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見学コース 17世紀フランスの工芸

工芸品 - 所要時間:1h30 - 見学日: 月 水 木 金 土 日

学校団体 一般団体

Parcours OA détail
Parcours OA détail

© Musée du Louvre

00イントロダクション

フランスの17世紀は、三人の偉大な君主、アンリ4世(1553-1610年)、ルイ13世(1601-1643年)、ルイ14世(1638-1715年)が君臨しその支配を確たるものとしました。ブルボン家から出たこの三人の王によって、美術工芸は、ブルボン王朝の支配確立と王権の象徴として、ひとつの政治的な手段となります。

アンリ4世の時代には、ルネサンス芸術の影響がまだ強く残っていましたが、同時に新しい芸術も生まれ、ルネサンスの終焉もまたこの時代です。このブルボン王朝の始祖アンリ4世が新しい王朝の支配を確固たるものにするために、王家を讃えるような芸術を誕生させるのです。アンリ4世は特に美術工芸品において活発な政策を提示しました。例えば、北方フランドルから伝統的に輸入していた家具とタピスリーを国内生産によってまかなうために、ルーヴル宮殿内に優秀な芸術家を集めて、いろいろな工房を開設させました。この芸術政策はアンリ4世の息子ルイ13世によって継承されますが、ルイ13世は家具、タピスリーに加えて、金工作品にも強い関心を示しました。ただ残念なことに、金工作品は金と銀という貴金属を素材としているために、歴史上幾度もあった金銀器の供出時に多くのものが溶かされ、現存するものはほんの少ししかありません。ルイ13世の王妃、アンヌ・ドートリッシュもまた大変な金工作品の愛好家でした。この時代の金工作品には植物や鳥、蝶などを発想源とするはっきりした自然嗜好が見受けられます。この自然主義的傾向は、この時期の織物や家具の分野にも見られます。

さて、ルイ14世の親政は1661年に開始しますが、亡くなる1715年までの、55年に渡る長い治世の間に、君主を褒め称えることを目的とする芸術政策は絶頂期を迎えます。財務総監コルベールと王室主席画家ル・ブランが、豪奢な作品を生産する壮大な王立製作所の創設に参画します。君主は莫大な数の金製の調度品や銀を施した家具を発注しましたが、これらの大部分は戦時中に軍需援助のために溶かされてしまいました。

 

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ピラミッド下のリシュリュー(Richelieu)と書かれた入り口からご入場ください。チケットを見せた後、左に曲がります。階段を2階まで上がり、展示室65から展示室64に入ります。

Aiguière en sardoine
Aiguière en sardoine

© R.M.N.

01紅玉髄の水差し

フランス語ではジェムと呼ばれる玉類の飾壺のコレクションは、イタリアのメディチ家出身でフランス王アンリ4世の王妃となったマリー・ド・メディシスに始まり、ルイ13世、ルイ14世へと引き継がれ、王家のコレクションとして形成されました。現在、ルーヴル美術館所蔵の玉類コレクションの大半は、この王家のコレクションから来たものです。この水差しは金工家ピエール・ドラバールの作品ですが、玉の壺自体は古代の作品で、その後一部に損傷を受けたものを使っています。金工家は、金地七宝と宝石で装飾した座金によって、欠損部分を巧みに隠しています。把手は竜の形をしていますが、同じ技法が用いられています。蓋についたミネルヴァの兜をかぶった頭も同じ技法です。この座金の装飾はそもそも自然を写そうとしている葉と花の巻装飾です。1630年から1635年頃のピエール・ドラバールの見事な装飾作品に見られる自然を発想源とするスタイルは、その後、他の金工家たちによって引き継がれました。ルーヴル美術館は他にも玉の飾壺を複数所蔵していますが、これらの作品は17世紀における貴重な素材や宝石への嗜好を物語っています。

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展示室62に入り、壁に掛かるタピスリーを鑑賞しましょう。

