後、浅浮き彫りの制作に取り掛かったクストゥは、アカデミーへの入会が再び認められ、1693年この作品で会員となりました。

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見学をスタートした場所へ戻ります。ここにある4体の胸像のひとつがジャン=ルイ・ルモワーヌ作《ジュール・アルドゥアン》です。

《ジュール・アルドゥアン、通称アルドゥアン=マンサール、(1646—1708年)建築家、王室建築総監、絵画彫刻アカデミー保護者》
《ジュール・アルドゥアン、通称アルドゥアン=マンサール、(1646—1708年)建築家、王室建築総監、絵画彫刻アカデミー保護者》

© 2009 Musée du Louvre / Pierre Philibert

03《ジュール・アルドゥアン》

入会作品は、浅浮き彫りが主流とされていましたが、特筆すべき例外はあります。現存はしませんが、バルタザール・マルシー1673年作の《苦しみ》、ヴェルサイユ所蔵ジャン=バティスト・テュビー1680年作の《喜び》などの感情表現頭像がそうです。また肖像、なかでもアントワーヌ・コワズヴォ1679年作の《ル・ブラン》は珍しいものです。弟子のジャン=ルイ・ルモワーヌも胸像を課せられ、アカデミーの保護者ジュール・アルドゥアン=マンサールの胸像を1703年に入会作品として提出しています。18世紀に入会作品として制作されたこの他の胸像は、ヴェルサイユが所蔵するエティエンヌ・ゴワ1770年作のルイ15世の胸像一点だけです。

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クストゥの浅浮き彫りのあった先程の通路へ戻ってください。左手奥にコルネイユ・ヴァン・クレーヴ作の小像《岩に座るポリュフェモス》が展示されています。

《岩上に座るポリュフェモス》
《岩上に座るポリュフェモス》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

04《岩に座るポリュフェモス》

17世紀に制作された入会作品の中で唯一知られている丸彫りの小像がコルネイユ・ヴァン・クレーヴ1681年作の《岩に座るポリュフェモス》です。ところが、18世紀に入ると、アカデミーが廃止される1793年まで、入会作品は丸彫りの小像が原則となりました。1701年、アカデミーはロベール・ル・ロランに、《ポリュフェモス》と対になる《ガラテイア》の制作を課しました。この作品は現在ワシントンのナショナルアートギャラリーに所蔵されています。

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ご覧いただいた作品と同じ並びの左手にフランソワ・バロワの小像《瀕死のクレオパトラ》があります。

《瀕死のクレオパトラ》
《瀕死のクレオパトラ》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

05《瀕死のクレオパトラ》

18世紀には、浅浮き彫りに代わって、丸彫りの小像が主流となります。この変化の幕開けともいえる作品が、1700年に入会を果たしたフランソワ・バロワによる《瀕死のクレオパトラ》です。このバロワの小像のテーマは、神々の愛の神話や英雄神話(または古代史)から着想を得た主題が主流となっていた18世紀初期の入会作品の特徴をよく表しています。《瀕死のクレオパトラ》は、劇的で官能的な構図の中でこのふたつの神話的要素を表現しています。動きのある少々劇的な人物表現は、この時期の典型的な特徴です。英雄的かつ劇的な作品としては、1704年ギヨーム・クストゥ1世作《火刑柱のヘラクレス》、1712年フランソワ・デュモン作《雷に打たれるティタネス》、1713年ルネ・シャルパンティエ作《メレアグロス》などが挙げられます。

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続いて、ピュジェの中庭に進んでください。左手にある階段を上がると踊り場中央にピュジェの《クロトナのミロ》があります。その後ろに広がる木々のあるスペースを抜け、左手の階段をさらに上がってください。上がりきったところにピガールの《メルクリウス》があります。右手すぐにある彫刻の展示室に入ってください。展示室に入ったらすぐ左に曲がり、突き当たり展示室25まで進んでください。正面にカイヨの小像《ディドの自害》が見えます。

