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作品 サン・ジェルマン・デ・プレ修道院創設者シルデベール王(558年死去)

彫刻部門 : 中世のフランス

サン・ジェルマン・デ・プレ修道院創設者シルデベール王(558年死去)

© 1996 Musée du Louvre / Pierre Philibert

彫刻
中世のフランス

執筆:
Gaborit Jean-René

この像は、後にサン・ジェルマン・デ・プレ修道院となるサント・クロワ・サン・ヴァンサン修道院の創設者、クローヴィスの息子シルデベール1世を記念したものである。とはいえ彫刻家は、おそらく13世紀の一君主の肖像を表現したようだ。本作品は、パリで13世紀半ば頃に花開く新しい様式のとくに早い時期の作例である。この様式の代表作品としては、《サント・シャペルの使徒像》(1245-1248年の間)が挙げられる。

創設者へのオマージュ

中世の教会では、とくに創設者が君主や王家の一員である場合、その人物へのオマージュを表現するのは一般的なことだった。サン・ジェルマン・デ・プレ修道院は、当時サント・クロワ・サン・ヴァンサンという名でシルデベール1世によって創設された。伝承によってはこのメロヴィング朝の君主をパリのノートル・ダム大聖堂の庇護者に数えており、2つの教会の間で対抗意識が芽生えていただけに、このことを強調しておくのは重要である。そうした意図があって、シルデベールの記念像が修道院の回廊にある食堂入口に置かれた。一日に何度もこの場所を通って行進が行われ、故き庇護者の思い出を修道士たちの祈りに結び付けていた。本作品は現存する唯一の食堂の名残である。

作品記述

王は、(元は青色の)長衣を身に纏い、腰には金属の飾りがついた革ベルトを締めている。右手には王杖をもっていたが、現在は破損している。一方、(失われた)左手はどっしりしたマントの紐を掴んでいたようで、今でもその赤色の痕跡を認めることができる。頭には4つの花形装飾がついた冠を頂く。基部と足の一部は修復されている。

来歴

食堂は、建築監督ピエール・ド・モントルイユが建設したとも言われる。この人物は後に同修道院で、聖母に捧げた礼拝堂(取り壊された)の建設を担当している。食堂の建設は1239年から1244年に渡った。この像は建築と密接に結びついているため、像の制作時期は2つの年代の間に位置するはずである。今も裏側に見えるように、像が背にしている円柱は、像と同じ石を彫ったものである。18世紀の記述でははっきりと、この像が扉口中央の、トリュモー〔中央柱〕とも呼ばれる建築部材の前面に置かれていた、とある。
この早めの年代は、13世紀半ば頃にパリで芽生える彫刻の様式変化における最初の指標となる。それまで、パリの彫刻家たちはしなやかな小さな襞と重々しさを免れない像(サン・ジェルマン・ローセロワ教会扉口)の様式を忠実に守っており、これは同時代のアミヤン大聖堂に見られるような、単純な形体、控えめな自然主義、そしてやや素っ気ない襞という特徴として捉えられることが多い。しかし1240年以降突如として、立体感が自由に表現され、表情に優雅さや個性が見られるようになり、仕草がのびのびしたものになった。シルデベールの髭を生やした、髪が優美に波打つ愛想の良い顔は、パリのノートル・ダム大聖堂中央扉口のキリストの顔に非常によく似ている。はっきりと反り返った体躯部分と右手のやや気取ったしぐさは、数年後のサント・シャペルや、13世紀第3四半世紀のイル・ド・フランス、シャンパーニュ地方、フランス北部の数々の作品で見られる定型表現を予告している。

作品データ

  • イル・ド・フランス

    サン・ジェルマン・デ・プレ修道院創設者シルデベール王(558年死去)

    13世紀第2四半期

    パリ、ベネディクト会サン・ジェルマン・デ・プレ修道院食堂扉口トリュモー〔中央柱〕

  • 石灰岩、ポリクロミー〔多色彩色〕と金鍍金の痕跡

    高さ1.91m、幅0.53m、奥行き0.55m

  • 1851年レコール・デ・ボーザール〔フランス国立美術学校〕より委託

    M.L. 93

  • 彫刻

来館情報

ルーヴル美術館 パリ フランス
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
 
開館時間
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)

休館日:毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 
 

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