テーブル
テーブル

© 2005 RMN / Jean-Gilles Berizzi

02テーブル

16世紀からフィレンツェで制作された硬玉のモザイクは全ヨーロッパを魅了しました。ルイ14世(1643-1715年)は、フィレンツェに対抗しようと、モザイクの工房をゴブラン製作所内に設けました。この工房では、モザイクのテーブルが作られていましたが、その中の二点を今日ルーヴル美術館は所蔵しています。ここでテーブルと呼んでいるのはテーブル板の方で、脚部は後の時代のものです。1675年から1700年頃に制作されたこのテーブルの中央には、フランス王家の紋章が王冠の下に描かれています。四方の角にはルイを表わすLの組み合わせ文字が、こちらも王冠とともに表されています。他の装飾は、鳥と風景です。種々の大理石と様々な硬玉を使ったモザイクは、フィレンツェ製のそれと比べ、鳥と風景がより絵画的に表現されています。王家のプロパガンダを補完してきたこのゴブラン製作所の諸作品も、ルイ14世の王宮の調度品の豪奢さを明らかにしてくれます。

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続いて、すぐそばにある箪笥をご覧ください。

壁掛け連作《王の歴史》より《ローマ教皇使節の謁見》
壁掛け連作《王の歴史》より《ローマ教皇使節の謁見》

© 1995 RMN / Daniel Arnaudet

03タピスリー連作«王の歴史»

このタピスリーに描かれている場面は、ルイ14世の治下(1643-1715)で実際に起こったデリケートな外交事件の様子を詳述するものです。ローマ教皇に仕えるスイス人衛兵がルイ14世の大使を暗殺した事件について、教皇側の特使キジが、フォンテーヌブロー宮殿内の王の寝室で、ルイ14世に謁見し、教皇の謝罪を伝えている場面です。このタピスリーは連作«王の歴史»7番目の作品で、1667年から1672年にゴブラン王立製作所のルフェーヴル工房で制作されました。下絵はシャルル・ル・ブランの図案をもとにしています。この連作はルイ14世の生涯のいろいろな出来事を取り上げて、王家の強固な支配をみせつけるプロパガンダのひとつとして機能しています。この作品はまたルイ14世の命でコルベールが創設した王立ゴブラン製作所の織り手の妙技や、画家シャルル・ル・ブラン監督のもとで完成されたルイ14世の時代の特徴的な芸術様式を今日に伝えるものでもあります。

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続いて展示室34に入ります。右手二つ目の通路を展示室42まで進んでください。ここでは、床の絨毯をご覧ください。

戸棚
戸棚

© 2010 RMN / Jean-Gilles Berizzi

アンドレ=シャルル・ブール(1642-1732年)は、フランス語で黒檀を扱う者という意味のエベニストと呼ばれる高級家具師で、彼の名前のついた技法「ブール式象嵌(ぞうがん)」に絶頂期をもたらした人ですが、この技法の発明者ではありません。この象嵌は銅とべっ甲、真鍮でできており、それに、いろいろな色の木材や、時には金銅での装飾が加わります。このタイプの象嵌の図案には、しばしばジャン・ベラン1世のような装飾家の作品の版画からとった唐草模様が用いられました。この二枚扉の大きな箪笥はブール作、恐らく彼の晩年の作と推定されています。この箪笥の装飾に、ブールはいわゆるブール象嵌に加えて、種々の木材を使った寄木細工を用いています。ブールはルーヴル宮殿内に工房を与えられており、それは当時の同業者組合の規律に縛られずに作品を制作できる、すなわち種々の材質を、その材質を専門に扱う他の芸術家の手を借りないで、自分自身で使えるということを意味しました。そのおかげで、ブールは寄木細工と金銅を用いた装飾をすることができたのです。この壮大で贅沢な箪笥はルイ14世の時代の家具の特色で、彼の治世の絢爛豪華なイメージに合致するものです。

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展示室33に入ります。右側の陳列ケース内「アンヌ・ドートリッシュの」と呼ばれている箱をご覧下さい。

Tapis aux armes de France
Tapis aux armes de France

© R.M.N./D. Arnaudet

05フランス王家の紋章のある絨毯

この非常に大きな絨毯は、1670年から1680年頃にルーヴル宮殿のグランド・ギャラリー用の絨毯として制作されました。サヴォヌリー製作所はルイ14世の命で、コルベールによって、1667年パリに創設されました。この絨毯工場は豪奢な絨毯を制作しました。ルーヴル宮殿のグランド・ギャラリーに納入されたものは黒地に大きな唐草模様があり、王権を象徴するモチーフが入っています。王宮に納入されたものはゴブラン製作所で織られたタピスリーと同様に王家のプロパガンダに用いられました。