ディドの死
ディドの死

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

06《ディドの自害》

1711年のクロード=オギュスタン・カイヨの入会作品《ディドの自害》の構図もまた劇的なものです。アカデミーは、入会作品を通して、構図のセンスや布襞の技、裸体の学習など、制作者の力量を見ます。アーティストにとっては、付属物の構成の器用さ、材料の扱い方の妙技、細部の仕上げ、異質のテクスチャーを表す能力など、手腕を披露する機会でもありました。カイヨの作品はこれらの要求に完璧に答えており、薪部分に見られる様々な要素が見事な彫刻の静物画を作り上げています。

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後ろを振り、台座の上に展示されているジャン・ティエリ作の《レダと白鳥》をご覧ください。

《レダと白鳥》
《レダと白鳥》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

07《レダと白鳥》

《レダと白鳥》は、神々の愛の神話をテーマにしたジャン・ティエリの1714年の入会作品です。このエロティックなモチーフで、ティエリは、学校の演習とは程遠い、非常に官能的な作品を実現しました。主人公たちのテクスチャーに工夫を凝らした彼は、大理石を極度に磨くことにより、女王の体を際立たせています。

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ご覧いただいた《レダと白鳥》の右手、展示室中央の台にランベール=シジスベール・アダン作の《波浪を鎮めるネプトゥヌス》があります。

波浪を鎮めるネプトゥヌス
波浪を鎮めるネプトゥヌス

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

08《波浪を鎮めるネプトゥヌス》

アカデミー主催による同時代の芸術作品の展覧会をサロンといいます。当初は不定期に行われていましたが、1737年以降は年に1回または2回、定期的に開催されるようになりました。アカデミー会員と入会を承認された準会員だけが、サロンへの出展を認められていたため、1718年から1736年の間アカデミーを軽視してきた彫刻家たちがアカデミーに戻ってきました。アダン兄弟派、スロッツ兄弟派、クストゥ派、ルモワーヌ派などの新世代が台頭し、彼らの入会作品に見られる叙述的で躍動的なスタイルは「ロココ」と呼ばれるようになりました。この様式は、ベルニーニの作品における雄弁なジェスチャー、朗詠調のポーズ、動きのある布襞、誇張された表情、エフェクトの妙技、装飾のセンスなどへの賞賛から生まれました。ランベール=シジスベール・アダンによる1737年の入会作品《波浪を鎮めるネプトゥヌス》では、バロックスタイルの激しさも見受けられます。

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中庭に面した窓の方へ戻り、左手にあるガラスケースの中をご覧ください。ジャン=バティスト・ピガールの《メルクリウス》が展示されています。

《踵に小翼をつけるメルクリウス》
《踵に小翼をつけるメルクリウス》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

09《踵に小翼をつけるメルクリウス》

しかしここで、古代を模倣した古典主義の簡素さへの回帰を謳う先駆者も現れました。《踵に小翼をつけるメルクリウス》は、ジャン=バティスト・ピガールの1744年の入会作品です。この小像でピガールは、躍動感に満ちた速さのアレゴリーの中にも、簡素なライン、慎みあるジェスチャー、穏やかな表情といった清らかな美しさを表現しています。翌1745年のエドム・ブーシャルドンによる入会作品《十字架に張付けられたイエス・キリスト》にも気品ある質素への嗜好が見られます。

かなり異例のことですが、ピガールはメルクリウスの原型をアカデミーに提出し入会資格を得、大理石の制作で入会を果たしました。以来18世紀後半は、入会資格を得るために原型を提出し、それを入会作品として大理石で制作するようになります。入会作品の中でも優秀なものは、模範例として模刻され、ブロンズ像もしくは石膏像の複製が出回りました。セーヴル陶器製作所はビスキュイ(素焼き磁器)での縮小版制作を提案しました。画家シャルダンが賛美したピガールの《メルクリウス》もその一例です。

 

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展示室中央に戻ってください。中央右側の台にファルコネの《クロトナのミロ》が展示されています。

《クロトナのミロ》
《クロトナのミロ》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

10《クロトナのミロ》

個性を発揮する彫刻家がいますが、エティエンヌ=モーリス・ファルコネも例に漏れず、入会作品《クロトナのミロ》では、彼が賞賛してやまなかった彫刻家ピュジェに個人的なオマージュをささげています。

