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ルーヴルの歴史
宮殿から美術館へ

ルーヴルを訪れると、そのコレクションを通して中世から1848年までの西洋美術や様々な古代文明と出会うことができる。そして、訪れる者はもう一つの歴史へと誘われる。美術館を擁する大宮殿の起源は12世紀末までさかのぼり、まさに建築史を学ぶことのできる教科書そのものである。1200年から2011年の間、最も革新的な建築家たちが相次いでルーヴルの建築・増築に携わった。長年にわたって権力の中枢となったこの王宮は、1870年まで国家元首たちの居住としても使用され、パリ、そしてフランスの歴史が繰り広げられる大舞台の一つでもあった。

国家元首の邸宅としてのチュイルリー

1789年7月、そして10月の革命の日々とともに、国家権力は再びパリを拠点とすることを余儀なくされる。1870年まで、フランスを統治するすべての体制はチュイルリーにとどまることになる。それは、強制的にチュイルリーに連行されてから1792年8月10日の廃位までの間、次第に囚われの身となってゆくルイ16世や、1792年から1794年までの歴代の公安委員会(ロベスピエールが率いた委員会が最も有名)、そして主な革命議会と共存した総裁政府と、その後に続く執政政府のメンバーたちである。革命議会は1793年に、もともとルイ14世の大劇場があった場所に設けられた広間に設置された。その後チュイルリーは、ナポレオン1世の華々しい勝利と1815年のワーテルローの戦いによる失脚を見届けることになる(ナポレオン1世は1804年に皇帝に即位する以前の1800年から、第一執政としてチュイルリーに居を定めた)。ルイ16世の兄弟であるルイ18世とシャルル10世は、権力の座に戻ると同時にチュイルリーに居を構える。しかし、1830年の7月革命によって王位に就いた彼らの従兄弟ルイ=フィリップに、その場所を譲ることになる。

歴代の君主の好みと当時の流行にあわせて多くの内装工事が行われた。この時期にもたらされた最も重要な改築は、やはりリヴォリ通りに沿って建てられたマルサン翼だろう。建築家のペルシエとフォンテーヌによって増築されたこの部分によって、カルーゼル地区の大きな中庭は取り囲まれ、その入口は、1805年の軍事遠征を称えるために2人の建築家が建てた小さな凱旋門で飾られた。

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  • ユベール・ロベール《1801年から1805年までのグランド・ギャラリー》、ルーヴル美術館蔵(RF 1964-34)

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    リリース:2016年4月15日

  • バンジャマン・ズィックス《松明を照明に館内を巡る皇帝と皇妃》、ルーヴル美術館蔵(Inv 33406)

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    リリース:2016年4月15日

  • ジョゼフ・オーギュスト《宝石の間》、絵画部門(RF 3630)

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    リリース:2016年4月15日

  • ヴィクトル・ジョゼフ・シャヴェ《ナポレオン3世のルーヴル》、ルーヴル美術館蔵(Inv 20048)

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    リリース:2016年4月15日

  • ニコラ・ゴス《ルーヴルの工事現場を訪れるナポレオン3世》、ルーヴル美術館蔵(RF 1995-7)

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    リリース:2016年4月15日

  • ジュゼッペ・カスティリオーネ《ルーヴル美術館のサロン・カレ(方形のサロン)》、ルーヴル美術館蔵(RF 3734)

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    リリース:2016年4月15日