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展示室44に入ります。ここでは、リヴォリ通りに面した窓際の陳列台にある金銀の深皿、エキュエルをご覧ください。

櫃、通称《アンヌ・ドートリシュの櫃》
櫃、通称《アンヌ・ドートリシュの櫃》

© Musée du Louvre / Objets d'Art

06「アンヌ・ドートリッシュの」と呼ばれている箱

アンヌ・ドートリッシュ(1601–1666年)は、平戸細工と呼ばれる金線の細工であるフィリグラヌのオブジェの大変な愛好家でした。殊に、ルーヴル宮殿の彼女の住居内には、金製の工芸品ですっかり飾られた書斎がありました。ルーヴル所蔵のこの作品は、アンヌ・ドートリッシュの箱と呼ばれていますが、制作者は未詳です。これは、木製の箱を青いモアレ模様の布で被い、その上に透かし彫り、打出し、上彫りの技法を用いた金工の葉と花の大きな唐草模様が掛けられています。この非常に繊細な細工は、17世紀に大変流行した刺繍の効果を作り出しています。アンヌ・ドートリッシュが示した貴金属の工芸品に対する関心を見れば、息子のルイ14世による銀の家具や調度品の贅沢な注文の数々もうなずけます。

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次は、この箱のそばにあるコップを鑑賞しましょう。

Gobelet dit d'Anne d'Autriche
Gobelet dit d'Anne d'Autriche

© 1994 RMN / Daniel Arnaudet

07コップ

王妃アンヌ・ドートリッシュ(1601–1666年)は、金の平戸細工のコレクションの他にも、金の食器も所有しており、これは17世紀の王宮での食卓の豪華さを証明するものです。このコップの足の裏面にしるされた銘文は、古の来歴を物語っています。この作品は、17世紀の金工の特徴である非常に写実的な花柄を上彫りで表わした捩じれ丸襞装飾で飾られています。17世紀の間中、フランスの王は金製の食器を使っていましたが、ルイ14世のこの貴金属への強い嗜好は、母后アンヌ・ドートリッシュのそれから来たのに相違ありません。

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展示室31に入りましょう。中央の陳列ケースをご覧ください。

蠟受け皿が2枚の燭台
蠟受け皿が2枚の燭台

© 1993 RMN

相次ぐ金銀器の供出により、17世紀の金工作品は、今日ほんのわずかしか残っていません。蝋燭立てが二つ付いた銀製のこの燭台は、ルイ13世の時代(1610-1643年)のパリで作られた金工作品の一例です。制作者はパリの金工家フランソワ・ロベルデイ1世(1651年没)です。作品を構成している透かし彫りの非常に緻密な様式の植物のモチーフは、17世紀に絶頂期を迎えたレースや刺繍の芸術を想起させます。燭台の二本の腕は花の茎で、蝋燭立てとその受け皿が先端に付いています。この「茎」は「エンドウの鞘」と呼ばれる小さな植物の鞘から出ています。このモチーフはルイ13世時代の金工の特徴的なもので、当時の版画図案集の中でもみることができます。

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これまでの順路を戻ります。展示室42、37、35を抜け、展示室34に入り、左手の窓の側のテーブルをご覧ください。

Écuelle aux armes du Grand Dauphin, fils de Louis XIV
Écuelle aux armes du Grand Dauphin, fils de Louis XIV

© 1988 RMN / Daniel Arnaudet

09ルイ14世の息子 王太子の紋のあるエキュエル(深皿)

エキュエルという名の容器は、起床時に朝食のスープを飲むために使われていました。スプーンは使わずに、把手になる耳を持って、直接口をつけて飲みます。このエキュエルは銀器に鍍金したもので、パリの金工家セバスチャン・ルブロンの作品です。制作年代は1690年から1692年で、ルイ14世の息子のグラン・ドーファンと呼ばれた王太子のために制作されました。装飾モチーフはこのエキュエルが誰のために作られたかを伝えています。というのは、そもそもフランス語で、王太子をグラン・ドーファンと呼ぶのは、ドーフィネ地方が王太子の直轄領であるところからきていますが、フランス語でドーファンとはイルカでもあるからです。つまり言葉の遊びで、イルカが装飾モチーフとして使われ、王太子を象徴しているのです。このエキュエルの把手には二匹のイルカが背中合わせに付いています。蓋の上彫り装飾にも、王太子の名前、ルイのLの組合せ文字の両側にイルカが表されています。また蓋の装飾の唐草模様は、ルイ14世の時代の金工装飾にみられる特徴的なものです。