この作品は、一部のアーティストがアカデミーとの間で遭遇する困難を物語っています。1744年、アカデミーはファルコネが提出した石膏原型像での入会を認めず、別のテーマでの作品を求めたものの、最終的には最初の原型で入会資格を与えました。ファルコネはこの大理石像の制作に10年の歳月をかけ、1754年に入会を果たします。しかし、この時彫刻界では古代の簡素や静逸への回帰を目指す新しいスタイルを展開していたため、1755年のサロンでは、ファルコネの劇的で激しいこの作品はもはや時代遅れとなってしまったのです。

同じような不遇が、次にご紹介するニコラ=セバスティアン・アダンにもふりかかります。

 

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2つ前の作品、ランベール=シジスベール・アダンの《波浪を鎮めるネプトゥルヌス》がある展示台に戻ってください。展示されている作品の上方に、兄のニコラ=セバスティアン・アダンの作品《鎖に繋がれるプロメテウス》があります

《鎖に繋がれたプロメテウス》
《鎖に繋がれたプロメテウス》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

11《鎖に繋がれるプロメテウス》

サロンへの出展は、アカデミー入会資格だけで十分であったため、18世紀も前半を過ぎると、資格を与えられた準会員たちの正会員への関心はうすれていきました。こうした理由から、ニコラ=セバスティアン・アダンは入会作品の制作に27年もかけ、1762年に《鎖に繋がれたプロメテウス》を提出しています。同様に、クロード=クレール・フランサンは入会作品《円柱のキリスト》の制作に30年を費やし、亡くなる僅か6年前の1767年に提出しました。

アダンが《プロメテウス》を1763年のサロンに提出した際、そのバロック的な美意識は新しい傾向にはもはや適応せず、ディドロの嘲弄を受けることになってしまいました。

 

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展示室の奥、リヴォリ通りの方へ向かって左手に2列の展示台があります。下の段にジャン=ジャック・カフィエリ作の《川》が展示されています

《川》
《川》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

12《川》

1750年代、彫刻界の潮流は古代回帰へと変わりつつありましたが、アーティストたちはまだ様々な傾向の中でためらい迷っていました。1759年のジャン=ジャック・カフィエリの入会作品《川》にも、そのためらいが窺われます。裸の老人の姿と水瓶が川を表しています。この小像のテーマと老人の裸体の理想化は古代の伝統に従ったものですが、その構図にはフィレンツェのマニエリスムの影響が見られ、彫刻家の刀さばきの妙技は見事なものです。

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そのまま振り返り、台座に展示されている次の作品、ピエール・ジュリアンの《瀕死の剣闘士》をご覧ください。

《瀕死の剣闘士》
《瀕死の剣闘士》

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

13《瀕死の剣闘士》

1770年代になると、アカデミーは完全に古典主義に傾倒していきます。アーティストは古代作品例に想を得るようになり、構図はシンプルでモニュメンタルなものになります。フェリックス・ルコントによる1771年の入会作品《オイディップスとフォルバス》などがそうです。《瀕死の剣闘士》は、ピエール・ジュリアンの1779年の入会作品ですが、アカデミーにおける新古典主義の勝利を物語っています。同時期の入会作品には、1777年のジャン=アントワーヌ・ウードンによる《モルフェウス》や1778年のルイ=シモン・ボワゾによる《メレアグロス》があります。

ファルコネ同様、ジュリアンも入会資格を得る際に困難を経験しました。1776年に提出した最初の作品《ガニュメデスとユピテルの鷲》が認められず、彫刻家は創作意欲を失いかけました。しかし、アカデミーはさらに手厳しいこともありました。カフィエリの弟子ジャン=ジョセフ・フクにいたっては、入会資格承認作品ではなく、現存はしませんが、1783年に提出した入会作品《マルシアス》が認められず、屈辱はもっと深いものでした。最終的には、2年後の1785年に《川》で入会を果たしました。

 

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見学はここで終了です。ピラミッドの下のナポレオンホールに戻ります。

 

執筆: :

Kuniko ABE