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この展示室の入口近くの陳列棚にある銀製の燭台をご覧ください。

ユピテル神に扮したアンリ4世像
ユピテル神に扮したアンリ4世像

© 2007 Musée du Louvre / Pierre Philibert

10ユピテルの姿をしたアンリ4世

ブロンズ芸術は、フランスではルネサンス期に目覚しい発展をとげ、アンリ4世(1589-1610年)の治下で絶頂期を迎えます。彫刻家バーテレミー・プリユール(1536-1611年)は、アンリ4世をユピテルの姿で、マリー・ド・メディシスをユノの姿で表わした二体の小像の制作者です。この小像にはまだマニエリスム期の規範が適用されていますが、顔の表情の厳かなところは、古典時代の到来をすでに告げています。王と王妃は、新しい王朝の創設者として相応しい様に、古代の神話の神々の持物を携えて表わされています。事実、アンリ4世はブルボン王朝の始祖で、彼の権力を確固たるものにするために、王家を称揚するプロパガンダを用いたのでした。

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「エフィア城館」展示室と呼ばれる展示室32に入ります。まずは、壁のタピスリー《川から救われるモーセ》をご覧下さい。

《川から救われるモーセ》
《川から救われるモーセ》

© 1995 RMN / Daniel Arnaudet

11《川から救われるモーセ》

17世紀、アンリ4世(1589-1610年)は、ルーヴル宮のグランド・ギャラリーにタピスリーの工房を設置しました。その跡を継いで息子のルイ13世(1610-1643年)は、織工に下図を供給するために、当時最も有名な芸術家たちを招へいしました。画家シモン・ヴーエ(1590-1649年)は、1627年に王に呼び戻され、留学先のイタリアから帰国し、彼の図案や絵画作品をもとに、タピスリーを制作する工房を組織しました。タピスリー《川から救われるモーセ》は、ルイ13世がヴーエに注文した連作《旧約聖書》の中の一点です。ルーヴル宮殿内の工房で、宮殿の装飾用に1630年頃に制作されました。ルイ13世の紋章と彼を象徴する文様が入っており、アンリ4世の宰相であったシュリー卿に始まるフランスに権威ある工房を創設するという芸術政策を証明するものです。この政策は、この後ルイ14世の治世下にコルベールによって完成されます。

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それでは続いて、上部の扉の開いた黒檀の箪笥、キャビネットをご覧ください。

キャビネット
キャビネット

© 1990 RMN / Daniel Arnaudet

12キャビネット(箪笥)

17世紀初頭、もともとゲルマン系の国で生まれたエベニストリーと呼ばれる黒檀(フランス語でエベーヌ)を使った新しい技法が現れ、フランスの家具の歴史に決定的な変化をもたらしました。もみの木や樫の木の木材で作られた家具の骨組みを、より貴重な木材の化粧板で隠すという技法で、この化粧板が最初は黒檀であったため、黒檀を使った家具、エベニストリーと名付けたのです。

黒檀のキャビネットは、17世紀のパリの特徴的な家具の一つです。キャビネットと呼ばれる箪笥は、通常寸法の大きいもので、構造的には非常に建築的で、上部構造と下部構造がそれぞれ互いに独立しつつ調和しており、上部は背の高い下部構造に支えられています。ルーヴル美術館のキャビネットは17世紀中頃のもので、黒檀の化粧板には全面に装飾が施されています。主題はローマの歴史で、左側の浅浮き彫りの大きな扉には、伝説的な兵士ホラティウス・コクレスがローマのテーヴェレ川に架かるシュブリシウス橋のたもとで、敵のエトルリア王ポルセナの軍隊のローマ侵入を防衛している場面が表わされています。右側はホラティウス・コクレスの仲間が橋を切っている場面です。上部両端には、丸彫りでマルスとミネルヴァを表わす小像のある壁龕(へきがん)があります。双方ともにローマ神話の軍神ですから、扉の主題と合致しています。ルーヴル美術館所蔵のこの作品は、黒檀のこの種のキャビネットの中でも最も贅沢な部類に属します。内部には小さな壁龕とたくさんのひき出しが珊瑚の円柱で分けられていて、大変凝った趣向を呈しています。この小さな世界が、劇場の舞台装置のように目の前に現れます。

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天蓋付きの寝台の周囲に配置された六脚の肘掛け椅子をご覧下さい。

エフィア城の寝台
エフィア城の寝台

© 1988 RMN / Pierre et MauriceChuzeville

13エフィア城館の寝台

天蓋付きの寝台と、これと揃いの六脚の肘掛け椅子は、ピュイ・ド・ドーム県のエフィア元帥の城館から来たものです。これらの家具の布はすべて17世紀当時のもので、毛先を切ってモチーフを浮き出させたジェノヴァのビロードです。この寝台は、国家元帥であり財政総監であったエフィア侯爵(1581–1632年)のために17世紀の中頃に制作されました。天蓋を支える四本の支柱がカーテンを閉めると全体の形を四角にします。壁に対して直角に配置され、寝室の中央に突き出すこのような構造の寝台をフランス式寝台と呼んでいます。また、こういった室内装飾の布を扱うタピシエという室内装飾家の役割が、17世紀には、非常に重要であったのも付け加えなければなりません。指物師の作品は、タピシエが選んだ布で装飾されていたからです。当然、多大な金額を刺繍や金糸、銀糸を使った布に支払っていました。

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「フランスのマジョリカ焼の通路」(展示室17)まで、進んでください。ルーヴル美術館の大きな水差し一対は、通路に入ってすぐ右の最初の陳列ケースにあります。

水差し一対
水差し一対

© 1985 RMN / Pierre et Maurice Chuzeville

14水差し一対

15世紀と16世紀のイタリアのマジョリカ焼はヨーロッパ中を魅了し、16世紀以降、イタリアの陶工は各地に招き呼ばれました。フランスでは、ヌヴェールがマジョリカ焼とガラス工芸の有名な生産地になります。ヌヴェールの工房は17世紀にも生産を続け、この伝統工芸は今日まで続いています。ルーヴル美術館所蔵のふたつの大きな水差しは、17世紀のヌヴェールの工房の活力を我々に伝えるものです。これらは1675年頃制作され、腹には、神話を題材とするモチーフが表わされており、形はこの時代の金工家が創作した金や銀の水差しの形に強く影響されています。ヴェルサイユ宮殿の庭園のためにクロード・バラン1世が描いたブロンズの飾壺の図案をもとに制作されました。絵付の青と緑と黄色は、ルネサンス期のイタリアの作品に、殊にウルビーノ焼きにすでにみられるものですが、波状の青い曲線が入った地模様はヌヴェール独得のものです。

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展示室20に入って、左側の壁に掛かった二つ目の連作をご覧ください。

壁掛け連作《スキピオの物語》より《ザマの戦い》
壁掛け連作《スキピオの物語》より《ザマの戦い》

© 2011 Musée du Louvre / Philippe Fuzeau

15タピスリー連作《スキピオの物語:ザマの戦い》

1680年から1690年頃、ゴブラン製作所は財政危機に陥りました。宮内長官ルーヴォア(1639–1691年)は、この財政難を切り抜けるため、新しい図案を芸術家に委託することをやめ、織り手に仕事を供給するという方針で、ルネサンスの時代の最も美しい連作のいくつかを模作させました。 こうして、すでにルイ14世が所有していたタピスリー・コレクションの中にあったルネサンス時代の連作タピスリーで、サン・タンドレ元帥ジャック・ダルボンの紋の入った《スキピオの物語》が模作されました。金糸と絹糸を使っていたオリジナルは、フランス革命期に焼かれてしまったため、現在ルーヴル美術館にあるコピーがルネサンス時代の連作タピスリーの名残を留めるものとなりました。連作ですので、その構成要素であるそれぞれのタピスリーは、ティトゥス・リヴィウスが記したローマとカルタゴの第二ポエニ戦争の歴史の一場面を描いています。この連作の第十番目のシーンは、ザマの戦いで、スキピオがハンニバルに決定的な打撃を与え、勝利を手にする場面です。カルタゴ軍とその恐ろしい象に立ち向かう様子が描かれています。タピスリーの中央で星の模様のある青地のケープを纏っている騎士がスキピオです。

次の作品までのルート :

ピラミッドの下、ナポレオン・ホールに戻ります。

 

執筆: :

ミュリエル・バルビエ工芸品部門